2017年6月13日火曜日

大人論を語るのは全員子供

仕事の合間に本を読んでブログを書いて、3DSやswitchをやって、あまり運動はしていなくて、外食はコンビニ系が多くて、という今の生活、たぶんぼくが高校生くらいの時に思い描いていた理想の生活なんだけど、それはなぜかというと、とりあえず、

「自分のやったことが自分の責任のもとに自分に結果として返ってくるということ」

が守られているからであって、ああ、大人になってよかったなあと思う。



昔から、自分で考えたことを自分で実行しても、何かやらかしたときにほかの大人が責任を負わなければいけない状態というのが、なんだか申し訳なくてしょうがなかった。

たとえばこの受験に落ちたら親が悲しむんだろうなあ、みたいなことが激しいストレスとなって首の痛みを引き起こしたりしていた。



今、ぼくが何かやらかしたら、ぼくがひどい目にあうので、ぼくはやらかさないようにしようと思う。

今、ぼくが何か失敗したら、ぼくが悲しい思いをするので、ぼくはなるべく失敗したくないなあと思う。

これらの思考が「あたりまえ」になるのに、ぼくの場合、生まれてから24年ほどかかり……。

いや、24年ではすまないな。

医師免許をとっても、最初から医師として責任もって働けるわけではなかったし。

大学院でちっとも研究がうまく行かない時期も、所詮は大学院生だったわけで、指導教官の評判が落ちるだろうなあというのを申し訳なく思っていたし。

病理専門医を取るまでの間、全ての診断はボスのチェックを終えてからじゃないと出すことができなかったし。



……今でも、診断はダブルチェック(自分が見たものを誰か他の人にチェックしてもらう)だけど、かつてに比べると、だいぶぼくは、自分の仕事、自分の言葉に、自分ひとりで責任を負わなければいけないようになった。

まだ医師15年目だけど。そろそろ、ひとりでしっかり責任をとる場面も出てくる。



ぶっちゃけ、この瞬間を待っていた。ずうっと、待っていた。

責任は重いし取りたくない。けれど、自分のした何かのせいで、ひどく重い責任を、誰か他人、それも大事な他人に負わせなければいけなかった、今までのほうが、ずっとつらかった。



そうか、ぼくは、だいぶ大人になりたかったんだなあと思う。