AI(人工知能)によって一番さいしょに仕事がなくなるのが病理医ではないか、みたいな話をたまに聞くようになったので、興味があっていろいろ調べている。「病理診断をする人間」の最後の世代となる可能性だって、あるんだ。覚悟はしておかなければいけない。そう思って、そもそもAIが何をしてくれるのか、将来なにができそうなのかということを、いろいろ調べてみた。
1.コンピュータ技術が進歩することで、人間が「絵合わせ」をやらなくてよくなるかもしれない。AIがプレパラートを見て、そこにある細胞や、細胞が作りなす構造を解析して、これは腺癌だ、これは扁平上皮癌だと、自動で判定してくれるシステム。これは、実現可能だろうか?指紋認証、虹彩認証、そして顔認証がどんどん実用化する昨今、そこにある形態を解析して分類する作業は、おそらくコンピュータに任せられるようになるだろう。だから、実現可能だ。病理医が、仮に、「プレパラートを見て、この病気はこういう名前ですと言うだけの仕事」であったならば、いずれ確実にAIによって、とってかわられるだろう。
2.細胞の形だけではなく、その裏に存在する遺伝子変異や染色体異常、DNAやヒストンのメチル化の違いなどを判断するシステムについては、どうか? 今や、病気の元となった細胞については、形だけではなくて、裏にある遺伝子まで検索しないと適切な治療ができない時代である。だから、病理医はしばしば、プレパラートだけではなくて、遺伝子解析の結果にも口を出す。これも、いずれは自動化するだろう。むしろコンピュータ解析の独壇場である。無数に存在する遺伝子のどこがどう変わったかを見極めるのは、そもそも人よりも機械のほうが向いている。
3.病気を、どのように分類したら、現場にとって一番役に立つだろうか。どういう分け方が、患者さんにとって一番利益をもたらすだろうか。いろいろな仮説を立てて、この病気とこの病気をひとくくりにして同じ治療をしたらよい、とか、この病気はある遺伝子の変化ごとに何種類かに再分類したほうがよいとか、そういった「分類方法を考える」こと。学会などがさんざん取り組んでいる。有識者、お偉方、業界の権威が、何度も何度も顔を突き合わせては、日々、妥当な分類を考えている。さまざまな分類方法を「仮説」として用意して、どの仮説が一番妥当かを探す作業。各方面にお伺いを立てながら、いくつも考えられる分類のなかから「これぞ」という分類を選ぶ作業。病理医として駆け上がっていくならば、いつかはこの「分類を考える学者」にならなければいけない、とは思う。実は、これこそ、AIの得意とする、AIが今後やっていかなければいけない世界なのだそうだ。「複数の仮説の中から、どれが一番いいかを選ぶ」。これを繰り返すのが、そもそもAIなのだそうである。
調べれば調べるほど、遠い未来……というか、そう遠くもない未来に、多くの領域で、病理医がAIに勝てなくなるであろうことが予想される。人間が用済みになる未来が思い浮かぶ。
そして、細かく考えれば考えるほど、病理医以外のあらゆる医者も、必要なくなるのだろうなあ、という気がしてくる。
患者の話を聞き、診察をし、検査値を考えて、画像をオーダーし、治療を考えるという一連の知的作業は、すべて、いずれはAIで代替可能なのだ。だったらあらゆる内科医は必要なくなってしまう。
外科医は必要だろうとか、心臓カテーテルをやる循環器内科医は要るんじゃないかとかとか、救急の医者はいつまでも必要だろうと考えてみても、結局これらの中の「知的作業」をAIが変わってくれる未来では、そもそも、「医者が高学歴であることが必要がない」。必要なのは知的作業ではなくて、体力と気力になってくるからだ。脳を使う作業はすべてAIがやってくれるとなると、外科医だろうが救急だろうが、別に医学部を出ている必要はない。AIの示した手法を、判断早く、正確にやれる「職人」を育てておけば、医学部で6年間も勉強する必要はなくなってしまう。
将来的には、医者という仕事が消滅し、「医術士」のような極めて体育会系の仕事が新たに登場するのかもしれない。
「AIが発達したら一番さいしょになくなるのは病理医でしょ? だったら病理には進みたくないな」みたいなことを言う医学生に、たまに出会う。
大丈夫、病理医が必要なくなった未来では、そもそも医者自体が必要なくなっているんだよ、と答える。
「まさか! だって、切ったり縫ったり、処置をする医者はぜったい必要でしょう? 病理みたいに、脳しか使わない科と違って、ふつうの医者はいろいろ手を動かすんですから、なくなるわけがないですよ」
という人がいる。
手を動かすだけの仕事のために、わざわざ医学部で6年間も勉強して、大学を出てから研修を5年もやると思う? 病理が全く必要なくなるほどAIが発達した未来には、医者という職業自体が必要ないんだよ、と思う。
けど、これをそのまま伝えてしまうと、なんだか、医者って何なんだろう、とむなしくなってしまう気がして、ぼくは、少しだまって、下を向く。
どうもまだ、考える余地がある気がする。