病理診断は全身の臓器を相手にするのだが、全部の臓器をすべて完璧にみられる人というのはけっこうレアで、たいていは得手不得手がある。
ぼくは胃、大腸、肝臓、胆道、膵臓、肺、乳腺、甲状腺が得意である。
子宮、卵巣、膀胱・尿管・腎盂、腎臓はまあ普通だ。
リンパ節、骨髄についてはがんばって覚えようとしている。
皮膚はあまり得意ではないが苦手ではない。
脳腫瘍は昔得意だったが今は大の苦手となった。
軟部腫瘍はひたすらに難しく、毎回戦いである。
……これらの得意・不得意は、ぼくの性格とか能力で決まっていったわけでは、ない。
ぼくが今まで、「臨床医といっぱい話をしてきた分野」から順番に得意になっている。
胃とか膵臓が「好き」だから、胃や膵臓が「得意」になったわけではない。
ぼくの仕事相手が、たまたま胃や膵臓の話をいっぱいしたのだ。
だから、ちょっとずつ得意にならざるを得なかった。
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すべての科に習熟したスーパー病理医というのに、ちょっとあこがれる。
「脳外科もできるし心臓外科もできるし食道も肝臓もとれるし膀胱もとれる外科医」にあこがれるようなものだ。
でも、そんな外科医はブラック・ジャックだけである。つまりは昔の、マンガの中だけにいる。
高度に専門化した今の医療の現場において、例えば小脳腫瘍摘出術をバリバリこなせて、かつ、膵頭十二指腸切除術ができて、食道切除術ができて、さらに、僧帽弁形成術ができる医者というのは、賭けてもいいけど、いない。
無理である。
それといっしょだ。「すべての科に習熟したスーパー病理医」というのも、ちょっと無理がある。
やっぱり病理医も、臨床医と一緒で、働いていくうちにいつしか、「専門」が決まってくる。
確かにぼくはもともと、胃や大腸の病理は好きだった。
ただ、肺とか肝臓、乳腺、甲状腺まで得意になりつつあるというのは、これはもう絶対に、臨床医との付き合い方によってじわじわと決まってきたもので、ぼくの思惑とは必ずしも一致していなかった。
結果的にぼくは、得意な臓器がちょっとだけ増えて、うれしいのである。
おもしれぇなあ、とも思う。
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病理医として名を成し、世界で戦いたい若手たちは、くちぐちに、有名な病理医の名前を出す。
「胆膵病理のドン」だとか。
「リンパ腫病理の権化」だとか。
「軟部腫瘍の帝王」だとか。
そういう人々のもとで働いて、世界に通用するような診断をしたいのだ、という。
いいことだ。
やはり、若い人というのは、「俺じゃなきゃだめな世界」で働くことを目指してほしい。
一本の大剣を持つことはとてもいいことだ。この聖剣があればどんなボスでも倒せる、というような、強い力を求めてほしい。
有名で、有能な、臓器専門の「病理医」に師事することで、自分の剣を大切に育てることができる。
ぼくにも大切な師匠がいっぱいいる。
病理医も、複数だ。様々な臓器の専門家にちょっとずつ教えてもらう。
ちょっとずつ、だから、なかなかその道の頂点には登れない。
頂点どころか5合目にも達していないと思う。
けど、師匠は病理医だけではない。「臨床医」もまた師匠だ。
日々電話やカンファレンスでやりとりする臨床医から、こんなレポートを書いてくれと要望を受けたり、実際に書いたレポートについて質問を受けたり、一緒に学会発表の内容を考えたり、査読で突き返された論文に頭を抱えたり……。
こうしているうちに、「大剣一本」とはちょっと違った強さが、少しずつ育っていく。
臨床医にとって、ぼくは、唯一無二の存在ではない。
ほかにも病理医はいる。ほかの病理医に頼んでも大丈夫。
「ぼくじゃなきゃだめな世界」ではない。「ぼくである必要はない世界」。
けれど、多くの臨床医、多くの師匠たちが、「ぼくである必要はないけれど、ぼくに仕事をふってくれている」。
「大きくて、強くて、レアな剣を振り回す、勇者」にはなれなかったぼく。
けれども、ぼくの「経験値」そのものが、少しずつ上がっていった結果……。
剣も攻撃魔法もそこそこ使えて、回復魔法もまあまあできる、「賢者」っぽいポジションで、戦えている気がする。
「あそびにん」から転職することができるというのも、気に入っている。