ようやく腰痛が治った。
治ったというかうまくつきあえるようになった。
腰や首との戦いは5年越しである。35歳になろうかというタイミングであちこちを傷めていた。24歳まではずっと剣道をやっていたのだが、剣道をやらなくなってから10年経ったあたりで、急速に体ががたつきはじめた。筋肉が弱ることでデスクワークへの耐性も衰えたのだろう。
腰が痛くなるたびに、ストレッチや姿勢、椅子の高さなどを駆使してなんとか乗り切る。
当院の医師や友人の理学療法士などとも相談した。湿布が効く場合と効かない場合があること。体全体の緊張がかなり影響しているようだということ。枕の高さが高すぎるということ……。
よく言われることだが、ぼくもご多分にもれず、痛みがひくまでの期間は、「ああ痛みがなかったころは自分が幸せであることに気づかなかったのだなあ」、という気持ちになる……。
という文章を書いているのは公開日より1週間前のぼくであり、つまり今は腰痛の真っ最中である。
まだ治っていない。そもそも1週間後に治っているという保証もないのだ。
しかし治っているだろうと仮定して書く。治っているぼくが、痛いころの自分を思い出して、気を引き締めているところを想像しながら書く。
……いったいぼくはどんな修行をしているのだろう。
病院の廊下をゆっくりと歩く高齢者たちをみる。ああ、つらかろうな、と思う。
同じく腰痛に苦しんでいた友人の、普段の姿勢をみて、わかるぞ、その張った胸は偉そうにしているわけじゃないんだ、少しでも腰に負担をかけたくないんだよな、と察する。
仙台空港で、荷物カートに体重を預けながら歩いた。「杖」の意味を知る。昔から今に残るものには必ず意味がある。
ヘルニアではない、腰椎すべり症でもない、おそらくは凝り固まった広背筋及びその周囲筋と、デスクワークで血流が悪く硬化した大腿四頭筋によって、骨盤が上下に牽引されるときの、腱の痛み。
そこまでわかっていて、対処法もわかっていて、なお頭を必ずかすめていく、「もしこれががんだったらどうしよう」というおそれ。
病名がつかないままに日々をおくること。
医療者にたよらないままに暮らすこと。
医療者であってもこれほど不安で、ストレスで、筋肉を硬くし、症状を悪化させていく。
来週のぼくはもう忘れていて欲しい。
けれど覚えていて欲しい。
さあ、どうだったろう。いつものように予約投稿をしかけてスケジュールボタンを押す。