2017年12月8日金曜日

病理の話(148) とある病理の選書目録

病理の話を誰かにして、わかってもらうために、頭の中にインデックスを作っている。



細胞について。障害と応答のメカニズム。

炎症。

組織再生。

循環メカニズム。

遺伝性疾患。

免疫。

腫瘍。

感染。

代謝、栄養。




さあ、病理の話をしよう……。そう意気込んで、インデックスを順番にたどり、いちから語ってみても。

医学で飯を食おうという人以外には、まず興味をもってもらえない。




基礎のところはいいからさ、もっと役に立つところを教えてくれないかな。

もっと身近な病気について説明してもらったほうがうれしいな。

勉強したいわけじゃないの。自分の知りたいところだけ知りたいの。



そんなふうに言われてしまうだろう。

つまり、ぼくのインデックスは、「医学好き」とか「病理好き」には役に立つだろうが、「医学ふつう」「病理ふつう」とか「医学きらい」「病理きらい」な人にとっては、さほど価値がない。

頭の中には病理のインデックスが全部入ってますよぉ、なんて偉そうに言ったところで、世間の多くの人からは単なる「医学知識オタク」とみられて終わりである。

みんなはもっと、実学的な、身に迫ってくるような、あじわいのある、「やまいの知恵」みたいなものを求めている。

そういう人達に、病理のおもしろさを伝えようと思ったら、ぼくの用意するインデックスは「今のまま」ではだめなのではないか。




ぼくはそもそもインデックス大好き派である。

理論が順番に組まれていることに安心を感じる。

だから、人に説明する時も、概念をきちんと整理して、分類をして、筋道を追って説明をしたい。

……けれど、それでは通じない場合がある。

そのことにようやく気づきはじめた。




今まで気づかなかったのは、自分が誰かに何かを伝えようとするとき、「伝えようとがんばっている自分」に満足していたからではないかと思う。辛辣な言い方だが、自分に対して言うのだからかまわない。

必死で伝えようとする人間をみていれば、相手も「まあがんばってるからな、わかったふりしとこ」となるだろう。

ぼくは相手の「気づかい」にあぐらをかいていたのではないか、と思う。




今ぼくが知りたいのは、「教科書を調べるときに、目次から順番になんか読まないよ派」の「生態」である。

彼らは、索引をひくだろう。

あるいは、ググるだろう。

いずれも、何か、ひとつの単語をあてにして……。

その単語は必ずしも、その人が知りたいことをきちんと連れてきてはくれない。

どう調べたらいいかわからない人に、「インデックスをおぼえろよ、最初から読めよ」と突き放してもしょうがない。

索引を調べる人、ネットで検索をする人が、「どんなことば」で病気を知ろうとしているのかを、まず、ぼくが知りたい。

そして、あることばAを使って検索をしている人に、「BとCも一緒に加えるといい検索ができるぜ」と伝えたい。





ぼくは今、病理学に対して、通常の教科書が採用している「オモテのインデックス」に対する、「ウラのインデックス」を作れないか、と思っている。

病理学をまとめて勉強するためにはオモテのインデックスに従った方がぜったいにいい。

けれど、世の中の多くの人は、目次から順番に病理学を読もうとはしない。する必要もない。

だったら、いっそ、世の多くの人が検索する語句を順番に最初からならべた、「ウラのインデックス」を見てみたい。検索ワードの上位から順番に目次を作ってしまう、ということだ。

「ウラのインデックス」をひとつひとつ説明することで、いつか、病理学の全体を説明できるようになるならば、それはとても楽しい事なのではないか。




・がん

・インフルエンザ

・ワクチン

・ケガ

・予防

・ダイエット

・老化

……。


なんだか書店のあやしい棚を見ている気分になる。

そうだよな、書店で売れている本というのはつまり、「単語で医療をまなびにくる人」をターゲットにしているんだもんな。

当たり前のことだった。





オモテのインデックスを、ウラのインデックスと同じくらい、おもしろく語ることができるだろうか……。

今のぼくの目標はそれである。たいへんに手強い。まだ3合目にも達していない。