【挿入話(3)】
財布をしまいながら、ロビーから玄関に出た。ガラス越しでは雨が降っているかどうかよく見えなかったが、過ぎゆく人々が傘をさしているのがわかった。財布と入れ替わりに折り畳みの傘を出し、傘の骨を一本ずつ伸ばしながらゆっくりと外に出る。傘を完全に開く前にひさしを通り抜けてしまう。眼鏡が少しにじんだ気がする。石のタイルが濡れそぼっている。もし今ここで足を滑らせて転んだら、また玄関からロビーに逆戻りして、順番を待つ羽目になるのか、順番を待つ人の横を担架で運ばれることになるのか、どちらにしても恰好が悪いなあと少し眉をひそめながら、ゆっくりとした小走りの姿勢で信号の前にたどり着く。ようやく傘を開き終わり、少し肩をすくめるようにして下に収まった。なぜか空気がきれいになった。背筋を少し伸ばす。なぜだろう、雨からよけるだけのことに、本能がとても満足しているのは、なぜだろう。
傘は面倒だ。傘なんてなくても生きていける。けれど、折り畳み傘を持たない日に雨に降られると、今そこで濡れているという事実以上に、なぜ朝方傘を持たずに出かけたのだろうと悔やむ気持ちが心を濡らす。傘を持つ面倒さと、傘を持たなかった時の後悔。両者は対立項であるが、実際、どちらも私にとってはマイナスでしかないわけで、どちらが勝ったとしても私は損をするわけで。私と、傘のない暮らしと、傘のある暮らしとの三国鼎立であった。傘を納めても重みで形が崩れないようなかばんを選ぶ。かばんの柄と服の柄があまりに違いすぎないような傘を選ぶ。傘を持ち歩いていても恥ずかしくないような生き方を選ぶ。
さっきもらってきた薬を飲むようになってもう4年ほど経つ。血圧が高いからと言って今日明日死ぬわけではない、けれど、高血圧を放っておいたらいつか死にますよとテレビも雑誌も言っている。だから薬を飲む。面倒だけれど、飲む。飲まないでいる自分を想像しながら、飲む方を選ぶ。
この薬はきっと、傘のようなものだ。雨に降られたからといって、皮膚に穴が開くわけではないし、頭蓋骨が吹き飛ぶわけでもないが、しつこい雨が肌を濡らせば、私は少しずつ寒くなっていく。それがいやだ。傘は持ち歩くのが面倒だし、開くまでが面倒だし、傘を持った自分をコーディネートするのも少しだけ面倒なのだが、雨のときに開くと心が休まる気がする。雨音が傘を打つ音を聞いていると、洞窟で暮らしていた人類の祖先が最初に音楽を思いついたのは果たして雨音であったか、風の音であったか、どちらであったろうかと考えて、少し楽しくなってゆく。たぶん雨の方だ。だって、雨のときは、出かけられないから。出かけられないときこそ、音に耳を傾けたであろうから。
血圧の薬を飲む。傘ほどの安心は、実は得られない。飲む前と飲んだ後で、自分がどう変わったのか、よくわからないから。毎朝、毎晩、血圧をはかる。医者に言われた血圧に収まっているかどうかを見る。収まってはいる。収まってはいるのだが、この薬がなければ果たして血圧がまた元のように高くなるのかどうか、実はそれもよくわからない。
もう雨は上がっているのではないだろうか。
日傘にはちょっと暗いデザインの傘を、私は馬鹿正直に、雨上がりの空に向けてずっと開き続けているのではないだろうか。
医者に、すごく遠回しにたずねてみた。
「最近調子が良いんですが、今日は薬を飲むのをやめてみようかとか、そういうことを考えてもいいのかとか、一応、今日はそういうことを、おうかがいしようかと……」
けれど、全部は言えなかった。「今日は薬を飲むのをやめて」くらいのところで、手ぶりをつけて話を止められた。
「岡田さん、このお薬はね、ずっと飲んでいるからいいんです。やめたら血圧はすぐに高くなりますし、血圧が高い状態は1秒でも短いほうがいいんです。確かにありがたみはないですよね、今、見かけ上、血圧は正常ですからね。
じゃあ、そうですね、こう考えてみましょう。このお薬は、あれです、服。服とおなじ。私は昨日も一昨日も、職場にやってくるときに服を着てきました。それで、世の中の人に、別段変な顔もされないし、不審者扱いもされていないまま、今日にいたります。じゃあ、私は世の中の人に受け入れられているからと言って、明日私がね、服を着ないで、仕事場に来たら、その瞬間から私は変な人ですね。たぶん、通報されますし。つかまりますね。この薬もそれと一緒です、飲んでいる間は平和。飲まなければおおさわぎになります。続けた方がいいと思いますよ」
わかってる。知ってる。そんなに言わなくてもいい。ちょっと弱さを見せただけだ。お金だってかかってるんだから。ちょっとたずねてみただけだ。
「なるほど……先生、たとえがお上手ですねえ。私すぐわかっちゃったわ。それなら飲まなければいけないのねえ」
医者というのはこれくらいへりくだらないと機嫌を直してくれない。そして、これくらいのへりくだりが「心の底からわきあがってきた感情」だと勘違いする程度には、医者というのは世の仕組みを、人の心を、わかっていない。
服と薬は違う。
服を着ていない人はいないけれど、薬を飲んでいなくても平気な人はいっぱいいるんだから。
私の薬は服じゃない。私の薬は傘。
ずっと雨が降り続いている。おそらく死ぬまでずっと。
「母さん今日病院行ってきたんだって? 雨降ってたでしょう。危なくなかった? そろそろタクシー使ったらいいんじゃないかな」
「タクシーに乗るにはちょっと微妙な距離なのよ」
「最近のタクシー、短距離でも別に嫌な顔なんてしないよ」
「でもね、健康でいるために病院に行くのに、タクシーなんか使って運動不足になったら、意味がないじゃない」
「運動したいなら病院行くまでの道とかじゃなくて、もっと、公園とか、バラ園とか、そういうところを歩けばいいじゃない、見て楽しいし」
「あら、病院行く途中にね、とてもよく手入れされたお庭があるおうちがあってね、私あそこ通るの結構好きなのよ」
「ああ言えばこう言うんだから……わかった。けれど雨のときくらいは気を付けてよ」
「言ってなかったかしら、私、雨、好きなのよ。ちゃんと折り畳みの傘を持ち歩いてる人はね、ときどき雨が降ってくれないと、傘の持ちぐされ、みたいな気持ちになってかえって気がふさぐものなのよ」
「そんなのはじめて聞いたわ」
「傘を持っておでかけ、って、少しおしゃれでいいでしょう。フランス映画みたい」
娘というのはこれくらいかみ砕いて説得してもなかなか納得してくれない。そして、私がわかりやすく示した矜持が「娘に心配をかけたくない感情」だと勘違いしてくれる程度には、世の仕組みを、人の心を、わかっているだろう。
実際私は、自分の口から出てきた、「傘を持っておでかけ、って、少しおしゃれでいいでしょう」という言葉に、少し救われているような気になったのだ。
(2017.10.22)