多くのおじさんがツイッターを発信に使い続けている中、10代の人間はツイッターアカウントに鍵をかけて、主に芸能情報などのニュースを集める、すなわち受信に使っているのだという。
ツイッターというツールは情報の受信にこそ向いているようだ、というのは、かつてNHK_PR1号が書いていた。
ぼくの実感としても、ツイッターは、情報収集にこそ向いている。それも「世の中からこれがよいと勧められる情報」ではなく、「自分でこれがよいとジャンルを偏らせた情報」を集めるのに便利だ。
そういうことに、おじさんたちが気づくのに10年ほどかかったし、まだ気づききっていない。
けれど、10代の人間はすでに、誰から教わるでもなく、「効率的なSNSの使い方」をしている。
発信と自己顕示はインスタ、受信はツイッター。極めて合理的だと思う。若者の適応力というのはすばらしい。
と、ここまで書いて、そしたら、10代の人間が受信するための情報は誰が発信するのか、という話になり、10代の受け手がいっぱいいるツイッターではおっさんが送信役に回り、10代の送り手がいっぱいいるインスタグラムではおっさんが受信役に回る、これこそが需要と供給の一致ではないか、という仮説を打ち立てる。
セッツァー風に言うと「大きなミステイク」であることにすぐ気づく。
10代の人間が受け取りたい情報は、おっさんからの情報ではない。
10代の人間が自分を見せたいターゲットは、おっさんの目ではない。
需要と供給はまったく一致していない。仮説は棄却される。
おっさんであるところのぼくは、誰に向けて情報を発信し、誰から情報を受け取れば、世間に迷惑をかけずにやっていけるだろうか。
ぼくが日頃エアリプでやりとりしている相手の99割が、おっさんである(やりとり相手がすべておっさん+その9倍くらい周りにもおっさんがいる、の意味)。
「SNSおっさん」は、狭いクラスタの中で、有象無象のバクテリアにまみれて、その形態をじわじわ変えていく存在である。人の役に立つ変化だった場合には「発酵」、人の役に立たず害をもたらす変化だった場合には「腐敗」と呼ぶ。
火入れ(炎上)をすると発酵が止まる。まるで日本酒のようだ。
アルコール添加しても発酵が止まる。まるで日本酒のようだ。
お酒の発酵には適度な管理と行政の締め付け、職人の目、運、天候、水、さらに、半可通的な買い手・飲み手が大量に必要となる。
日本酒のブームは来たり来なかったりする。ビールには勝てない。
おっさんは酒なのである。10代にはおすすめできない。
ぼくは普段から、「昔にもどりたい」とは全く思わない人間なのだが、今ひさびさに、10代に戻りたいかなあと思った。
10代に戻って、真新しい気持ちで、ツイッターを使い始めてみたい。
そしたらぼくらおっさんは、どのように見えるのだろうか。
赤ら顔、千鳥足、無色透明な、くさい存在。ときどき楽しそうにしている。