実家に行ったら暖房が過剰だった。
セントラルヒーティング方式のパネルがきちんと稼働しているのに、追加で灯油ストーブが26度設定でがんがんと焚かれており、上にはやかんが2つ乗ってじわじわとぬるま湯を温めている。
久々に、真冬の室内で半袖で過ごす、という生活を過ごした。
よく、「北海道民は、冬こそガンガンに暖房を付けて、半袖短パンでアイスを食うんだよね!」などと言われることがある。我々北海道民はサービス精神旺盛なので、このような会話の際には当然、
「そうそう。ルームソックスがいちばん売れないのは北海道だから。」
とか、
「1年でいちばんアイスが売れるのは真冬だから。」
とか、裏の取れていない情報で話を盛り上げる。
しかし、実際、光熱費の中でもっとも節約が効くのは暖房費なのだ。高齢者が住んでいるならともかく、30代の男性が生活するのに、室温を高く保つ必要はない。十分に厚着すれば、外がマイナス10度だろうがなんとかなってしまうものだ。もっといえば、家には寝るためだけに帰ってくるような生活をしているなら、ふとんの中に入ってしまえば部屋が氷点下であっても大して問題はない。
むしろ、暖房を利かせすぎると部屋の乾燥のほうが気にかかる。それほど部屋をあったかくせず、どてら(ググれ)を着込んで零下の部屋に暮らす若い道民も多いのではないかと思う。
それはそれとして、実家に行ったら暖房が過剰だった。のどが渇くので頻繁にみかんを食べる。長い会話をするからさらにのどが渇くのでみかんを食べる。仏壇に自分の名前の載った本を備えたのでみかんを食べる。
みかんに飽きる前に正月が終わった。そういえば、普段、自分が過ごすうえで、フルーツをあえて買うようなことはなくなったなあと思い出す。
みかんを食べる日などない。
暖房を高く設定する日もない。
湯船に入ることもない。
何もかもが過剰だったんだな、実家というものは、そう思いながら、薄目に味付けされた夕食を過剰なくらい時間をかけてじっくりと食い、この過剰さから逃れて自分の世界に飛び込んだ今、果たして、自分は洗練された生活というものをしているだろうかと、研ぎ澄まされた暮らしというものをできているのだろうかと、考えてみたりもしたところ、「考えすぎでは?」と言われて、笑ったりもした。