書き終わったブログの記事をまるっと消した。
タイトルは「途切れた日の話」で、今年のはじめころにぼくがすっかりやられてしまったときのことを書いていた。
けれど、書き終えて、読み終わって、ちっともおもしろくなかった。だから消してしまった。
もう20年ほど前になるが、自分でホームページを作っていたころは、書いたものはすべてネットに載せていた。妙に浮かれた日もあれば、中二病そのものの落ち込み方をした記事もあったと思う。
読み返すことはほとんどなかった。バックナンバーだけがどんどんたまっていった。
300、500と記事が増えて、700くらいになったころ、大学院に入ったあたりで、更新がなかなかできない日が続いた。そして、あるとき、自分でもすっかり忘れてしまっていた記事を、いちからすべて読み直してみようと思いついた。
20個くらい読んでやめてしまった。
ああ、何かを書き続けて、それがログとしてずっと世の中に残って、それでもまだ読まれ続けている人と、自分とがどう違うのだろう、そう考えて、思い至ることがあった。
暗すぎるとだめだな。
明るすぎてもだめだけど。
ほどよい中間の、というか、中盤をしっかり守るボランチみたいな文章をきちんと書いている人の話は、いつ振り返っても、どこからでも読み直すことができて、その都度新しい発見があるけれど。
どこかに向かって尖ろう、尖ろうとするあまり、横も後ろもなんにも見ていない、二世代前のVRみたいな残念な一人称視点の話というのは、とかく、読みにくい。
さっき書き終えたブログの記事は、そういう記事だった。
ふと足を止めて、周りを見回して、鳥の鳴き声を身にしみこませたり、遠くの山を写真に撮ってみたり、足下のタンポポをよけてみたり、そんなかんじの、「静かにきょろきょろしている人」くらいの文章に、ぼくはあこがれるし、そういうのを書こう書こうとこれから20年やってみて、ようやく誰かに読んでもらえるものができるのかもしれない。