2017年6月8日木曜日

病理の話(87)

医学部の6年間、どのように学ぶかというのは、大学によって少しずつ違うようだが、最初に学ぶ「医学らしい講義」は解剖学である事が多い。

このことは、部活・サークルの先輩からの「申し送り」でもよく触れられる。



ホワン ホワン ホワン メムメム~(回想に入る音)



「まずは解剖からだなーがんばれよー後輩ー」

「はいがんばります!」

「まあノート貸してやっから」

「はいありがとうございます!」

「でもな、ほんとは解剖ってな、卒業して10年くらい経ってから、すげぇやりたくなるんだと」

「どういうことすか」

「いや、つまりな、医学部の2年とかでやるけどさ、どうせ卒業するころには忘れちゃうんだよな」

「そりゃ普通そうでしょうけど」

「でも、忘れてからしばらくして、あっ、もう一回、今こそ解剖やりてぇ! って時期が来るんだと」

「ま、マジすか」

「現場に出て、はたらきはじめて、医学とか医療のことがだいぶわかるようになって、はじめて『あっ、あそこの血管をすげぇ見てみてぇ!』ってなるんだって」

「はあ、血管」

「ほら、はあ血管、ってなるだろ。それが普通だよ。解剖っつったらさ、普通はさ、心臓がどうとか、肺がどうとか、筋肉がグロいとか、そういうイメージじゃん」

「ていうか系統解剖ってそういうもんじゃないんすか」

「いやな、現場で働き始めるとな、どこに何の臓器がある、みたいな『医療者の常識』レベルの解剖知識じゃなくて、もっとすげぇマニアックな、血管や神経の走行とか、胆管と門脈と膵臓の関係とか、尿管と後腹膜の関係とかさ、どの動脈がどこから分岐して、それにはどれだけのバリエーションがあるとか、そういうのをめちゃくちゃ知りたくなるんだと」

「なんすかそれ」

「胸腔内穿刺するならこことここを避けなきゃだめだ、それはここに神経が走っているからだ、とかさ」

「ま、マニアック……」

「そうなんだよ……」


メムメム~



で、まあ、なんかみなさん見飽きたであろう「会話形式」のブログを書いてまで何を伝えたかったかというと、

「病理学」

というのもまさに解剖学と一緒なのである。

学生時代に学ぶ病理学は、医療のことも医学のことも事実上なにもわかっていない素人に、「学問としての医学」を叩き込むついでに教え込まれるもので、それはもちろんすごくアカデミックで重要な情報をいっぱい含んでいるんだけど……。

病理学つまんね、病理医になんかなんね、そう心に決めて臨床医になった人のうち、実に1/3の人々は、10年後、15年後くらいから急に病理を学びたくなってしまうのである。たとえば、がん診療に携わる人。放射線科で診断をする人。とにかく手術をする人。今あげた人々は、必ず言うのだ、「病理をもっとちゃんとやっておけばよかった……」。

正確には、学生時代の純学問的な病理学をいくら極めていても、臨床医になって10年もすると、もっと「実践的な病理」を学びたくなる。




病理学は、細胞がどうとか、核がどうとか、顕微鏡で見てどうとか、遺伝子変異がどうしたとか、メチル化がどうしたとか、そういう話がとにかく「すべてのキホン」なのだ。けれど、あくまでこれらは「とてもたいせつなキホン」に過ぎない。

解剖学で、学生時代には気にも留めなかった血管の走行が、臨床医になってから妙に気になるのといっしょで。

病理学では、学生時代大事だと思っていなかった「病気の肉眼的な形状」とか「細胞どうしの繋がり方」とか「腫瘍の周りに起こっている間質の反応」などが、臨床医になると途端に見てみたくなるのである。知りたくなるのである。



今、書いてて思ったんだけど……。


勉強には、「何の役に立つかわからない時期の勉強」と、「役に立てようと本気になっている時期の勉強」とがあって、それぞれの時期で学べる内容ってのはだいぶ違うんだよなあ。

そのことを知っていて、なお、「学生時代の講義をおもしろくできる人」というのがいたら……。

その人はきっと、とてもすごい人なので、ぼくは、そういう人の講義を聴きに行ってみたいなあと思うのだ。

幾人か心当たりがある。来年あたり、潜り込んでみようと思っている。