思えば自分のルーツとなっている音楽を探すと、それはたいてい、大学生の頃に聴いた……いや、正確には「見た」ものに端を発している。
大学3年生の夏までの間、ぼくは実家から大学に通っていた。実家には年老いた祖母がいて、テレビが好きな祖母のために父はケーブルテレビを導入した。
ケーブルテレビではちょっとエロい映画などやっているかと思ったが、そういうのは追加料金を払わないと見ることができなかった。
欧米のサッカーなどを見て悦に入ろうと思ったが、同級生や先輩にサッカーオタクがいて、バルセロナをすぐバルサと発音してイキるのを見ていると、海外サッカーにのめり込むのもシャクに思えた。
だから音楽を見た。プロモーション・ビデオ(PV)というのをそこで初めて知った。
宇多田ヒカル、ドラゴンアッシュ、BONNIE PINK、椎名林檎などが次々といかしたPVを発表していた時代、CDを買わなくても音楽が聴けて、見られることにぼくは興奮した。
あるとき、「ゆらゆら帝国」なるバンドや、「NUMBER GIRL」なるバンドを見て、ぼくはびっくりした。こいつら歌べつにうまくはないよな。でもかっこいい。
ぼくはバンドミュージックの世界に、映像から入った。ライブハウスから入るのが本当はかっこよかったんだろうけれど。
YouTubeやSNSなどで、いくらでも無料のプロモを見ることができるようになったぼくは、音楽にしても書籍にしても、かつてと同じように「無料」という門戸から入って、知り、買う……。
ケーブルテレビにも視聴料がかかっていたから、正確には無料じゃないんだけど。
ま、ネットだって使用料を払っているわけで……と、エクスキューズを取り回す。
同じ、同じ。
ただ、ひとつ、違うこともある。
昔のPVは、検索して見たいモノを見るのではなく、向こうが流してくれるものを順番に見ていたから、H jungle with Tにしても、モーニング娘。にしても、いつしか歌詞を暗記してしまうくらいに、よく見た。
今は、ぼくは、検索をするので、見たいものしか見なくなってしまった。
能動的に生きられるようになったのだ。
いいことであるけれど。
能動的な情報収集は、受動的な情報収集には、「広さ」という意味ではかなわない。押しつけられた情報の中に、輝く「まさかの出会い」があった。
「深さ」ばかりを知り続ける毎日がちょっとずついやになってきてはいる。
結果、ぼくは、今、ラジオをよく聴くようになった。
ラジオでは、聴きたくもない曲が、聴きたい曲と共に、ずっと流れている。これは本当に効率が悪くて、ちっとも情報が深まらない。
けれど、その広さが心地よくなってきたのだった。
昔、NHK_PR1号が、「ツイッターはラジオに似ている」的なことを書いていた。その意味は、「DJと視聴者とのやりとり、リスナーからのお手紙をDJが読む的な関係」にあったのだけれど、ぼくは今、別の意味で、「ツイッターをラジオとして使うとおもしろい」ように思い始めた。
リストにこだわりすぎるのをやめようと思う。
もっとタイムライン全体をぼうっと眺めてみようと思う。
「思いも寄らなかった領域との出会い」が、自分の20年後を支えているかもしれない。例えばぼくにとって、Bloodthirsty butchersというバンドとの出会いは、まさにそうだった。
ネット検索でブッチャーズに出会ったところで、まず、いい曲だなんて思わないだろう。ぼくはケーブルテレビが暴力的に押しつけてきたブッチャーズのおかげで、今、心の一部を保っているのだ。