2017年12月22日金曜日

病理の話(153) 病理医はどこで働いてるのか

今いる病理医の「はたらきかた」が何種類かにわかれていることは確実。ただその比がよくわかっていない。いつか実数をきちんと把握したいなあとは思っている。けどどうやって調べたらいいのかわかんないな。

とりあえず、分類だけを済ませておく。


・大学・研究機関にいる
・一般の病院にいる
・検査センターにいる



これらをもう少しわける。


1.大学・研究機関にいる
 a) 主に研究をしている。生命科学の研究。遺伝子やタンパクを調べるなど。顕微鏡診断は全くしない
 b) 主に研究をしているが、それだけだと食えないので、顕微鏡をみて診断をするバイトをしている
 c) 主に研究をしているが、研究するために顕微鏡をみる必要があるので、自然と診断もしている
 d) 研究をするつもりではいるが、顕微鏡診断のほうに本腰が入っている
 e) 研究をあまりせずに顕微鏡診断をメインにやっている

2.一般の病院にいる
 a) 主に顕微鏡診断をしている。研究は手伝う程度で自分ではやらない
 b) 主に顕微鏡診断をしているが、たまに大学などと協力して研究にも参加している
 c) 顕微鏡診断をしているが、いずれ大学に戻って研究するまでの修行

3.検査センターにいる
 a) 主に顕微鏡診断をしている。研究はしていない
 b) 主に顕微鏡診断をしているが、昔研究をしていたので、ときどき研究に手を貸している



まあこんなかんじ。

えーと、ぼくは「2-b」になります。


書いてみると自分でも、おっ、と思うんだけど、病理医はたいていの場合、「研究」をしている。今していなくても、生涯のキャリアのどこかでは大学と関わったり、研究をしたりしている。学者としての性格が強い仕事なんだ。

研究を全くしていない病理医は少なくて、たとえば検査センターにいたりする。けれど、そういう人もたいていは、昔大学でいっぱい研究をしていて、大学を退職したあとの第二の人生として検査センターを選んでいる、なんてパターンが多い。

「生涯にわたって、研究をほとんどしていない」という病理医の割合は、おもいのほか少ない。





ただし。

今、少しずつ、増えているように思う。

実数を把握しているわけではないけれど。

「病理診断学そのものが楽しそう」、というイメージをもって、最初から診断だけをするためにこの世界に入ってくる人が、増えていると思う。





昔だって、「診断が好きだから病理医になった」という人はいっぱいいた。けれどその人たちも、かつては大学への”ご奉公”みたいな制度があったので、たいていどこかのタイミングで研究をして、博士号をとっている。

博士号をもっていない病理医というのはかなり少ない。

でも、今この時代、はじめて、「大学に属さず、博士号に興味がなく、研究はせずに、病理診断だけをしたい人たち」が、増えてきたのだ。




このことは、病理医に限った話ではない。

臨床医は、病理医よりも30年くらい早く、この「転換」を経験している。

昔、臨床医もたいてい大学の医局に属していた。しかし、30年くらい前に医局制度がめちゃくちゃになり、今では大学とか研究にあまり興味をしめさずひたすら臨床に生きる医者が、だいぶあたりまえになった。

30年経った今だから、臨床医は、「研究しない人生」「大学にいないキャリア」を思い浮かべることができる。





しかし病理医はそうはいかないのだ。

治療も維持もしない、診断だけの医者。

ほんとうはここにもうひとつ、「研究」が加わってはじめて、病理医のアイデンティティは構築されてきたという歴史がある。

では、「研究」に生涯一度も触れずに診断をし続ける病理医というのは存在可能なのだろうか……。






ぼくは可能だと思う。

ただ、ぼくとて一度は研究の世界に身を置いていた。

研究の世界。すなわち、大学である。

ぼくより若い人たちが、大学を通過せずに病理診断学を究めようとするのをみると、なんとか応援したいと思う。

しかし、ほんとうにそんなことが可能なのだろうか、と、心のどこかで不安を抱えている。

本当に可能なのだろうか。





大学にいなければ学べない経験というのがある。

ひとつには、「多くの病理医と知り合うこと」。

ひとつの組織に属してしまうと、せいぜい2,3人、運が悪ければ自分ひとりしか頼れない。

それでは診断学は伸びていかない(と思う)。

さまざまな病理医と知り合うことで、いろいろな病理診断学を知ることができる。

大学というのは人の出入りが激しい上に、関連病院という名前の属国を持っているから、複数の病理医と関係することができる。

では、大学に行かずとも、複数の病理医と知り合うにはどうしたらいいか……?




ふたつめ。「研究のメソッドを知ること」。

自分で研究を全くやらないのは生き方としてアリなのだが、病理医というのは「診断をする上で、研究的な頭脳がないと、臨床医とうまく会話できなくなる」場合が、たまにある。

たいていはプレパラートを見て白だ黒だと言えばいいが。

ここぞ、というタイミングで、臨床医の「なぜ」に答えるためには、研究的な目線が必要になる場合がある。

大学に行かずとも、研究のメソッドを知るにはどうしたらいいか……?




ぼくはこれらの答えとして、暫定的に、ひとつの結論を用意している。

「大学とある程度仲の良い市中病院で」

「複数の病理医がいる市中病院で」

「大学とつかずはなれず、軽いコネは作りながらも研究にかり出されたりはしないような」

ところで、研修をすればいいのではないか、ということだ。




やはり多くの病理医を見ておくことは必須だと思う。少なくともキャリア10年未満で「ひとり病理医」を経験することにあまりメリットはない。まわりに教わる人も教える人もいない環境で顕微鏡とだけ向き合うのは、完成されてからでいいはずだ。

ひたすら診断をやりたいというならば、症例が多くないときびしい。勉強ができない。

症例が多ければ人も多くいないときびしい。疲弊して勉強どころではなくなってしまう。

症例が多くて、複数の病理医がいて。

しかもその病理医たちの一部が、大学とある程度良好な関係を築いていれば……。

同僚を介して、さまざまな世界をみることができる。



……と、ここまで考えてはいるのだけれど。

結局はその人が「何を大切にしたいか」で決めるべき、なんだろうなあ……。