ものすごくハイレベルなことを書こうと思う。このようにハードルを上げると、なんかかっこいいかなあと思ったんです。以上です。ではなんとなく普通レベルのことを書きます。
「病理診断という仕事は病理医に任せておけばいいので、臨床医をはじめとする医療者が多くを知る必要はない。」
これは、一つの真理である。
ところが、実は、多くの医療者が、「病理を勉強したい」と言う。
知人の外科医によれば、外科で働いている限り、どこかで必ず、病理を勉強したいという気持ちになるそうだ。まあこれはかなり意識の高い外科医の言う事なので、5割くらい引いて考えたほうがいいかもしれないけれど、多くの外科系医師は、キャリアの中で1度や2度は、病理のことを勉強したくなるらしい。
ほか、主に画像診断を行う科、腫瘍を扱う科にいる医療者なども、病理のことをもう少し勉強してぇなあと思うことがある、と聞く。
なぜだろう。
なぜ、みんな、病理のことを勉強したいと思うのだろうか。
ぼくが思うに、これは、おそらく、「自分が予想していた病理診断の結果と、実際の病理診断が、ずれていたケース」がきっかけなのではないかと思う。
すごくくだらない、たとえ話をする。
薄いレースのカーテンの向こうに、人影が見える。
だれだろう。
どうも、ちょんまげをしているように見える。腰には刀……? そばに、なんらかの動物を連れているようにも思う。
ああ、桃太郎かな。
桃太郎じゃないかな。
あなたは、そう考える。
そして、カーテンを開けてもらう。カーテンを開ける人は、「びょうりい」と名乗っている。
さて、何が出てくるだろうか。
カーテンを開けるとそこに、
①桃太郎がいた。
桃太郎だと予想して、桃太郎。大正解である。
……これが、「診断がばっちり合っていたケース」である。
カーテンを開けるとそこに、
②浦島太郎がいた。
「ああ、ちょんまげ! 動物はあれか、犬じゃなくてカメか。影だから、わかんなかったなあ。それにしてももう少し注意深く見ていたら、桃太郎と浦島太郎の違いはともかくとして、カメと犬くらいは見極められたかもしれないなあ。よし、今度はもっと注意深く見よう。」
……これが、「診断が少しずれていたけど、まあ、病理診断を見てから考えると、納得がいくケース」である。
カーテンを開けるとそこに、
③鬼がいた。
「こ、これはやばい……ちょんまげとツノの区別がつかなかったのもやばいけど、うーん、正義の味方と悪者を間違えてしまったのはまずい。意味が正反対だ。まいったな。」
……これが、「診断が大間違いだったけど、まあ、カーテンを開ける(病理診断をする)ことで、間違いは防げるなあと、反省するケース」である。
カーテンを開けるとそこには、
④ムーミンがいた。
「えっなんで……シルエットからまるで想像できないんだけど……。
えっ……どうして? ぜんぜん、えっどういうこと? ちょんまげは? ないの? あっちょっとまだカーテン閉めないで! 待って待って! さっき横に何か犬みたいなのいなかった? えっムーミンてちょっとどういうこと」
……これが、「誤診の原因がすぐには考え付かないほどに、当初の診断と病理の結果とがずれていて、しかもなぜその間違いが生じたのかよくわからないケース」である。
診断という仕事をしていると、「自分の診断」が少しずつずれているケースに、まれならず遭遇する。その「ずれ」の多くは、患者さんや診療そのものにはあまり影響がなかったり、ずれていてもすぐに補正できたりする。
病理診断は、この「ずれ」をきっちりと正してくれる強力なツールである。上の例えで言うと、病理診断は
「カーテンの向こう側を見せてくれる」。
「どうせカーテンを開ければ診断が待ってるんだからさ、ま、カーテン開けるのは病理医に任すわ。俺ら、予想だけするから。」
と考える医者もいなくはないのだが、たいていの医療者は、
「桃太郎だとばっかりおもってたのにムーミンだったよ……なんでだよ……どういうことだよ……」
という疑問を持つ。
だから、たぶん、「病理医がどういう仕事をしているのか、どうやってカーテンを開けているのか」を知りたいと思うのだろう。
さて、カーテンの開け方を聞かれた人間は、2通りの返事ができる。
「カーテンはこうやって開けるんですよ~」
と、カーテンの開け方だけを教えるやり方。
もうひとつは、
「カーテン越しだとこう見えたんですか、なるほど、それはきっと、この影がこう映ったからですね。カーテンの横から見てると、またちょっと見え方が違うんで、その錯覚の原因もわかるんですよ。」
と、カーテン越しクイズに自分も参加するやり方だ。
どちらが、お互いにとってメリットがあるかというのは、ケースバイケースではある。
しかし、たぶん、こっちの方がいいんだろうな、という予想もある。
さあどっちの方がいいと思いますか。普通レベルの質問です。