プレパラートで病気の細胞をみるとすべてがわかるのか、というと、そうではない。
病理組織診断がもっとも苦手とするのは、ダイナミズムの診断……「血流」の診断である。
病気を顕微鏡でみるとき、プレパラートには、ホルマリンという液体で固定され、パラフィンという物体を浸透させた、4μmという激薄ペラペラの組織が乗っている。
この組織は、もちろん、既に生きてはいない。生体内にあったときとほとんど同じ「配列」で、細胞が乗っかっているけれど、これらの細胞はもう活動していない。そして、もちろん、血流も流れていない。
これが実はけっこう問題なのである。
現代の画像診断の半分くらいは、「血流」というダイナミズムを用いて診断しているのだ。CTにもMRIにも超音波にも、さまざまな「造影剤」が用いられ、病気の中にどれくらい血液が入り込んでいるのか、どこにどのように血が分布するのか、使い終わった血液がどのように排出されるのかという、「血行動態」を細かく診断する。
たとえば肝臓ならば、肝細胞癌というがんは
・すごいスピードで動脈から病変の中に血液が流れ込み
・すごいスピードで病変から血液が外ににじみ出てくる
ということがわかっている。これに対し、同じ肝臓のがんであっても肝内胆管癌というがんの場合は
・じわじわと病変のふちから内部に血液がしみ込み
・そのまま病変の中でしばらく滞留、あるいは拡散して、なかなか出てこない
という動態を示す(ざっくり書きました。ほんとはもっともっと細かい)。
これらの違いによって、放射線科医や内科医、外科医は、肝臓のがんがどのような性質であるかを予測して治療に臨む。
いざ、採ってきた病変を顕微鏡で見る。細胞を見て、これは肝細胞癌だな、とか、これは肝内胆管癌だな、と、病理医が診断を下す。
そこで臨床医から電話がかかってくる。
「先生、あのね、この人、肝細胞癌だろうなと思って手術したんですけど、病理では肝内胆管癌だと診断されました。でも、画像でみると、病気の中に血液がすごく早く入り込んでいるんですよ。なんででしょう? どうして、肝細胞癌っぽく見えたんだと思いますか?」
ぼくは考える。血流か。
顕微鏡を見る。
……そこには、もはや、血流はない。
プレパラートの中では時間が止まっているのだ。「流れ」を見ることは極めて難しい。
しょうがないので、血管の分布、配置、太さ、性状を調べて、「おそらく生体内ではここにこうやって血液が流れていたんだろうなあ」という推測を繰り返す。
考古学の世界では、地面を掘り返したら穴の痕跡が見つかって、そこから竪穴式住居の存在に気づく……みたいな推測を行う。すでに時の彼方に消えてしまっている「過去」を推測するには、極めて精緻な推測手法と、言語化しきれない勘、そして語り部の説得力とが必要なのだ。
病理で血流をみるとは、すなわち、そういうことなのである。ぼくがしばしば、主に人文系の研究者が用いる論説形成法である「アブダクション(仮説形成法)」という言葉に敏感に反応するのも、病理にどこか考古学的な香りを感じているからなのかもしれない。