CT、MRI、エコーや内視鏡など、臨床の画像をまだそれほど使い慣れていない初期研修医が、病理に勉強に来ている。
そういうときにはまず、手術で採ってきた臓器の肉眼像をみせる。
ミクロ(顕微鏡)より先に、病変のマクロ(目で見える姿)を仕込む。
最後までミクロを教えないこともある。
一方、初期研修医ではなく、ある程度訓練を積んだ後期研修医、さらには研修を終わった後すでにエースとして働いている臨床医が病理にやってきたときには。
マクロと、ミクロを、一緒に見せる。
経験のある臨床医であれば、最初からハイレベルな学問を与えても、そこまで画像で培ってきた知識を総動員して、うまく消化・吸収してくれる。
いずれにしても。
病理は顕微鏡をみる部門だと思われているのだが、実際に勉強にやってきた人に、ミクロ画像だけを教えて返す、というのはやったことがない。
省略するならミクロだ。
マクロは落とせない。
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世の大半の医者にとって、病理はマニアックで、ニッチで、オタクである。それはもうよくわかった。何十人、何百人という医者と話をしてきた。まちがいない。
それでもなお、一部の医者は、自分のキャリアを充実させるために、病理で勉強をしたいといって検査室にやってくる。
特に、「がんを扱う科」や、あるいは「画像診断を行う科」で働く予定の人にとって、病理は宝の山だ。
「がんを診ず、画像もあまり使わない科」であれば、病理には用はないだろうと思う。
で、その、マニアックでニッチでオタクな病理にやってきた医者達は、忙しい。
王道の、自分の本職を極めるのに、忙しい。
だから、マニアックな病理診断の全てを極める時間は、当たり前だけど、ない。
全部を教えることはできない。
ポイントを絞って教えることこそが肝要だ。
そのポイントの筆頭が、「マクロ」だと思っている。
手術で採ってきた臓器に出現している病気を目で見る。
かたちがある。色がある。表面性状のざらつきやてかり。出血や壊死の有無。周囲の正常構造をいかに押しのけているか、あるいはしみこんでいるか。
これらのマクロスコピック(macroscopic: 目でみて判別できる規模)の変化をきちんと読めるようになると、CTやMRI、超音波、内視鏡で病変を間接的に、あるいはガラスごしに観察したときの、
「現実感」が変わる。
「なぜ○○がんはCTだとこう見えるのか」に、血が通うようになる。
「なぜ□□がんの周囲に内視鏡でこのような模様が見えるのか」を、直接目で見て感じることができる。
マクロな病態の説明は楽しい。
患者さんの労苦の原因を前にして「楽しい」とは本来医者が一番言ってはいけないセリフなのかもしれないが。
ニヤニヤ楽しい、fun、という意味ではなく、興味深くて心を動かされ、なんとかしようと考え抜くinterestingのほうだ。
目で見て違いを見極める作業は、頭の中に大きな筆文字で「納得」を書いてくれる。
初期研修医にはまずマクロを叩き込む。
まともにCTも読めない初期研修医だからこそ。
病理を出てから、またCTの勉強をはじめるときに、病理のマクロを思い出して、理解が進んだらいいなと。
初期研修医が病理を去ってからのことを思い浮かべる。
きっとCTを読むだろう。内視鏡を読むだろう。超音波プローブを片手に、さまざまな病態に悩む日が来るだろう。
そのとき、マクロがお守りになるかどうか。
……なる。なるが、それだけでは足りない。
もうひとつのポイントがある。それは、ミクロ、ではない。
「病理学」だ。
初期研修医たちは2年かけて医術を学ぶ。医療倫理を学ぶ。そこに、ホンモノの学問を叩き込む。巨人の肩の上に立つためのはしごをかける。
それが病理学、やまいのことわりの学問だ。
がんの定義とは。なぜがんになる。どのようながんが多いか。あなたは将来どれほどがん診療に携わるだろうか。
がんをマクロで見ながら語る。なぜこれががんなのか。どこらへんが大事なのか。
がんだと何がまずいのか。なぜ人はがんを恐れるのか。
がんを皮切りに、がん以外の疾病についても語る。感染症。変性疾患。
心臓や外傷や麻酔の話もする。「病理医なのに?」驚くだろう。たしかに循環器内科医や整形外科医や麻酔科医の知識は、ぼくはない。
しかし、理に関しては別だ。
理がある、ということを、文字通り理解してもらう。
マクロと病理学だけで手一杯なのだ。ミクロに辿り着くひまがない。
病理を去るときに、声をかけることがあるし、声をかけないこともある。研修医たちが病理を回る最終日、ぼくはなぜか出張のことが多い。最後に会えないこともある。
会えるときにはこう声をかける。
「マクロと病理学、先生のこれからの、役に立てばいいですね」
こう言うと、いろいろな返事をされる。
もうひとこと、付け加える。
「ちなみにぼくが一番詳しいのはミクロだけど、今回の研修は短かったから、そこまでたどり着けなかったね」
このひと言には、だいたい返事は一緒である。
――――え、そうなんですか。じゃあ、またいずれ、病理を勉強しに来ますね、今度はミクロを学びます。
しめしめ。
「いずれご縁があれば。ぜひ」