2017年6月22日木曜日

病理の話(92) 食材は加味してナンボの料理学

病理診断では、細胞の顔付きを見て、病気の正体をあばく、という。

しかし、この言葉は、正確ではない。いくつか例をあげて説明する。




1.患者さんが病院に来た、50歳代の女性である、しこりが胸にある、画像ではしこりがいびつに見える、周りにしみ込んでいるように見える、だから臨床医は「がんの可能性が高い」と考えている。

2.そこで胸のしこりから細胞を採る。出てきた細胞が「悪性」としての性質を持っている。

3.病理の結果は、臨床情報が強く疑っている「乳がん」を支持する。だから、乳がんであると確定診断した。



以上の文章を読んで、「おお、病理のおかげで確定診断が出せた」という感想が出る。……9割は間違っていないのだが、1割、間違っている。

実は、確定診断の過程において、病理で細胞をみたことが「決め手」にはなっているのだが、「それが全て」ではないのである。

別の例を出そう。



1.患者さんが病院に来た、50歳代の男性である、腕が腫れている、画像では皮膚の下のほうにしこりがある、いびつである、周りにしみ込んでいるように見える、だから臨床医はがんの可能性があると考えている。

2.腕のしこりから組織を採取する。細胞は、「悪性」の性質を示している。

3.では、皮膚の下から出た「がん」だと確定してよいだろうか?


さきほどの乳腺のときと話はとても似ているのだが、違いがある。

臨床医が「がん」をどれだけ強く疑っているかが、違う。

乳腺の例では、臨床医は乳がんを一番強く疑っていた。

しかし、腕の例では、臨床医は実はひそかに「結節性筋膜炎」の可能性を頭に入れている。

結節性筋膜炎という病気は少し珍しいのだが、がんではないのに、細胞の顔付きが妙に「がんっぽく見えることがある」という特徴を示す。

つまりは、細胞を見て「なんか悪そうな細胞だな」と思ったからと言って、すぐに「がん(軟部の悪性腫瘍)です」と診断してはいけない。



臨床医も、病理医も、どちらも!

見るべきは細胞の顔付きだけではない。

病気が出た場所、患者の年齢、病気の見た目、症状、統計学的な知識などから、「この病気とこの病気が疑わしい」と、ただしく「この人にとって、ありえそうな病気」を列挙した後に、はじめて細胞の情報を加味する。

加味するというのがポイントだ。




臨床情報というのは食材である。肉であり野菜である。正しくカットして熱を加えて、おいしい料理(医療)に仕立てていく。

料理の最中に、例えば味を際立たせるため、例えば味をしみ込ませるため、例えば料理の完成度を高めるために、塩こしょうをはじめとする多くの調味料を、「加味」する。

病理の細胞形態学というのは、この、調味料のような役割をしている。

食材そのものではない。

食材の性質を見極めてはじめて、ここで塩を入れると味がひきしまるとか、ここで酒を加えると肉がやわらかくなるとかいった、調味料の利点を発揮できる。

加味するのがポイントだ。加味の仕方があるのだ。



細胞だけ見てわかるというのは幻想である。

病理医のやっていることは、「細胞の理(ことわり)」を見ることではない。

「病気の理(ことわり)」を診ることだ。

ぼくらはみな、細胞だけではなく、臨床そのものを診る。その上で、「調味料には誰よりも詳しくある」というのが職務である。



このことを知らずに病理と付き合う臨床医は、「チャーハンなんて最後に塩こしょうふれば食えるじゃん」的なニュアンスで、「病理はまあ細胞だけ見てくれればいいからさ」などという。

このことを知らずに診断を出す病理医は、「ぼくらに食材のこと聞かれてもわからんけど、クレイジーソルトかけとけばだいたい食えるよ」などという。



料理を知らずに病理を語るのは、よくない。