2017年12月29日金曜日

忘年のゆくえ

今年はとうとう忘年会に出られなかった。でも、今年あったことは無事忘れているから大丈夫。会に出なくても忘年はできる。

ま、お世話になった人たちと目をあわせて、おつかれさまおつかれさま、とやることはいいことだ。出られるときは、出る。

けれど、正直にいうと、最近人と会って飲むことがとてもめんどうになった。

さまざまな仕事の予定があって忘年会には出られなかった、それは本当なのだが、最後、出られるはずだった忘年会のひとつは、体調不良を言い訳に欠席した。

無理すれば出られた。

けれど、出なかった。

いい人ばかりいる職場である。ほんとうは飲んで話して楽しくすごせた。




「誰かに話したかった胸の内」みたいなものを、ぼくはさんざんネットに放ってしまっていたから、いまさら飲み会で話す目新しい話題がない、という理由もある。

挨拶もお礼もメールで済ませてしまっているし、直接会ってどうこうというのにこだわらない、という理由もある。

懇親は、若い者どうしの方が盛り上がるだろう、と思っているのも事実だ。




いろいろな理由を思い浮かべている。

けれど、たぶん、「理由がないと安心できない」という理由があったからこそ出てきた「理由」だ。

どれも本当のことではない……本当のことなのかもしれないが、それはきっと大切なことではないと思う。




今朝、若い検査技師がぼくを呼び止めて、「先生の腰は大丈夫ですか? わたしさっきから急に腰がいたくて」と話し掛けてきた。

ストレッチが効くから試してみたらいいよ、しびれはないかな、同じ腰痛と言っても原因が違うと対処が違うから、一度みてもらったほうがいいかもねと短く伝えた。小さな感謝を得た。自席に戻った。

必要十分な伝達を終えた瞬間に会話が終わる暮らし。

慣れてしまっている。

ああそうか、最近のぼくに足りなかったのは、食材を大量に買い込んで、大量のゴミを出しながら、濃厚な食事を作って、後片付けで気が遠くなる、けれど楽しかったしおいしかったね、あはは、みたいな暮らし。





無駄なことはしない、とか、効率よく、とか、つまらないったらない。





ツイッターばかりやってないで勉強をしなさい、という言葉がずっと頭に響いている。

今日、7万円を振り込んだ。教科書代である。ぼくは勉強にはげむ。

そうしないと何も忘れることができないのである。




※次回更新は1月4日(木)の予定です。本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

2017年12月28日木曜日

病理の話(155) 名前をどこまで細かくつけようかというアレ

病名を付けるというのは病理医の仕事の中で最も重要なポイントである。

つまり! 結局! これは、がんですか! がんじゃないんですか!

そういう質問には力がある。

回答も力を持つ。

「はい、がんです」

もうここで臨床医も看護師も患者もみんながっかりするわけである。




しかし、実際に「患者の明日」に影響するのは、「どんながんか」であり、「どれくらい進行しているか」である。

「がん」という病名だけでは、ほとんどのことを予測できない。




ひとくちに「がん」と言っても。

腺癌(せんがん)と、扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)と、神経内分泌癌(しんけいないぶんぴつがん)では、効きやすい薬がまるでちがう。



じゃあ、腺癌であればだいたい共通した薬が使えるか? それも違う。

肺の腺癌と、乳房の腺癌は、どちらも「腺の性質を持ったがん」だが、性質がまるで違う。効く薬も違う。




それなら、肺の腺癌であるとわかれば、ほぼ挙動が予測できるか? 残念ながらこれも間違いだ。

Lepidic growth pattern優性の肺腺癌と、acinar pattern優性の肺腺癌。これらの悪性度(命に影響を及ぼすつよさ)は同じではない。




だったら、だったら、肺のacinarタイプの腺癌である、とまでわかれば、もう全部予測できるか? まだまだ。

浸潤部が1cm以内で、臓側胸膜に染み込んでいない場合と、浸潤部が3cmを超えていて、臓側胸膜にも染み込んでいる場合では、予測される将来像が異なる。




うん、わかった、そしたら肺のacinarタイプの腺癌で、1cm以上2cm未満の浸潤部を要し、胸膜には浸潤していなくて、リンパ節転移も肺内転移もない、までわかれば、患者が将来どうなるかを予測できるだろうか?

……いくらなんでもここまで細かく見れば、予測できるだろうか……?



いいせんいってる。

けど、これでも足りない。

この肺癌が、EGFRという遺伝子に変異を持っているか、ALKという遺伝子の関与する融合遺伝子を有しているか、ROS-1遺伝子に変異があるか……。

PD-L1ががん細胞の表面に発現しているか……。

まだ見つかっていない遺伝子変異も含めて(!)、遺伝子・タンパクレベルでどのような性質であるかを観察しないと、世にたっくさん存在するどの抗がん剤がよく効くかが、わからないのだ。







これらを緻密に、もらさず検索することこそが病理診断の仕事である。病理診断の仕事とは、細胞をみてあーおもしれぇなー不思議だなーというだけに留まらず、どこかで必ず、

「患者がこの先どうなるか、どういう治療をしたらいいか」

を推測するための手段でなければいけない。




いつもいつも推測できるとは限らないし、推測するにしても幅が大きい。話も長くなる。だって今日の記事にしたってずいぶん長いだろう。

けれど、患者や医療者が「じっくり」話を聞いてくれないと……。

「がん」というところに心を奪われてしまい、「どういうがんか」を聞き漏らしてしまうと……。





だからぼくらは、「伝える技術」を学び続けないといけないのだと思う。今まで以上に。

2017年12月27日水曜日

伝統の巨人戦

Windows updateがあるたびに少しずつアプリが不具合を来すのがおもしろい。

どんなアプリも「末永く」使ってもらうことを想定していただろうにな。

よく言われることだが、写真をきちんと紙に焼いてアルバムに入れておけば何年も取り出して眺められたのに、うっかりPCメディアに入れて置いたら時代とともに見られなくなってしまった(例:MO)、なんての、人とメディアの戦いの縮図みたいだなあ、と思う。

一方的にPCメディアが悪い、みたいに書くのもほんとうはへんだ。

紙の写真にしてしまっておいたはずが、引っ越しのどさくさにまぎれてアルバムごと紛失してしまった、大掃除の末にどこかに消えてなくなってしまった、なんて人だっていっぱいいるだろう。

人は記憶を手に入れたことで、忘却と戦わなければいけなくなってしまった。

代替保存先が紙だろうがPCメディアだろうが、忘却は容赦なく襲いかかる、ただそれだけの話、のようにも思う。



ワンピースの中で「人が死ぬのは忘れられたときだ」というセリフが出てきたとき、世界各地で何度も何度も語られた言葉であったにも関わらず、おそらく数百万オーダーの人々が「名言だ」と言った。ぼくも名言だと思った。

けれど人類は歴史の中で何度も「忘却こそが死である」というブンガクを残してきていたはずだ。

これだってひとつの忘却の形なのである。人間が寄り集まって社会を作り、社会がこねくりまわして文化を創り、歴史を織りなしていっても、社会がアップデートするたびに、歴史が刷新するたびに、かつて残した文学の記憶が失われていく。何度でも繰り返される。いつも人は、過去に言われていたであろうことに新鮮な感動をする。




忘却があるからこそ文芸は生き延びていける、と極論することもできる。

人類の英知が、巨人の肩の上に完全に乗っかっていたら、後世の人ほど新鮮なわくわくを感じることはできなくなってしまう、かもしれない。

巨人が常に膝から崩れ落ちているからこそ、人は高いところに登った喜びをいつも感じることができるのかもしれない。





その点、科学は不便である。

巨人の肩の上に立つということは、遠視でなければ生きていけなくなるということである。

科学に忘却は許されない。けれど、ぼくらは、科学を語るときにいつも、人類の総和としての知を忘れそうになるのだ。

2017年12月26日火曜日

病理の話(154) 病理は新たな地図である

子供の頃はぐんぐん知識を吸収するのに、大人になると新しいことを覚えられなくなる……という、「呪い」のようなものがある。

この理由を、「脳の成長や衰え」で説明する人もいるのだが、ぼくはちょっと違った説明を考えている。




子供の頃の脳。最初は、知識や知恵をどのように仕入れていくか。

地理で例えよう。まずは、「東京」の知識をぐんぐん仕入れていく。

山手線を覚える。京浜東北線を覚える。

メトロを知る。首都高を認識する。

23区だけが東京ではない。国立がある。八王子がある。青梅がある。小笠原諸島なんてのもある。



これが、成長するに従い、やがて東京をはみでて、埼玉を知り、神奈川を知り、千葉を知り……。

知恵のフィールドがどんどん大きくなって、少しずつ知恵の深度も深くなっていく。



成人する頃には、日本全土のどこに何があるかを、おぼろげにわかるようになっている。

一度、ある程度の地図が頭に入ってしまうと……。

実は、そこから、「知が増える快感」を得るのが、少し難しくなってくると思うのだ。




かつては、東京の外に埼玉があることだけで喜べた。

千葉に空港があると知るだけでわくわくした。




けれど、いざ全国を見てしまうと、今度は岩国に空港があろうが、新青森に新幹線の駅があろうが、

「ま、そうだろうなあ」

と、ちょっとした「当たり前感」を覚えてしまう。

ローカルな知識は、いつしか、雑学とかトリビアの箱に入れられてしまう。

新鮮みがなくなるのだ。

ありがたみもなくなってくるのだ。





何かを学ぶことに、「雑学感」が出てしまうと、人間の勉強というのはとても効率が悪くなる。

「そんなことはないぞ、私は雑学をおぼえるほうが好きなくらいだ、むしろ学校の勉強よりよっぽど覚えやすい!」

という人も一定の割合でいる。

ただ、雑学というのは、同時に複数のジャンルをおさえることが極めて難しい。

歴史と軍隊に詳しいオタクが、昆虫にも詳しいことはまれである。

広い領域を犠牲にして、一部の深度だけを深めることを選ぶならば、人間はいくつになっても学んでいけるのかもしれない(ただしここには向き不向きがある)。

しかし、「日本全国をまんべんなく」学び続けることは極めて難しい。





今日は「病理の話」の日である。以上の話が、病理の何と関係するというのか。





病理というのは、多くの医療者にとって、「マニアック」な、「雑学的な」、「オタク的な」ものだと思われているふしがある。

地図で例えるならば、北海道の、それも宗谷岬とか、知床岬みたいな、「端の端」だと考えられている。

病理は、出来る人だけがやればいい枝葉末節である、と思われているように思う。





でも違うのだ。

病理というのは、ぼくに言わせると、「あらたな地図」だ。

そもそも病理学というのは、医療を俯瞰する視点であり、生命科学や診断学に通底する概念なのである。

あらたな地図が、たたんだ状態で、置いてある。

それを開かないままに、「もうローカルな地図をマニアックに覚えるのはいいや」と思っている人がいっぱいいる。

けれど、病理は、臨床医学という地図と同じくらいの面積を持つ、色違いの地図なのである。



Google mapで、「航空写真」と「地図」を切り替えると、同じ地域がまるで違ってみえるだろう。あれと一緒なのだ。




臨床医は、ふだん、日本地図を「航空写真モード」で眺めている。拡大縮小、思いのままだ。細かい建物も、大きな山も、すべて見える。

けれど、病理学を修めると、同じ地域を「地図モード」で眺めている自分に気づく。

国道がハイライトされる。電車の路線図が見やすくなる。色彩は失われるが、市町村の区分けはよりわかりやすくなる。




ぼくはこのことにはじめて気づいたときから、誰かに病理の説明をするときに、「枝葉末節の話だけをしてもだめだ」と思うようになった。

大人は、トリビアには辛辣である。よっぽどおもしろいエピソードと一緒に語らないと、細かくてマニアックな穴の奥深くの話には、なかなかついてきてくれない。

けれど、病理は新しい地図なのだ。

世界をまだまったく知らなかった子供の頃に。

地図を眺めて、隣にもその隣にも県が連なっているのだと、感動していたあの頃に。

戻ることができる。

あの頃に戻るような気持ちで、医学をいちから、全く違う視点で、語り直す。




「大人になって、脳も衰えてさ、最近ものおぼえも悪いし、新しいことなんか覚えていられなくなったんだよ。だから、今から病理の話なんてされても、わかんないよ」

こういう人にこそ、病理の話を伝えてみたいと思うのである。

2017年12月25日月曜日

ミゴーシャって書くとガンダムのサブヒロインっぽさがある

スポーツをせずただ観るばかりの人、に対する弱いあこがれがある。

高校卒業後、父と弟と三人で、野球を見に行った。東京ドーム、千葉マリン、そして甲子園。それぞれに雰囲気の違うスタジアムであるが、いずれにも実に満足そうな、実に幸せそうな観客たちがいた。

東京ドームでは勤め帰りのサラリーマンたちがビールを何杯も何杯も飲んでいた。

千葉マリンでは後ろの席の女性がずっと「キャーハツシバサーン」と叫び続けていた。

甲子園にはそろそろ立つこともままならなくなっていてもおかしくない、よぼよぼのご老人が、応援旗を振り回しながらときおり「ケェーッ」と超音波を発していた。

彼ら、彼女らをみながら思ったのは、「この人たちはおそらくバットもボールもろくに握らないだろうな」ということ。

「プレー(競技)しなくても、プレイ(遊)するものを手にしている、うらやましい人たちだなあ、ということ。



ぼくはあの日以来、多くのスポーツのルールを学び、見られる機会がある限りいろいろなスポーツを見てみたいと思った。

そして、なにかにつけて、こう言われた。

「頭でっかちなことしてんなあ」

「スポーツは見るよりやるもんだよ」

「にわかだな」

「できもしないのに解説者になりたいのか」



ぼくは少しずつ、スポーツを肴に酒を飲む相手は選ばなければいけないということ、スポーツを語ることは比較的うっとうしいのだということ、うっとうしがられて寡黙になった人たちがスタジアムでは楽しそうに声をあげていたのだろうなということ、などを肌で感じて蓄積していった。




観客で居続けるにはスキルがいる。

ある時間を「観戦」にあててもいいくらい、日常がうまく回っていること。

ひいきの対象が勝っても負けても、スポーツそのものを楽しめるだけの、知恵。

選手がときおり発する感情を共有できるだけの、知識。



ぼくは少しずつ、あの日のサラリーマンや女性の年を追い越し、あの老人に近づいているが、いまだにそれほど頻繁にはスタジアムに通えない。

今でも、スポーツをせずただ観るばかりの人に対する、弱いあこがれがある。

最近このあこがれを、スポーツに限らず、あらゆる職業、あらゆる創作物にも広げたらどうなるのだろう、ということを、ふと思いついた。

2017年12月22日金曜日

病理の話(153) 病理医はどこで働いてるのか

今いる病理医の「はたらきかた」が何種類かにわかれていることは確実。ただその比がよくわかっていない。いつか実数をきちんと把握したいなあとは思っている。けどどうやって調べたらいいのかわかんないな。

とりあえず、分類だけを済ませておく。


・大学・研究機関にいる
・一般の病院にいる
・検査センターにいる



これらをもう少しわける。


1.大学・研究機関にいる
 a) 主に研究をしている。生命科学の研究。遺伝子やタンパクを調べるなど。顕微鏡診断は全くしない
 b) 主に研究をしているが、それだけだと食えないので、顕微鏡をみて診断をするバイトをしている
 c) 主に研究をしているが、研究するために顕微鏡をみる必要があるので、自然と診断もしている
 d) 研究をするつもりではいるが、顕微鏡診断のほうに本腰が入っている
 e) 研究をあまりせずに顕微鏡診断をメインにやっている

2.一般の病院にいる
 a) 主に顕微鏡診断をしている。研究は手伝う程度で自分ではやらない
 b) 主に顕微鏡診断をしているが、たまに大学などと協力して研究にも参加している
 c) 顕微鏡診断をしているが、いずれ大学に戻って研究するまでの修行

3.検査センターにいる
 a) 主に顕微鏡診断をしている。研究はしていない
 b) 主に顕微鏡診断をしているが、昔研究をしていたので、ときどき研究に手を貸している



まあこんなかんじ。

えーと、ぼくは「2-b」になります。


書いてみると自分でも、おっ、と思うんだけど、病理医はたいていの場合、「研究」をしている。今していなくても、生涯のキャリアのどこかでは大学と関わったり、研究をしたりしている。学者としての性格が強い仕事なんだ。

研究を全くしていない病理医は少なくて、たとえば検査センターにいたりする。けれど、そういう人もたいていは、昔大学でいっぱい研究をしていて、大学を退職したあとの第二の人生として検査センターを選んでいる、なんてパターンが多い。

「生涯にわたって、研究をほとんどしていない」という病理医の割合は、おもいのほか少ない。





ただし。

今、少しずつ、増えているように思う。

実数を把握しているわけではないけれど。

「病理診断学そのものが楽しそう」、というイメージをもって、最初から診断だけをするためにこの世界に入ってくる人が、増えていると思う。





昔だって、「診断が好きだから病理医になった」という人はいっぱいいた。けれどその人たちも、かつては大学への”ご奉公”みたいな制度があったので、たいていどこかのタイミングで研究をして、博士号をとっている。

博士号をもっていない病理医というのはかなり少ない。

でも、今この時代、はじめて、「大学に属さず、博士号に興味がなく、研究はせずに、病理診断だけをしたい人たち」が、増えてきたのだ。




このことは、病理医に限った話ではない。

臨床医は、病理医よりも30年くらい早く、この「転換」を経験している。

昔、臨床医もたいてい大学の医局に属していた。しかし、30年くらい前に医局制度がめちゃくちゃになり、今では大学とか研究にあまり興味をしめさずひたすら臨床に生きる医者が、だいぶあたりまえになった。

30年経った今だから、臨床医は、「研究しない人生」「大学にいないキャリア」を思い浮かべることができる。





しかし病理医はそうはいかないのだ。

治療も維持もしない、診断だけの医者。

ほんとうはここにもうひとつ、「研究」が加わってはじめて、病理医のアイデンティティは構築されてきたという歴史がある。

では、「研究」に生涯一度も触れずに診断をし続ける病理医というのは存在可能なのだろうか……。






ぼくは可能だと思う。

ただ、ぼくとて一度は研究の世界に身を置いていた。

研究の世界。すなわち、大学である。

ぼくより若い人たちが、大学を通過せずに病理診断学を究めようとするのをみると、なんとか応援したいと思う。

しかし、ほんとうにそんなことが可能なのだろうか、と、心のどこかで不安を抱えている。

本当に可能なのだろうか。





大学にいなければ学べない経験というのがある。

ひとつには、「多くの病理医と知り合うこと」。

ひとつの組織に属してしまうと、せいぜい2,3人、運が悪ければ自分ひとりしか頼れない。

それでは診断学は伸びていかない(と思う)。

さまざまな病理医と知り合うことで、いろいろな病理診断学を知ることができる。

大学というのは人の出入りが激しい上に、関連病院という名前の属国を持っているから、複数の病理医と関係することができる。

では、大学に行かずとも、複数の病理医と知り合うにはどうしたらいいか……?




ふたつめ。「研究のメソッドを知ること」。

自分で研究を全くやらないのは生き方としてアリなのだが、病理医というのは「診断をする上で、研究的な頭脳がないと、臨床医とうまく会話できなくなる」場合が、たまにある。

たいていはプレパラートを見て白だ黒だと言えばいいが。

ここぞ、というタイミングで、臨床医の「なぜ」に答えるためには、研究的な目線が必要になる場合がある。

大学に行かずとも、研究のメソッドを知るにはどうしたらいいか……?




ぼくはこれらの答えとして、暫定的に、ひとつの結論を用意している。

「大学とある程度仲の良い市中病院で」

「複数の病理医がいる市中病院で」

「大学とつかずはなれず、軽いコネは作りながらも研究にかり出されたりはしないような」

ところで、研修をすればいいのではないか、ということだ。




やはり多くの病理医を見ておくことは必須だと思う。少なくともキャリア10年未満で「ひとり病理医」を経験することにあまりメリットはない。まわりに教わる人も教える人もいない環境で顕微鏡とだけ向き合うのは、完成されてからでいいはずだ。

ひたすら診断をやりたいというならば、症例が多くないときびしい。勉強ができない。

症例が多ければ人も多くいないときびしい。疲弊して勉強どころではなくなってしまう。

症例が多くて、複数の病理医がいて。

しかもその病理医たちの一部が、大学とある程度良好な関係を築いていれば……。

同僚を介して、さまざまな世界をみることができる。



……と、ここまで考えてはいるのだけれど。

結局はその人が「何を大切にしたいか」で決めるべき、なんだろうなあ……。

2017年12月21日木曜日

免許はオートマ

人の気持ちを代弁したり、人の気持ちを大きくして誰かに届けたりする仕事というのがあって、それはもういかにも大変そうで、報道とか広告代理店なんてのはそういう信条を抱えて働かなきゃいけないんだからしんどいだろうなあ、と、なんとなく考えていた。

代弁は無理だわなあ。

代表したところで、なんでお前が代表なんだよって怒られるだろうしなあ。

「おきもちのしごと」は、さぞかしこわいだろうなあ。(※こわい、は北海道弁で「体が強(こわ)ばる→つかれる、だるい、しんどい」という意味になります。)



患者の気持ちになるってのは実際むりだ。

患者のほうだって、「あなたには私の今のつらさがわからないでしょう」と言うことが、あるいは言いたくなることがあるだろう。

そりゃあそうだろうと思う。物理的に無理だ、というのもあるが、もし神様が魔法かなにかで「お前は今から人の気持ちがぜんぶわかるのじゃ」とやったところで、複数の患者を相手にしている医療者が患者それぞれの苦しみをぜんぶ共有してたら、たぶん患者より先に死んじゃうだろうな。



だからどうするかというと、お互いの気持ちを完全にわかりあうなんて不可能だと悟った人から順番に、

「ぜんぶがわからなくてもお互い無駄にすりへらずにすむように、ここまでなら傷つくまい、ここまでなら癒やされよう、というポイントを遠回しに攻める技術」

というのを身につけることになる。



わからないならわからないなりの立ち居振る舞いがある、ということだ。

それは別に相互理解をあきらめろってわけじゃなくて、「わからなくても優しくできるようなしくみ」を探すことを早いうちからやっとけよ、ということなのだと思っている。



人は必ず相互にわかりあえる、と信じている人もいるので、その境地に辿り着くなんてすごいなあと尊敬もするが、とりあえずぼくにはそういうことはできないので、わからないけど尊重するよ、わからないけどやさしくありたいよという立場を極めていきたいなあと思うのだ。



残酷なことをいうようだが、ぼくは、上記の考え方はある程度「マニュアル化」できるのではないかとさえ思っている。

世の中は九分九厘、「マニュアル化」に対して批判的な態度をとっているが、ぼくはマニュアルに対して冷徹な人間のやさしさをあまり信じていない。

「説明書をまじめに作ろうと考えている人」に失礼だからだ。

あまり高頻度では遭遇しないが、たまに、「この説明書は丁寧でおもしろいなあ」というのに出会うことは、ある。

すべてのマニュアルを無機質にとらえるというのは思考停止だと思う。

人間同士がわかりあえると信じている人ほど、「マニュアル人間」をバカにする傾向があるように思う。




マニュアルの一行目には、「まず傾聴しよう」と書く。

人はいつかわかりあえるはずだ、と声高に叫ぶ人ほど、相手の話をぜんぶ聞く前に自分の考えをしゃべりだす。

自分を相手にわかってもらうことが相互理解の第一歩だと本気で信じている。

だからぼくのマニュアルの一行目には、「黙って、うなずいて、あるいは相づちをうちながら、相手の話を全部聞こう」と書いておく。

これは多くの医療者が胸にしまっている、問診マニュアルと似ている。

それがマニュアルだからといって、患者が医療者に怒る必要はない、と思う。

だって自分の話を続けることができるのだ。わからないなりに、わかろうとしてくれるのだ。

そのマニュアルの、何が悪いというのか?

2017年12月20日水曜日

病理の話(152) マクロ最強論

CT、MRI、エコーや内視鏡など、臨床の画像をまだそれほど使い慣れていない初期研修医が、病理に勉強に来ている。

そういうときにはまず、手術で採ってきた臓器の肉眼像をみせる。

ミクロ(顕微鏡)より先に、病変のマクロ(目で見える姿)を仕込む。

最後までミクロを教えないこともある。



一方、初期研修医ではなく、ある程度訓練を積んだ後期研修医、さらには研修を終わった後すでにエースとして働いている臨床医が病理にやってきたときには。

マクロと、ミクロを、一緒に見せる。

経験のある臨床医であれば、最初からハイレベルな学問を与えても、そこまで画像で培ってきた知識を総動員して、うまく消化・吸収してくれる。




いずれにしても。

病理は顕微鏡をみる部門だと思われているのだが、実際に勉強にやってきた人に、ミクロ画像だけを教えて返す、というのはやったことがない。

省略するならミクロだ。

マクロは落とせない。








世の大半の医者にとって、病理はマニアックで、ニッチで、オタクである。それはもうよくわかった。何十人、何百人という医者と話をしてきた。まちがいない。

それでもなお、一部の医者は、自分のキャリアを充実させるために、病理で勉強をしたいといって検査室にやってくる。

特に、「がんを扱う科」や、あるいは「画像診断を行う科」で働く予定の人にとって、病理は宝の山だ。

「がんを診ず、画像もあまり使わない科」であれば、病理には用はないだろうと思う。



で、その、マニアックでニッチでオタクな病理にやってきた医者達は、忙しい。

王道の、自分の本職を極めるのに、忙しい。

だから、マニアックな病理診断の全てを極める時間は、当たり前だけど、ない。

全部を教えることはできない。



ポイントを絞って教えることこそが肝要だ。

そのポイントの筆頭が、「マクロ」だと思っている。




手術で採ってきた臓器に出現している病気を目で見る。

かたちがある。色がある。表面性状のざらつきやてかり。出血や壊死の有無。周囲の正常構造をいかに押しのけているか、あるいはしみこんでいるか。

これらのマクロスコピック(macroscopic: 目でみて判別できる規模)の変化をきちんと読めるようになると、CTやMRI、超音波、内視鏡で病変を間接的に、あるいはガラスごしに観察したときの、

「現実感」が変わる。

「なぜ○○がんはCTだとこう見えるのか」に、血が通うようになる。

「なぜ□□がんの周囲に内視鏡でこのような模様が見えるのか」を、直接目で見て感じることができる。




マクロな病態の説明は楽しい。

患者さんの労苦の原因を前にして「楽しい」とは本来医者が一番言ってはいけないセリフなのかもしれないが。

ニヤニヤ楽しい、fun、という意味ではなく、興味深くて心を動かされ、なんとかしようと考え抜くinterestingのほうだ。

目で見て違いを見極める作業は、頭の中に大きな筆文字で「納得」を書いてくれる。

初期研修医にはまずマクロを叩き込む。

まともにCTも読めない初期研修医だからこそ。

病理を出てから、またCTの勉強をはじめるときに、病理のマクロを思い出して、理解が進んだらいいなと。




初期研修医が病理を去ってからのことを思い浮かべる。

きっとCTを読むだろう。内視鏡を読むだろう。超音波プローブを片手に、さまざまな病態に悩む日が来るだろう。

そのとき、マクロがお守りになるかどうか。

……なる。なるが、それだけでは足りない。




もうひとつのポイントがある。それは、ミクロ、ではない。

「病理学」だ。




初期研修医たちは2年かけて医術を学ぶ。医療倫理を学ぶ。そこに、ホンモノの学問を叩き込む。巨人の肩の上に立つためのはしごをかける。

それが病理学、やまいのことわりの学問だ。




がんの定義とは。なぜがんになる。どのようながんが多いか。あなたは将来どれほどがん診療に携わるだろうか。

がんをマクロで見ながら語る。なぜこれががんなのか。どこらへんが大事なのか。

がんだと何がまずいのか。なぜ人はがんを恐れるのか。




がんを皮切りに、がん以外の疾病についても語る。感染症。変性疾患。

心臓や外傷や麻酔の話もする。「病理医なのに?」驚くだろう。たしかに循環器内科医や整形外科医や麻酔科医の知識は、ぼくはない。

しかし、理に関しては別だ。

理がある、ということを、文字通り理解してもらう。




マクロと病理学だけで手一杯なのだ。ミクロに辿り着くひまがない。





病理を去るときに、声をかけることがあるし、声をかけないこともある。研修医たちが病理を回る最終日、ぼくはなぜか出張のことが多い。最後に会えないこともある。

会えるときにはこう声をかける。

「マクロと病理学、先生のこれからの、役に立てばいいですね」

こう言うと、いろいろな返事をされる。

もうひとこと、付け加える。

「ちなみにぼくが一番詳しいのはミクロだけど、今回の研修は短かったから、そこまでたどり着けなかったね」

このひと言には、だいたい返事は一緒である。

――――え、そうなんですか。じゃあ、またいずれ、病理を勉強しに来ますね、今度はミクロを学びます。

しめしめ。

「いずれご縁があれば。ぜひ」

2017年12月19日火曜日

ハイパーヨーヨー

ようやく腰痛が治った。

治ったというかうまくつきあえるようになった。

腰や首との戦いは5年越しである。35歳になろうかというタイミングであちこちを傷めていた。24歳まではずっと剣道をやっていたのだが、剣道をやらなくなってから10年経ったあたりで、急速に体ががたつきはじめた。筋肉が弱ることでデスクワークへの耐性も衰えたのだろう。

腰が痛くなるたびに、ストレッチや姿勢、椅子の高さなどを駆使してなんとか乗り切る。

当院の医師や友人の理学療法士などとも相談した。湿布が効く場合と効かない場合があること。体全体の緊張がかなり影響しているようだということ。枕の高さが高すぎるということ……。

よく言われることだが、ぼくもご多分にもれず、痛みがひくまでの期間は、「ああ痛みがなかったころは自分が幸せであることに気づかなかったのだなあ」、という気持ちになる……。




という文章を書いているのは公開日より1週間前のぼくであり、つまり今は腰痛の真っ最中である。

まだ治っていない。そもそも1週間後に治っているという保証もないのだ。

しかし治っているだろうと仮定して書く。治っているぼくが、痛いころの自分を思い出して、気を引き締めているところを想像しながら書く。

……いったいぼくはどんな修行をしているのだろう。




病院の廊下をゆっくりと歩く高齢者たちをみる。ああ、つらかろうな、と思う。

同じく腰痛に苦しんでいた友人の、普段の姿勢をみて、わかるぞ、その張った胸は偉そうにしているわけじゃないんだ、少しでも腰に負担をかけたくないんだよな、と察する。

仙台空港で、荷物カートに体重を預けながら歩いた。「杖」の意味を知る。昔から今に残るものには必ず意味がある。

ヘルニアではない、腰椎すべり症でもない、おそらくは凝り固まった広背筋及びその周囲筋と、デスクワークで血流が悪く硬化した大腿四頭筋によって、骨盤が上下に牽引されるときの、腱の痛み。

そこまでわかっていて、対処法もわかっていて、なお頭を必ずかすめていく、「もしこれががんだったらどうしよう」というおそれ。

病名がつかないままに日々をおくること。

医療者にたよらないままに暮らすこと。

医療者であってもこれほど不安で、ストレスで、筋肉を硬くし、症状を悪化させていく。




来週のぼくはもう忘れていて欲しい。

けれど覚えていて欲しい。

さあ、どうだったろう。いつものように予約投稿をしかけてスケジュールボタンを押す。

2017年12月18日月曜日

病理の話(151) 病理医ドラクエ論考

病理診断は全身の臓器を相手にするのだが、全部の臓器をすべて完璧にみられる人というのはけっこうレアで、たいていは得手不得手がある。



ぼくは胃、大腸、肝臓、胆道、膵臓、肺、乳腺、甲状腺が得意である。

子宮、卵巣、膀胱・尿管・腎盂、腎臓はまあ普通だ。

リンパ節、骨髄についてはがんばって覚えようとしている。

皮膚はあまり得意ではないが苦手ではない。

脳腫瘍は昔得意だったが今は大の苦手となった。

軟部腫瘍はひたすらに難しく、毎回戦いである。




……これらの得意・不得意は、ぼくの性格とか能力で決まっていったわけでは、ない。

ぼくが今まで、「臨床医といっぱい話をしてきた分野」から順番に得意になっている。

胃とか膵臓が「好き」だから、胃や膵臓が「得意」になったわけではない。

ぼくの仕事相手が、たまたま胃や膵臓の話をいっぱいしたのだ。

だから、ちょっとずつ得意にならざるを得なかった。







すべての科に習熟したスーパー病理医というのに、ちょっとあこがれる。

「脳外科もできるし心臓外科もできるし食道も肝臓もとれるし膀胱もとれる外科医」にあこがれるようなものだ。

でも、そんな外科医はブラック・ジャックだけである。つまりは昔の、マンガの中だけにいる。

高度に専門化した今の医療の現場において、例えば小脳腫瘍摘出術をバリバリこなせて、かつ、膵頭十二指腸切除術ができて、食道切除術ができて、さらに、僧帽弁形成術ができる医者というのは、賭けてもいいけど、いない。

無理である。

それといっしょだ。「すべての科に習熟したスーパー病理医」というのも、ちょっと無理がある。

やっぱり病理医も、臨床医と一緒で、働いていくうちにいつしか、「専門」が決まってくる。





確かにぼくはもともと、胃や大腸の病理は好きだった。

ただ、肺とか肝臓、乳腺、甲状腺まで得意になりつつあるというのは、これはもう絶対に、臨床医との付き合い方によってじわじわと決まってきたもので、ぼくの思惑とは必ずしも一致していなかった。

結果的にぼくは、得意な臓器がちょっとだけ増えて、うれしいのである。

おもしれぇなあ、とも思う。









病理医として名を成し、世界で戦いたい若手たちは、くちぐちに、有名な病理医の名前を出す。

「胆膵病理のドン」だとか。

「リンパ腫病理の権化」だとか。

「軟部腫瘍の帝王」だとか。

そういう人々のもとで働いて、世界に通用するような診断をしたいのだ、という。

いいことだ。

やはり、若い人というのは、「俺じゃなきゃだめな世界」で働くことを目指してほしい。

一本の大剣を持つことはとてもいいことだ。この聖剣があればどんなボスでも倒せる、というような、強い力を求めてほしい。

有名で、有能な、臓器専門の「病理医」に師事することで、自分の剣を大切に育てることができる。




ぼくにも大切な師匠がいっぱいいる。

病理医も、複数だ。様々な臓器の専門家にちょっとずつ教えてもらう。

ちょっとずつ、だから、なかなかその道の頂点には登れない。

頂点どころか5合目にも達していないと思う。

けど、師匠は病理医だけではない。「臨床医」もまた師匠だ。

日々電話やカンファレンスでやりとりする臨床医から、こんなレポートを書いてくれと要望を受けたり、実際に書いたレポートについて質問を受けたり、一緒に学会発表の内容を考えたり、査読で突き返された論文に頭を抱えたり……。

こうしているうちに、「大剣一本」とはちょっと違った強さが、少しずつ育っていく。





臨床医にとって、ぼくは、唯一無二の存在ではない。

ほかにも病理医はいる。ほかの病理医に頼んでも大丈夫。

「ぼくじゃなきゃだめな世界」ではない。「ぼくである必要はない世界」。

けれど、多くの臨床医、多くの師匠たちが、「ぼくである必要はないけれど、ぼくに仕事をふってくれている」。




「大きくて、強くて、レアな剣を振り回す、勇者」にはなれなかったぼく。

けれども、ぼくの「経験値」そのものが、少しずつ上がっていった結果……。

剣も攻撃魔法もそこそこ使えて、回復魔法もまあまあできる、「賢者」っぽいポジションで、戦えている気がする。




「あそびにん」から転職することができるというのも、気に入っている。

2017年12月15日金曜日

かさよ、かさよ

【挿入話(3)】

 財布をしまいながら、ロビーから玄関に出た。ガラス越しでは雨が降っているかどうかよく見えなかったが、過ぎゆく人々が傘をさしているのがわかった。財布と入れ替わりに折り畳みの傘を出し、傘の骨を一本ずつ伸ばしながらゆっくりと外に出る。傘を完全に開く前にひさしを通り抜けてしまう。眼鏡が少しにじんだ気がする。石のタイルが濡れそぼっている。もし今ここで足を滑らせて転んだら、また玄関からロビーに逆戻りして、順番を待つ羽目になるのか、順番を待つ人の横を担架で運ばれることになるのか、どちらにしても恰好が悪いなあと少し眉をひそめながら、ゆっくりとした小走りの姿勢で信号の前にたどり着く。ようやく傘を開き終わり、少し肩をすくめるようにして下に収まった。なぜか空気がきれいになった。背筋を少し伸ばす。なぜだろう、雨からよけるだけのことに、本能がとても満足しているのは、なぜだろう。
 傘は面倒だ。傘なんてなくても生きていける。けれど、折り畳み傘を持たない日に雨に降られると、今そこで濡れているという事実以上に、なぜ朝方傘を持たずに出かけたのだろうと悔やむ気持ちが心を濡らす。傘を持つ面倒さと、傘を持たなかった時の後悔。両者は対立項であるが、実際、どちらも私にとってはマイナスでしかないわけで、どちらが勝ったとしても私は損をするわけで。私と、傘のない暮らしと、傘のある暮らしとの三国鼎立であった。傘を納めても重みで形が崩れないようなかばんを選ぶ。かばんの柄と服の柄があまりに違いすぎないような傘を選ぶ。傘を持ち歩いていても恥ずかしくないような生き方を選ぶ。

 さっきもらってきた薬を飲むようになってもう4年ほど経つ。血圧が高いからと言って今日明日死ぬわけではない、けれど、高血圧を放っておいたらいつか死にますよとテレビも雑誌も言っている。だから薬を飲む。面倒だけれど、飲む。飲まないでいる自分を想像しながら、飲む方を選ぶ。

 この薬はきっと、傘のようなものだ。雨に降られたからといって、皮膚に穴が開くわけではないし、頭蓋骨が吹き飛ぶわけでもないが、しつこい雨が肌を濡らせば、私は少しずつ寒くなっていく。それがいやだ。傘は持ち歩くのが面倒だし、開くまでが面倒だし、傘を持った自分をコーディネートするのも少しだけ面倒なのだが、雨のときに開くと心が休まる気がする。雨音が傘を打つ音を聞いていると、洞窟で暮らしていた人類の祖先が最初に音楽を思いついたのは果たして雨音であったか、風の音であったか、どちらであったろうかと考えて、少し楽しくなってゆく。たぶん雨の方だ。だって、雨のときは、出かけられないから。出かけられないときこそ、音に耳を傾けたであろうから。

 血圧の薬を飲む。傘ほどの安心は、実は得られない。飲む前と飲んだ後で、自分がどう変わったのか、よくわからないから。毎朝、毎晩、血圧をはかる。医者に言われた血圧に収まっているかどうかを見る。収まってはいる。収まってはいるのだが、この薬がなければ果たして血圧がまた元のように高くなるのかどうか、実はそれもよくわからない。
もう雨は上がっているのではないだろうか。
 日傘にはちょっと暗いデザインの傘を、私は馬鹿正直に、雨上がりの空に向けてずっと開き続けているのではないだろうか。

 医者に、すごく遠回しにたずねてみた。
「最近調子が良いんですが、今日は薬を飲むのをやめてみようかとか、そういうことを考えてもいいのかとか、一応、今日はそういうことを、おうかがいしようかと……」
 けれど、全部は言えなかった。「今日は薬を飲むのをやめて」くらいのところで、手ぶりをつけて話を止められた。
「岡田さん、このお薬はね、ずっと飲んでいるからいいんです。やめたら血圧はすぐに高くなりますし、血圧が高い状態は1秒でも短いほうがいいんです。確かにありがたみはないですよね、今、見かけ上、血圧は正常ですからね。
じゃあ、そうですね、こう考えてみましょう。このお薬は、あれです、服。服とおなじ。私は昨日も一昨日も、職場にやってくるときに服を着てきました。それで、世の中の人に、別段変な顔もされないし、不審者扱いもされていないまま、今日にいたります。じゃあ、私は世の中の人に受け入れられているからと言って、明日私がね、服を着ないで、仕事場に来たら、その瞬間から私は変な人ですね。たぶん、通報されますし。つかまりますね。この薬もそれと一緒です、飲んでいる間は平和。飲まなければおおさわぎになります。続けた方がいいと思いますよ」

 わかってる。知ってる。そんなに言わなくてもいい。ちょっと弱さを見せただけだ。お金だってかかってるんだから。ちょっとたずねてみただけだ。

「なるほど……先生、たとえがお上手ですねえ。私すぐわかっちゃったわ。それなら飲まなければいけないのねえ」

 医者というのはこれくらいへりくだらないと機嫌を直してくれない。そして、これくらいのへりくだりが「心の底からわきあがってきた感情」だと勘違いする程度には、医者というのは世の仕組みを、人の心を、わかっていない。

 服と薬は違う。
 服を着ていない人はいないけれど、薬を飲んでいなくても平気な人はいっぱいいるんだから。
 私の薬は服じゃない。私の薬は傘。
 ずっと雨が降り続いている。おそらく死ぬまでずっと。

「母さん今日病院行ってきたんだって? 雨降ってたでしょう。危なくなかった? そろそろタクシー使ったらいいんじゃないかな」
「タクシーに乗るにはちょっと微妙な距離なのよ」
「最近のタクシー、短距離でも別に嫌な顔なんてしないよ」
「でもね、健康でいるために病院に行くのに、タクシーなんか使って運動不足になったら、意味がないじゃない」
「運動したいなら病院行くまでの道とかじゃなくて、もっと、公園とか、バラ園とか、そういうところを歩けばいいじゃない、見て楽しいし」
「あら、病院行く途中にね、とてもよく手入れされたお庭があるおうちがあってね、私あそこ通るの結構好きなのよ」
「ああ言えばこう言うんだから……わかった。けれど雨のときくらいは気を付けてよ」
「言ってなかったかしら、私、雨、好きなのよ。ちゃんと折り畳みの傘を持ち歩いてる人はね、ときどき雨が降ってくれないと、傘の持ちぐされ、みたいな気持ちになってかえって気がふさぐものなのよ」
「そんなのはじめて聞いたわ」
「傘を持っておでかけ、って、少しおしゃれでいいでしょう。フランス映画みたい」

 娘というのはこれくらいかみ砕いて説得してもなかなか納得してくれない。そして、私がわかりやすく示した矜持が「娘に心配をかけたくない感情」だと勘違いしてくれる程度には、世の仕組みを、人の心を、わかっているだろう。

 実際私は、自分の口から出てきた、「傘を持っておでかけ、って、少しおしゃれでいいでしょう」という言葉に、少し救われているような気になったのだ。

(2017.10.22)

2017年12月14日木曜日

病理の話(150) がんっつったらヤクザなわけよ

前回の病理の話でちょっと難しい話を書いて、昨日のブログでそれを茶化してものすごく難しい話を書いたので、今日はなんというか、一番かんたんな病理の話を書きます。



ぼくら病理診断医は、細胞をみることで患者の役に立つかなと思って働いています。

細胞をみるとなぜ患者の役に立つかというと、一部の病気が、細胞をみないときちんと診療ができないからです。

一部の病気です。細胞をみなくても診療できる病気はいっぱいあります。

高血圧とか。心筋梗塞とか。ケガとか。せきとか鼻水とか。

みなさんが普段、「病院に行く理由」として考えている病気の3分の2くらいは、細胞まで見る必要がありません。細胞をみる必要はないのです。




けどねえ一部の病気は細胞まで見た方がいいの。

がんとか。

ほかにもいっぱいあるけど面倒だからがんの話をするね。

口調が突然フランクになったのはめんどくさくなったから。

面倒な話って書くのも読むのも苦痛だから。

ぼくそういうのよくやるからわかる。




がんは、細胞まで見ると、いろいろわかる。

まず、「がんだ!」ってわかる。たいてい。

これが意外と難しくて、細胞まで見ないと、医療者も患者も、いまいち「ほんとにがんなの?」って言いたくなる。思いたくなる。

だからまず、「がんだ!」って決めるのがだいじ。

警察が誰かを「あいつ悪人だ!」って決めないとタイホできないから。



で、「がんだ!」だけで終わってはだめで、そのがんが「何人いるか」、「何をしてるか」をみる。

悪人が10人いるのと1000人いるのと10万人いるのは意味が違うわけ。

10人って不良集団でしょう。

1000人ってけっこうでかいヤクザじゃん。

10万人いると悪の軍隊だもの。まるでちがうよ。

不良集団だったら警察官でなんとかできるけど。

軍隊だったら戦争になっちゃうでしょう。警察官送り込んでもやられちゃう。

相手の戦力をみるってのがすごい大事なのね。で、これは、病理でみないとわからないときがある。




CTとかで見ても、「人数」はぶっちゃけわかるの。

けど、その人数が「どこにどれだけ散らばってるか」を見るには病理で細胞みるのがいいわけ。

軍隊が1箇所にかたまってるとね、CTにも映るから。すぐわかる。

けど、ゲリラ戦法みたいに、あちこちに細かく潜んでたら、航空写真みたいなCTだとよくわからないでしょう。

そういうときは細胞をみる。すると、どこかに潜り込む寸前の悪人とか、潜り込んだ直後の悪人とか、潜り込んでそこで新たに勢力を増そうとしている悪人とかがよくわかる。




人数だけじゃないよ、「何をしてるか」もだいじ。

チンピラみたいに人を殴ってたらもう悪人でしょう。

けど、全員がスーツ姿で、まるでサラリーマンみたいなかっこうをして、渋谷のセンター街に紛れ込んでたら、これ、航空写真では、悪人かどうかわからない。

そういうときに、顕微鏡で拡大するとね、サラリーマンがそれぞれリュックの中にバズーカ持ってたりするわけ。

「あっこいつやべぇ」ってわかる。

ヤクザでも「リアルヤクザ」と「インテリヤクザ」がいてね。

物理的に建物ガンガンぶちこわすやつもいれば、ネット犯罪に身を染めて潜入してるやつもいるでしょう。

人数とか居場所、そして「何をしてるか(どんな悪事をしてるか)」を、ちゃんと見る。




こうして悪人を見るためには、まずきちんと写真を撮る。写真を撮るというのは例えでもあるし、実際に撮ることもあるけど、ま、写真に例えちゃいましょう。

写真を撮るときに大切なことはなんですか?

悪人の顔がしっかり写っていること?

ほら、人数も大事だったよね。

あと居場所。

何をしてるかも。

となると、画角とか、構図がなかなか難しいでしょう。



構図決めるためには何が必要だろう?

航空写真をきちんと見ておくことかな。だいたいの見当を付けておく。

そして、プレパラートを作るときに、一番いい場所を選ぶこと。これがとても大事。



たとえば胃に病気があるとする。胃を手術でとりました。これをぜんぶプレパラートにしようと思ったら、たぶんガラスが200枚くらい必要になる。

けど、まずはプレパラートをつくらずに、胃をきっちり「目でみる」。

そして、「あっここが悪人多そう」とか、「ここがまさに犯行現場だ」というのを見極める。

航空写真(CT)も見ておく。事前に潜入捜査をした警察官の証言(胃カメラの結果)も見ておく。

そして、「ここぞ!」という場所をプレパラートにするわけ。これを切り出しといいます。

切って出してくるからだね。命名がアホだね。

切り出すのは病理医のウデがすごい大事。

ここでビシッとプレパラートにするからこそ、顕微鏡で病気をみることができるの。

切り出しがヘタだと……?

渋谷に悪人が集結してるのに、新宿の監視カメラをすみずみまでチェックしてもだめでしょう。

そういうことあるんだけどさ。まれに。どこの病院の病理医とは言わないけど。言ったら死ぬ。ぼくが。




で、プレパラートは技師さんが作ってくれる。専門の技師。頭あがらない。お歳暮贈る。

このプレパラート、1種類じゃないわけ。HE染色ってのがあってね。キャーのび太さんのHEー!なんてね。なんでもない。

これで悪人の顔とか体型がだいたいわかる。すごい使える染色。




今ね、たとえばテロ対策なんていうと、空港で、ただモニタで監視するだけじゃないでしょう。何やるか知ってる?

金属探知機ってあるじゃない。あれで武器を見つけ出す。

病理でもこれがあるわけ。金属じゃなくて特定のタンパクとか線維とかをハイライトする染色がほかにもいっぱいある。

これらを使いこなすのがまたウデよ。



でね、悪人を見てね、「ほら悪人がいましたよ」って言ったらさ。

これを臨床医とかに話さなきゃいけないわけ。

自分のところで抱えてちゃだめでしょう。実動部隊に情報を渡す。

タイホして、裁判して、世の中をよくしないといけないでしょう。つまりは診断と治療を進めないといけないわけだ。

でもね、ぼくがね、「渋谷の交差点にけっこうヤバ目のやつがワッサーいて、そこのビルとかマジ卍ヤバみでしたわ」つったらこれ、ぼくがまず捕まるよね。

だから、わかりやすい言葉が大切。

共通言語と言ってもいいかな。

「取扱い規約」とか。

「UICC/TNM分類」とか。

書き方があるわけだよ。アンチョコと言ってもいいかな。

項目をきちんと埋める。

埋めれば終わり? まあそれでもいいかな。

でもね、悪人撲滅の決め手は、このアンチョコを埋めたあとに、レポートの最後にひと言ね、書いてやること。ここ、ここにセンスが出るの。

「こいつ普段の悪人とちょっと違うかもしれんぜ、なぜならAがBだからだ」

みたいなコメントをつけるのね。ここも病理医のウデすごい出るね。

臨床医もコメント見るとピンとくるから。ここんとこうまく連携できてるとマジ医療のレベル上がるから。




最後にね。

医療やってる人って、日本全国担当してるわけじゃないの。

警視庁って東京を中心に仕事してるでしょう。北海道警察は主に北海道の案件担当してるよね。

パトロールもするし交通整理もするしタイホもするしいろいろやるじゃない。だから場所というか管轄を狭くしておくわけだよ。

けどね、病理医ってのはね、この管轄をなかば……無視するよね。

特殊部隊だよね。

全国を相手にする。

具体的に? 胃も大腸もみるし、肝臓も胆嚢も膵臓も、肺も乳腺も甲状腺も、腎臓も膀胱も尿管も、前立腺も子宮も卵巣も、脾臓だって脳だって、血管だって筋肉とか脂肪だって、神経だって……心臓だってさ。

「細胞のことは頼むよ」って言われたら出て行く。

管轄外とか基本ないの。まあ得意不得意はあるけどさ。不得意って言われたらそこの管轄も困ると思うんだよな。

そのかわり、パトロールはしないし。張り込みもしないし。泥棒と殴り合ったりもしない。

おもしろいと思った?




いやぼくはまだおもしろくないよ。だって何にも語ってないもの。

何が得意だと活躍できるか、とか……。

やっててすげぇビリビリくるのはどういうときか、とか……。

養育費払いながら旅行に行けるだけのお金をどうやって稼ごうか、とか……。




正確には書いてるんだけどね。このブログでね。過去に、149回くらいは書いたはずだよ。

養育費のことはたしか書いてないけど……。



※こんな内容を出版したらだめですよ。こういうのはブログで読むからいいの。依頼があったけど断っておきました。ブログで書かせろ。

2017年12月13日水曜日

さぁつまらん話

難しいことを書くと頭がよくなった気がしてうれしい。

本当に頭のよい人は、難しいことを書く場所を選ぶ。難しいことを書くなら、難しいことを読みたい人が集まっている場所に書く。かんたんなことを読みたい人が集まる場には、かんたんなことを書く。

自分が時間をかけて作った文章を無駄にしない。それが本当に頭のよい人である。

というわけで、繰り返すけれども、

「難しいことを書くと頭がよくなった気がしてうれしい」。








温州みかんを英語でSATSUMA(薩摩)という、という話をタイムラインで見た。

そもそも、温州ってどこだろう。

中国の下の方にあった。薩摩とは関係なさそうだ。

温州みかんは温州ではとれないんだそうな。じゃあなんで温州みかんというのだ。

少し調べると、みかんは元々中国の温州から鹿児島に伝わったのだ、という話を見つけた。これがほんとなら、温州の名もSATSUMAの名もまあ納得できる。

しかしゲノムを調べると、鹿児島あたりで変異して生着したみかんは、そもそも中国にあった柑橘類とは違うらしい。

いろいろと雑な説なのである。



ずんずん調べていく。

「橘録」という12世紀の本に、橘(きつ)は温州、という言葉が書いてあるらしい。これが温州みかんという名称の由来という説がある。

ただし。

中国には柑橘類をあらわす漢字が多い。橘(きつ)、柚(ゆ)、柑(かん)、橙(とう)、いずれも柑橘類だ。温州にあったというのは橘(きつ)。でも、日本のみかんは「柑(かん)」のはずである。

何もかもずれている。




この雑さ、このずれを考えていると、おもしろい。




昔の人は、「橘録」みたいな文字をたよりに、そうかそうか、このすっぱい柑橘類はえーと、温州? 温州か、そうだな、あのへんから鹿児島に伝わったんだろう、地理的にも合うし。みたいなことを考えていたのであろう。

けど、ま、文字というのは、ほんとうにだいじなことは伝わらないと相場が決まっている。中国でかつて橘(きつ、たちばな)と呼ばれていたものの一部は、実は「バナナ」かもしれないという説だってあるそうだ。




横山光輝の三國志を読んでいると、左慈(さじ)というあやしいまじない師みたいなやつが、時の権力者を手玉にとるシーンがあるのだが、こいつが「温州みかんを取り寄せて食べる」というシーンが出てくる。

温州みかん!

三国時代なんてのは、橘録よりだいぶ昔の話だぞ。

横山光輝はこの温州みかんを、まるで日本のみかんと同じように描いていた。気持ちはわかる。

けれど、本当に左慈が取り寄せた柑(かん)とは、なんだったんだろうな。

ああ、気になってしょうがない。





「どうでもいいことを難しく書くこと」って、一般には無能の象徴というか、害悪みたいに捉えられている。

けどやってしまう。なぜだと思う?

もしかすると、「どうでもいいことをいつまでも小難しく考える」とき、何か脳内麻薬のような報酬系が活性化されるのではないかな。

脳内麻薬によって報酬系が活性化されるのはおそらく適者生存の過程で集団を形成する各人が常に画一的な思考に支配されないために思考の多様性を産むトリガーとして脳に残存した、複雑系である社会を複雑なまま保つことで無数の外的刺激から人類というガイア的存在を総体で保守するための生存本能と考えることはできまいか、と沈思黙考し自問自答して自縄自縛の末に無念自爆したのである。



今週はめんどくさい話ばかりを書きます。

2017年12月12日火曜日

病理の話(149) WSI薬事承認にまつわるあれこれ

Philips社の「フィリップス インテリサイト パソロジー ソリューション」という機械が薬事承認された。

とても大きな節目となるので説明をしておく。




この機械は、

・プレパラートを最強拡大ですべてスキャンしてモニタに映す装置

である。ホール・スライド・イメージング(Whole slide imaging:WSI)。

実は、今までもあちこちの病院に置いてあった。ただあくまで研究レベルだったので、ハイボリュームセンターには置いてあったが、中小の普通の病院には置いていなかった。

顕微鏡を見なくても、組織像をパソコンの画面でみることができるシステム。拡大・縮小も思いのまま。インフラさえ整えれば、他の病院の病理医にプレパラートを郵送しなくても、画像を送るだけでコンサルテーションができる。





モニタに映った顕微鏡画像を見て病理診断をするのは、顕微鏡と違ったコツがいる。

だから、従来の病理医の多くは、WSIを使った診断に難色を示していた。

「顕微鏡のほうがインターフェースとしてのこまわりがきく」

「モニタの操作が難しくて、顕微鏡では拾えた微妙な所見をパソコンだと見逃すかもしれない」

「手術検体のような大きな検体の診断はWSIだと手間がかかりすぎる。小指の爪くらいの小さい生検標本ならまだしも」




けれど、WSIはとうとう薬事承認された。臨床現場で「これを使って診断を出していいよ」と認められたということである(完全にイコールではないけれどその話をすると長くなる)。

ベテラン病理医たちは困っている。いやだなあ、と思っている人も多い。けれど、今後、そもそもあまり顕微鏡の使い方に慣れていなかったデジタルネイティブな若手病理医にとっては、WSIに慣れることはさほど苦痛ではないだろう。







WSIの診断はコツがいるけれども、思ったより「悪くない」というのがぼくの感想だ。

まず、ピント合わせが必要ない。顕微鏡では無意識にピントを合わせる操作を右手が行っているが、すでにピントの合った状態でのスキャンが終わっているので、ピント合わせという操作自体が存在しない。この作業は、診断を0.5秒ずつ早くしてくれる。脳の負担が0.5秒軽くなるというのは思った以上に大きいことだ。

次に、インターフェースはがんがん進化している。速度も申し分ない。この部分がみたい、という欲求に、今のPCはだいぶ答えてくれる。タブレットでもけっこういける。

電子書籍と一緒だ。一度慣れればなんてことないのである。

デジタル画像のストレージをどうするか、という容量の問題についてもかつては深刻だった。しかし、近年の技術の進歩からするとそろそろ問題視しなくてよい。実際、カナダやアメリカの一部、スウェーデンなどの北欧諸国、さらにデジタルパソロジー技術に期待をかけている東南アジア(意外なところではマレーシアなど)ではすでに、ペタバイトレベルのサーバを病理部に配置してWSIが本格稼働している。

日本はむしろ遅れている。これだけPCもスマホもタブレットも普及しているのに。







顕微鏡とモニタの違い。個々人にいろいろ思惑がある。けれど、時代は絶対にモニタ診断に移っていく。

モニタで診断するということはすなわち、「世界のどこにいても診断ができる」ということだ。

すでにCT, MRIの画像を読む放射線診断医は、世界中で「遠隔診断」を行っている。放射線の遠隔診断においては、統一規格(DICOM)の普及が決め手となった。DICOMはそもそもPhilipsという一企業の規格であったが、企業によって画像の企画が統一されていなければ遠隔診断などはできない。Philipsがひとりがちしたおかげで、放射線診断は遠隔診断できるようになったのだ、ということもできる。

独占禁止法ということばが頭をよぎるから、あんまりめったなことは言えないのだが……。

機器は多様であってもよい。ただ、データの規格が多様であっては困る。

デジタルパソロジーシステムはじめての薬事承認がPhilips社であるというのもちょっとした運命を感じる。

病理画像も早くDICOM……じゃなくてもいいけど、とにかく統一規格でデータ化してほしい。







臓器の切り出しが必要で、プレパラートの染色も必要である病理診断においては、遠隔診断システムの普及は難しいのではないか、と考えられてきたふしもある。

しかし、薬事承認されたシステムがあれば、話は別だと思っている。

病理医がどう難色を示そうとも。

経営側が主導することで、全国の病院に「とりあえず、プレパラートスキャナくらいは入れておこうか」という感じで、インフラ整備のハードルが下がる。

ベテラン病理医たちが、いくら「顕微鏡のほうがいい」と言ったところで、それは昔の放射線科医たちが「フィルムのほうが芸術的に線が読める」と言っていたのとあまりかわらないではないか。

少なくとも、経営側はそう考える。

インフラが普及し、若い人が新システムに慣れたころ、革新が進むだろう。

実際、ベテランであっても、使い始めると、驚いてしまうのだ。「意外な快適さ」に。

難しい病理診断をコンサルトするのがとても簡単になる。プレパラートを郵送しなくてよい。学会等のために写真撮影を求められてもとてもラクだ。だってすでに写真なんだから。過去のプレパラートを倉庫まで取りに行く必要がない。だってデータなんだもの。プレパラートの保存が必要なくなる。だってデータなんだぜ。

病院に置くべき常勤病理医の人数も再考されるだろう。今、各病院に必要とされている人員数は、「仕事を分担して、それぞれが脳をきちんと働かせるのに必要な人数」である。病理医がラクになるということはすなわち、「人員数の削減」につながるかもしれない。しかし、一部の病院では元々病理医が足りないのだ。足りなかったのが、「足りなくない」に変わるかも……と、少なくとも経営側は感じるだろう。

遠隔診断によって自由なコンサルテーションが可能になれば。

病理医が忙しいときも、一部のデータを外部に委託することもできるし。

委託先……すなわち病理診断センターの仕事はさぞかし快適になるだろう。プレパラート郵送という手間がなくなるからだ。センターでバイトする病理医は、自宅にいながらにして、モニタを眺めながら数百キロ離れた施設で作成されたプレパラートの診断を行う。







この流れはもう止められない。

放射線科医が遠隔診断を始めたときに世界中にもたらされた福音が、病理の世界にもやってくる。

福音と同じくらい、問題ももたらされることになるが、それでも、放射線画像はDICOM化した。




臨床医と会話できない常勤病理医の存在価値は今以上になくなる。

会話しないならデータを外部の優秀な病理医に飛ばせば十分だ。




無数の病院がWSIを導入することでやってくるのは、「プレパラートの病理画像がビッグデータ化する未来」である。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。2,3年後にものすごく大きな医事改訂があります。それが終わりの合図です。程なく大きめの規格統一が来るので気を付けて。それがやんだら、少しだけ間をおいてAIが来ます。





【おまけ】

別に上記はぼくの持論ではなくて多くの病理医が知っていることだ。デジタルパソロジー研究会のお歴々などは先刻承知だろう。

おっさん方が想像するのは病理医にとっての地獄の未来である。

ところが……。

今いちばんデジタルパソロジーに詳しい長崎大学(世界中とWSIでミーティングしてる)には、病理医を目指す若手が毎年何人も集まって来ているのだという。

若く優秀なデジタルネイティブたちは、「今こそ、本当に脳が踊る科ができあがる」と期待して、病理の世界を訪れ始めている。

希望というのは絶望が耕した畑に実るのだなあと思う。マジで。

2017年12月11日月曜日

へこむしてますか

「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」が庵野秀明監督でアニメ化しねぇかなあと思ってるうちに師走が来た。師走だけが特に忙しい印象はない。むしろ、年末年始をひかえて、各臨床科が少しずつ年末モードに入っていくため、12月の後半は組織診の仕事が少し少なくなる。家に帰る時間も少し早くなる。読む本が少し増える。正月、それは読書天国、今年も読みたい本がある。年末年始には仕事をせずに本を読む。ありがたいことである。

カズオ・イシグロを読みたいな。ああいうのは喧噪の日常にはとても読む気がしないから。

ケン・リュウの長編とかもほんとは読みたいけど今回はパスかなあ。

今年もいくつか本を読んだ、特にぼくは何冊かの本に心を折られたのが印象的だった。どういう生き方してきたらこんなすごい本が書けるんだろう、そういう漠然とした敗北感みたいな感情を心地よくツマミにして文章に酔った一年だった。

こういうことを書くと、「上を見てもきりがありません、あなたは好きなものを書けばいいのです」みたいな見当外れのなぐさめをぶつけてくる人間がいるのだが、何もわかっちゃいないなあと思う。

ぼくが本当に書きたかった情動を、ぼくより優れた筆致で、ぼくが思いもつかない技法で書き記されたら、ぼくのオリジナルの情動なんてあっという間に吹き飛んで、整地されて、置き換えられてしまうのだ。

心の中だけは誰にもいじられない、なんてのは大嘘だ。心の中の名状しがたいなにものかを、誰か他人が文章という暴力で形にしてしまったら、ぼくはもう、その情動を他人の言葉でしか言い表せなくなってしまうのだから。




白状するとぼくは1月末を締め切りとして医療系のSFの執筆をしていたのだ。

本作は6編の短編を元に書き上げる長編で、まず6編の短編を書いておいて、それをメタに配置した世界で主人公がある悩みと向き合って最終的に筆を折るまでの……

いや、主人公は実はまだ決めかねていた。

作家そのものを主人公にするかどうかはわからなかった。作家の一番近くでその仕事を練り上げようともくろむ編集者を主人公にした小説を書くかもしれないな、と思っていたのだ。

短編を2本、3本と書き、4本目がほぼ書き終わったところで、ぼくの手帳はアイディアで真っ黒になった。書きたいフレーズはある、書きたいストーリーもある、しかし、書きたい感情がいまいちつかめないでいた。

そんな折に読んだのが「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」であった。ぼくはもうこれで完全に折られてしまったのだ。

ぼくの書きたかった感情がそこにはぼくの考えもつかなかった言葉で書き記されていたからだ。

ぼくはこの心の動きをこれとは違う形で書くことは永久にできない、それは優劣とかジャンルとかそういった言葉のモンダイではなくて、もっと根源的な、

「もう、読めばいい本がほかにあるのに、なぜぼくがあえて同じ所を書かなきゃいけないんだよ」

みたいな気持ちになってしまったのだった。




ぼくは某氏の編集者に「すみません、もう書けません」とメールを打った。送信するときにちらっと編集者のメールアドレスが目に入った。おたくの出版社からはこういう内容の本は山ほど出ているじゃないですか。ALSOKでも識別できない程度の小声でぼくはひとりごとを言っていたのだと思う、なぜならそのとき、ぼくの乾いた唇は振動かなにかで避けて、ワイシャツの胸元に点状の血液が、目をこらさなければいけないレベルでわずかに降りそそいでいたからだ。


2017年12月8日金曜日

病理の話(148) とある病理の選書目録

病理の話を誰かにして、わかってもらうために、頭の中にインデックスを作っている。



細胞について。障害と応答のメカニズム。

炎症。

組織再生。

循環メカニズム。

遺伝性疾患。

免疫。

腫瘍。

感染。

代謝、栄養。




さあ、病理の話をしよう……。そう意気込んで、インデックスを順番にたどり、いちから語ってみても。

医学で飯を食おうという人以外には、まず興味をもってもらえない。




基礎のところはいいからさ、もっと役に立つところを教えてくれないかな。

もっと身近な病気について説明してもらったほうがうれしいな。

勉強したいわけじゃないの。自分の知りたいところだけ知りたいの。



そんなふうに言われてしまうだろう。

つまり、ぼくのインデックスは、「医学好き」とか「病理好き」には役に立つだろうが、「医学ふつう」「病理ふつう」とか「医学きらい」「病理きらい」な人にとっては、さほど価値がない。

頭の中には病理のインデックスが全部入ってますよぉ、なんて偉そうに言ったところで、世間の多くの人からは単なる「医学知識オタク」とみられて終わりである。

みんなはもっと、実学的な、身に迫ってくるような、あじわいのある、「やまいの知恵」みたいなものを求めている。

そういう人達に、病理のおもしろさを伝えようと思ったら、ぼくの用意するインデックスは「今のまま」ではだめなのではないか。




ぼくはそもそもインデックス大好き派である。

理論が順番に組まれていることに安心を感じる。

だから、人に説明する時も、概念をきちんと整理して、分類をして、筋道を追って説明をしたい。

……けれど、それでは通じない場合がある。

そのことにようやく気づきはじめた。




今まで気づかなかったのは、自分が誰かに何かを伝えようとするとき、「伝えようとがんばっている自分」に満足していたからではないかと思う。辛辣な言い方だが、自分に対して言うのだからかまわない。

必死で伝えようとする人間をみていれば、相手も「まあがんばってるからな、わかったふりしとこ」となるだろう。

ぼくは相手の「気づかい」にあぐらをかいていたのではないか、と思う。




今ぼくが知りたいのは、「教科書を調べるときに、目次から順番になんか読まないよ派」の「生態」である。

彼らは、索引をひくだろう。

あるいは、ググるだろう。

いずれも、何か、ひとつの単語をあてにして……。

その単語は必ずしも、その人が知りたいことをきちんと連れてきてはくれない。

どう調べたらいいかわからない人に、「インデックスをおぼえろよ、最初から読めよ」と突き放してもしょうがない。

索引を調べる人、ネットで検索をする人が、「どんなことば」で病気を知ろうとしているのかを、まず、ぼくが知りたい。

そして、あることばAを使って検索をしている人に、「BとCも一緒に加えるといい検索ができるぜ」と伝えたい。





ぼくは今、病理学に対して、通常の教科書が採用している「オモテのインデックス」に対する、「ウラのインデックス」を作れないか、と思っている。

病理学をまとめて勉強するためにはオモテのインデックスに従った方がぜったいにいい。

けれど、世の中の多くの人は、目次から順番に病理学を読もうとはしない。する必要もない。

だったら、いっそ、世の多くの人が検索する語句を順番に最初からならべた、「ウラのインデックス」を見てみたい。検索ワードの上位から順番に目次を作ってしまう、ということだ。

「ウラのインデックス」をひとつひとつ説明することで、いつか、病理学の全体を説明できるようになるならば、それはとても楽しい事なのではないか。




・がん

・インフルエンザ

・ワクチン

・ケガ

・予防

・ダイエット

・老化

……。


なんだか書店のあやしい棚を見ている気分になる。

そうだよな、書店で売れている本というのはつまり、「単語で医療をまなびにくる人」をターゲットにしているんだもんな。

当たり前のことだった。





オモテのインデックスを、ウラのインデックスと同じくらい、おもしろく語ることができるだろうか……。

今のぼくの目標はそれである。たいへんに手強い。まだ3合目にも達していない。

2017年12月7日木曜日

脳だけが旅をする

旅はぼくを読者にしてくれる。

「移動の最中」はまとめて本を読むチャンスだ。

飛行機の中で、よく本を読む。あのミステリもあのSFも全部旅行中に読んだ……。

と、昔もブログに書いた覚えがある。



ただ、実は最近、旅行中にあまり本を読めていない。移動中、困憊してしまっており、座席についたら目的地までほとんど寝てしまうからだ。持ち歩いた本を一度も開かないままに職場に戻ってきて、かばんに入れた本をそのまま出して元通り本棚にしまい込むことも多い。



旅路は人生だという。しかしぼくはその人生で睡眠ばかりとってしまうようになった。結局、旅というのは、「どこかでひとやすみしながら移動すること」を言うのだろうな。ただ移動だけしても旅にはならない。優れたサラリーマンは休暇を適切にとるなどというが、優れた旅人もまた、ゆっくりぼうっとする時間を旅程に紛れ込ませているはずだ。

ぼくは旅人であることをやめてしまっている。

日帰りの出張が増えた。翌日を移動で半日潰さないために。あるいは、一刻も早く家に帰りたい、と願って。

移動中はずっとぐったり寝ていて、本も読めず、翌日は翌日で、日帰りのダメージを背負ったまま目を伏せがちに働く。




いそいで日帰りする苦労を繰り返して疲れた、ということを言いたいだけだ、今のぼくは。

徹夜すれば努力したことになる受験生と何も変わらない。

成長がない。





自分より若い病理医が、夜中の2時まで診断をしているとか、毎週出張で飛び回っているとか、論文を毎月書いているとか、そういうことを言う。ぼくもじわじわと焦っている。高密度で長く働けなければ社会人ではない、と、いつのまにか唱えている。

本を読む時間を削って仕事をして、それが成功したとして、そのぼくは、なんなんだろう。




デスクの後ろの本棚に、「読むつもり」の本を2冊ほど積んでいる。

この2冊が、5冊くらいに増えることはあるが、それ以上になることはまずない。積ん読というのが苦手なので、本が読めなそうなときには次の本を買わないからだ。

今ある2冊のうち、1冊は「小説」。もう1冊は「教科書」。

たいていいつも、小説やエッセイのような仕事と関係のない本と、仕事に多少なりとも関係ある教科書とを、1冊ずつ用意しているのだが……。

教科書の方は順調に読み進めているのだが、小説が、2か月ほど変わっていない。読めていない。







「タウマタ」という名の写真集を買った。まだ届いていない。どういう写真集かもわからないが、ぼくはきっと、その写真を眺めているうちに、旅に出たくなるのではないかと思う。

実際に旅行をするかどうかはわからない。けれど、旅に出た気分になる方法は知っている。本を読めばいい。

読書はぼくを旅人にしてくれる。

2017年12月6日水曜日

病理の話(147) びょうりいっておいしゃさんだよ

知人から、近所の小学生が「病理医」ということばを知ってるんだよー、という話をされた。病理医を知ってるってマニアックだなあと思ったら、そのあとに続くことばがおもしろい。

その知人が、

「ほかにどんな医者を知ってるの」

とたずねたら、

「えっ、びょうりいってお医者さんなの!」

と言われたらしい。ずっこけである。



そのあと、どんな医者を知っているのかと聞いてみたところ、

「内科。外科。産婦人科。あとコードブルーの人。以上。」

とのこと。

あきらかにテレビの影響である。

そして、びょうりいという単語は知っていたし、あれが病院で働く職員だということもわかっていたが、医者だとは思っていなかった、とのこと。



昔、警察官にはなりたくない、青島刑事になりたい、と答えた子供もいたと聞く。




医者に対する強力なイメージがすでに広まっている状況で、たとえば病理医とか病理という仕事を「特殊な医者だよ」と説明すると、誤解を招きそうだ。

もっと「病理医」に対してストレートにイメージを喚起するような説明が必要なのかもしれない。

どう表現すればよいだろうか?

ぼくは、「特殊なお医者さんなんだよ」と説明することに慣れすぎてしまっている。

医者という巨大なイメージに対抗しながら語彙を使い果たしてしまう。

もっと違う方向からアプローチできないだろうか?




・病気を調べる学者だよ

 →学者というイメージにひっぱられる。メガネのオタクで顕微鏡で試験管をふってそうで、医学系研究者の一部として処理されそう

・顕微鏡で細胞を見て病気を調べる仕事だよ

 →たしかにそうなんだけどいつも思う、本来の病理医の仕事の一部しか語っていないくせに地味。どうせ一部しか語れないならもう少しはなやかに説明したい

・医者の相談役だよ

 →フィクサーみたい。気持ち悪い

・お医者さんより病気に詳しくてお医者さんの相談にのる人だよ

 →少しマイルドにしたけど……おばあちゃんの知恵袋感がある

・病院が国家だとすると病理医は軍師かな

 →この例えを思い付いた自分があいかわらず気持ち悪い

・病気にやたら詳しい学者なんだけど給料はなぜか医者と一緒なんだよ

 →「なぜか」をつっこまれると死ぬ

・医者になるだけの資格を持っているのに医者にならなかった変なおじさんだよ

 →最近は変なおねえさんの方が多い

・勉強してたらお給料が入る仕事だよ

 →みもふたもない




たぶんこういう話を、居酒屋トークみたいな緩い感じでもいいから、本当にずーっとずっと考え続けていくことで、世間のこの職業に対する認知が変わると思う。

そして同時に、副産物として、

「今、病理医として働いているひとたちが、自分の仕事をより正しくとらえることができる」

みたいなことが生まれる。

ぼくはこっちも意外と大事なのではないかと思っている。





ぼくらは医者の資格を持っているけれど、実際、医者とはまるで違う仕事をしている。ぼくらの本質は学者に近い。

医師免許を持ち、学者にしては高い給料をもらい、病院にも勤務することが可能な、生命科学者。





……そこまで考えているはずのぼくが、知人から「えっ、びょうりいってお医者さんなの」の話を聞いて、無意識にずっこけてしまう。

なんだろう、医者ということばにしばられているのはぼくの方なのか。

なれたはずの臨床医にならなかった、という「ストーリー」を自分に与えたくてしょうがないのだろうか。そんなところがぼくの中にあるのだろうか。

あるかもしれないな。おもしろいなあ、と思う。




「見たもの、経験したものを博物学的に並べたあと、ストーリーを与えて仮説を形成する」というのが病理医の仕事の本質である、と、思わせぶりに最後に書いておく。

2017年12月5日火曜日

ちなみにときおりLDLが高いです

古いドイツ車に乗っているのだが、冬が来たらまたエラーのランプが点灯した。去年もこういうことがあった。触媒コンバータの故障を意味するランプだ。

ウェブサイトで確認すると、アクセルを控えめに走行して早くディーラーに持って行け、とあるので、ご指示に従ってディーラーに行ってみた。するとまったく違うことを言うのだ。

「これはですね……その……いわゆる『かぶっちゃった』ってやつでですね」

コンバータじゃないのか。

かぶる、なんてのはずいぶん昔のアメ車乗りがいっていた言葉だ。エンジン内の燃焼が悪いときに、イグニッションの部分に不完全に燃焼したガソリンが「かぶってしまう」ことで、エンジンの始動がいまいちうまくいかなくなる。

ディーラーの整備士は言うのだ。

「えー、黄色のランプってのは黄信号で、ですね……まあその……気を付けて走行すれば大丈夫でして……えーと、近所のコンビニに5分くらいで着いて、すぐエンジンを切るような運転をしてると、こうなりやすくなります。あとはー、冬になるとなんかいろいろこうなります。けど高速道路を走ったり、回転数をあげて走ったりするとそのうちランプも消えますよ」

いったい何を言っているのだ、こいつは。

おかしくなって笑ってしまった。自分が何もわからないものに乗っていること、ウェブサイトであれだけアラートを鳴らしているにもかかわらず、整備士が至って呑気で、むしろ、「この程度ならまだ大丈夫ッスよ」とでも言いたげなこと……。



今年も冬が来てまたランプがついた。

さてどうしようと思ったのだが、ひとまず高速道路で新千歳空港に行く用事がある。

黄色アラートが点灯した状態で高速走行など絶対にやりたくない危険な行為だろう……と、以前は考えていた。しかし、昨年の整備士のお説によれば、

「回転数をあげて長時間走行するとエンジンが安定するんすよ ランプも消えますし」

なのである。

十分に注意して高速に乗り、制限速度ぎりぎりでじっくりと1時間ほど運転してみた。

翌日にはランプが消えていた。

また笑ってしまう。はは、ぼくは何にもわからないまんまに車に乗っている。

整備士がほんとのことを言っているかどうかも確かめようがない。

ググっても違う情報が出てくる。知人はそれぞれ好き勝手な事を言う。

ランプがついてもまた消えるというなら、ランプの意義とはなんなのだ……。





病院に来る患者なんてのは、みんなこういう思いをしているのだろうなあと思った。

血液検査の結果を見ておどろく。黄色のランプがともっている。

どうすればいいんだろう、あんなに糖質制限してるのに不健康なの、どういうこと?

医者にたずねる。

炭水化物減らしたせいでかえってタンパクとか脂質が過剰になってるんですよ。そのせいで中性脂肪が高くなってるんですね。

もう何を言っているのかわからない。

こうしろって書いてある通りにしたのに。

医者に言われて食生活を変えればよいのか。

そもそもこの「黄色ランプ」は、自分にどういう危険をもたらすのか。

ググると違うことを言っている人がいっぱい出てくる。

医師免許を持っている人なら安心かと思ったけど。

ウェブサイトに「医師です」と書いてあるのをそもそも信じてよいのかわからない。

食事のことなら栄養士に聞く方が安心かなあ。

でも、聞いたところで、結局なにを言っているのかわからなかったらいやだなあ……。







今朝はとても寒かった。氷点下にふるえながら、運転席に座り、キーを回し、助手席においていたひざかけを手にとり、さて発進しようと思ったら黄色いランプが点いていた。

古いドイツ車はだめだな。

でも、車ってのはそう簡単に乗り換えられるもんじゃないんだ。

ちょっと血圧が高いからって来世に期待する人間がどこにいるだろう?

問題は、この黄色ランプが、高血圧くらいの意味なのか、高コレステロールくらいの意味なのか、ぼくにはさっぱりわからないということなのだが……。

2017年12月4日月曜日

病理の話(146) 語る時間と語らない時間

臨床医からの信頼が極めて厚い病理医というのは、「臨床医との対話の回数が多い」。

そして、勘違いしやすいのだが、「ずーっと仕事中臨床医と会話している人」が病理医として優れているわけではない。



病理医の強みというのは、何百種類もの色のレゴブロックが作り上げた医療という造形物の中で、病理医だけが持つ色・形を持っている、という一点にある。

その強みとは顕微鏡を見て細胞について思いを馳せることができるということだ。

細胞を見ることをおろそかにし、臨床医によりそうように、臨床医療のなんたるかだけを考えている病理医であっては、赤や青、緑で作られたレゴの中にキラリとまじったクリスタルカラーであることはできない。



先日、「濱口秀司さんのアイデアのカケラたち。」という連載の中で、目を引く記事があった。

http://www.1101.com/hamaguchihideshi/2017-11-27.html

いろいろな読み方があるだろうが、ぼくは、コミュニケーションとコラボレーションによって何かをクリエイトするとき、その作業の中に

・ひとりで沈思黙考する時間



・他人のアイデアに触れて、自分の中にあるバイアス(偏り)を排除する時間

の両方があることが重要なのだな、ということを感じた。




病理医が臨床医に寄り添いすぎて、診断学の要諦や治療のありよう、医療のメジャーな問題点などにあまりに共感しすぎてしまうとどうなるか?

それは、「臨床医だって普段から考えていること」を、病理医が一緒になってやっているにすぎない。病理医じゃなくてもできることだ。むしろ、臨床医が得意なことに病理医が興味本位で首を突っ込んでいるようにも思える。

病理医に求められていることは、「臨床医ができること」ではない。

臨床医が持っているバイアスや、臨床医が抱えている死角を、病理独自の視点で潰すこと、病理固有のスキルで問題を大きく揺り動かして解決することなのだ。






多くの仕事を世に送り出している臨床医には、たいてい、懐刀(ふところがたな)とでもいうべき病理医がいる。

先日、ある学会に出ていたとき、ひとりの肝臓内科医と話をした。彼は日頃、「頼りになる病理医」とメールのやりとりをするのだという。

「今日の学会にもいらしているんですか?」

ぼくは尋ねた。すると、彼はこう答えた。

「今日は病理の先生は別のお仕事だからいないよ。あんまり一緒の会には出ないね。ぼくは彼とね、うん、そうだな、年に2回も会わない。何週間に一度くらいのペースで、メールで短くやりとりをするだけ」

ぼくはそれを少なく感じた。コミュニケーションが足りないのではないかとさえ思った。しかし彼はこう続けた。

「でもねえ、その一瞬のメールが、ぼくの考えていなかった部分のフタを開けるんだなあ。ほんとうに、おもしろいくらいに、音を立てて、パッカッって開く。そこからまず、自分で考える。前提を疑う。見ていなかったものを見る。そして、何かまとまったな、と思ったときに、またメールをするんだ。するとね……」

そのアイデアは、さぞかし素晴らしい進歩をしているんでしょうね。ぼくは相づちを打つ。彼はまとめるようにこう言った。

「そう、まず、すごいねってほめてくれる。そしてそこでさらに、ぼくがこれだけひとりで考えまくって完成したアイデアを、さらにひっくり返す……というか、画竜点睛を入れてくるんだな。あれにはほんと参るよ。頼りになる病理医ってやつだ……」




臨床医からの信頼が厚い病理医というのは、「臨床医との対話の回数が多い」。

さらに言えば、臨床医からの信頼が究極に厚い病理医というのは、「臨床医にひとりで考えさせるだけの力をもったひと言」の重みを知っている。

コミュニケーション、コラボレーションというのは奥が深い。

口数が多ければよいというものではないようだ。ぼくは幸い、口数がそこまで多くない方の病理医だったよな。そう思ってツイッターのホームを覗くと、「38万ツイート」ということばが踊っていた。


2017年12月1日金曜日

むりだっちゅうねん

最近ちょっと腹の減り方が激しくなった気がする。

この腹からの欲求にそのまま答えたら、中年太りをするのではないか。

ふと、そう思った。



偉そうに言っているがぼくは、すでに中年としての「太り道」の途上にある。体重は青年期よりも3キロほど増えた。筋肉が落ちたのに体重が増えているというのはつまり、そういうことだろう。

今のところ、着やせするような服を選ぶことで、体型を維持しているふりをしている。

もはや待ったなしだ。このまま太っていくのだろう。できれば踏みとどまりたいとは思う。今まで着ていたスーツのズボンが入らなくなるのは残念だ。




本能に従って生きるという言葉には注意しなければいけない。本能のまま食ったら太ってしまうのだから。

本能というのは、理屈とか人の情念を超えたところで、「何かを保とうとする働き」である。一見、従っていれば間違いないように思える。

なんとなく、本能に従って生きれば一番いいじゃないか、と言いたくなる。けれどここには落とし穴がある。




本能が保とうとする一番大きなところは、本人の生命の維持……ではない。

種の存続だ。

自分が命を終えても、種族の遺伝子が後世に残っていくこと。本能というのはぶっちゃけ、そこにつながっている。

本能というとすぐ食欲と性欲と睡眠欲の話になるだろう。種の存続なんていうとなおさらだ。みんなセックスのことばかり考える。

けれど、種族の遺伝子を後世に残すことは、生殖だけでは達成できない。

生殖活動だけしても、いわゆる「子育て」をしないと、ヒトは生命を保てないからだ。脳ばかり大きく闘争と逃走の能力が不完全な、未熟な状態(つまりは赤ちゃん)で生まれてくるヒトは、ただ生めばいいというものではない。

セックスだけが本能であっては困るのである。その先にもさらに本能がないといけない。

社会を形成して子育てをすること。

徒党を組んでお互いを守るということ。

親子だけでは無理なのだ。

兄弟だけでもだめなのだ。

孤独であっては生きられない。

……家族単位では孤独であっても、真の意味で孤独な人間というのはいない。買い物をするだろう。本を読みテレビを見るだろう。言葉を知っているだろう。戸籍という意味ではなく、人間同士のつながりを手段として有している時点で、それは動物的な孤独とは少々異なる。

荒野で一匹遠吠えをするオオカミと、自分は孤独だと泣くヒトとは、周りに冷酷な社会があるかどうかの差分だけ、違う。




ヒトには、自分が生き残りたいとか子種を残したい以外にも本能がある。

だから、少なくとも、本能に従えば、社会を形成するために必要な自分でいることはできるのだ……。



いやまてまて。暴飲暴食をすると命を縮めるというではないか。それはいいのか?

いいのである。

暴飲暴食をすると、統計学的には、50代を超えて生きるのが難しくなる。高血圧、脂質異常症、糖尿病などは、人生の下半期に重くのしかかる病気だ。けれど、50を超えてから死んでも、種の存続にはあまり関係がない。すでに子を産み、ある程度まで育て終わった年齢だ。社会を形成する役割についても、半分くらいは達成できている。

ヒトの本能は、「50歳を超えて生きようと思っている我々のエゴ」には付き合ってくれない、ということだ。





ぼくは50で死にたいとは思わない。

けれど、本能はぼくの50歳以降を助けてくれないはずである。





この悲しい関係に、叛逆をおこすために、何が出来るか。

ぼくは自分が生きていくために、社会を存続させていかないといけないと感じる。

多少の空腹感をおぼえながらも、もっと若いひとたちが社会を便利に使えるように、自分のカロリーを社会に注いでいく。

他人の手伝いであくせくはたらき、きっちりとカロリーを消費してから、食べる。

そうすれば、にっくき中年太りをも、ある程度予防できるのではないか、と考えるのだ。


……そんなことが、可能だろうか……(タイトルに戻る)。