2017年12月12日火曜日

病理の話(149)

Philips社の「フィリップス インテリサイト パソロジー ソリューション」という機械が薬事承認された。

とても大きな節目となるので説明をしておく。




この機械は、

・プレパラートを最強拡大ですべてスキャンしてモニタに映す装置

である。ホール・スライド・イメージング(Whole slide imaging:WSI)。

実は、今までもあちこちの病院に置いてあった。ただあくまで研究レベルだったので、ハイボリュームセンターには置いてあったが、中小の普通の病院には置いていなかった。

顕微鏡を見なくても、組織像をパソコンの画面でみることができるシステム。拡大・縮小も思いのまま。インフラさえ整えれば、他の病院の病理医にプレパラートを郵送しなくても、画像を送るだけでコンサルテーションができる。





モニタに映った顕微鏡画像を見て病理診断をするのは、顕微鏡と違ったコツがいる。

だから、従来の病理医の多くは、WSIを使った診断に難色を示していた。

「顕微鏡のほうがインターフェースとしてのこまわりがきく」

「モニタの操作が難しくて、顕微鏡では拾えた微妙な所見をパソコンだと見逃すかもしれない」

「手術検体のような大きな検体の診断はWSIだと手間がかかりすぎる。小指の爪くらいの小さい生検標本ならまだしも」




けれど、WSIはとうとう薬事承認された。臨床現場で「これを使って診断を出していいよ」と認められたということである(完全にイコールではないけれどその話をすると長くなる)。

ベテラン病理医たちは困っている。いやだなあ、と思っている人も多い。けれど、今後、そもそもあまり顕微鏡の使い方に慣れていなかったデジタルネイティブな若手病理医にとっては、WSIに慣れることはさほど苦痛ではないだろう。







WSIの診断はコツがいるけれども、思ったより「悪くない」というのがぼくの感想だ。

まず、ピント合わせが必要ない。顕微鏡では無意識にピントを合わせる操作を右手が行っているが、すでにピントの合った状態でのスキャンが終わっているので、ピント合わせという操作自体が存在しない。この作業は、診断を0.5秒ずつ早くしてくれる。脳の負担が0.5秒軽くなるというのは思った以上に大きいことだ。

次に、インターフェースはがんがん進化している。速度も申し分ない。この部分がみたい、という欲求に、今のPCはだいぶ答えてくれる。タブレットでもけっこういける。

電子書籍と一緒だ。一度慣れればなんてことないのである。

デジタル画像のストレージをどうするか、という容量の問題についてもかつては深刻だった。しかし、近年の技術の進歩からするとそろそろ問題視しなくてよい。実際、カナダやアメリカの一部、スウェーデンなどの北欧諸国、さらにデジタルパソロジー技術に期待をかけている東南アジア(意外なところではマレーシアなど)ではすでに、ペタバイトレベルのサーバを病理部に配置してWSIが本格稼働している。

日本はむしろ遅れている。これだけPCもスマホもタブレットも普及しているのに。







顕微鏡とモニタの違い。個々人にいろいろ思惑がある。けれど、時代は絶対にモニタ診断に移っていく。

モニタで診断するということはすなわち、「世界のどこにいても診断ができる」ということだ。

すでにCT, MRIの画像を読む放射線診断医は、世界中で「遠隔診断」を行っている。放射線の遠隔診断においては、統一規格(DICOM)の普及が決め手となった。DICOMはそもそもPhilipsという一企業の規格であったが、企業によって画像の企画が統一されていなければ遠隔診断などはできない。Philipsがひとりがちしたおかげで、放射線診断は遠隔診断できるようになったのだ、ということもできる。

独占禁止法ということばが頭をよぎるから、あんまりめったなことは言えないのだが……。

機器は多様であってもよい。ただ、データの規格が多様であっては困る。

デジタルパソロジーシステムはじめての薬事承認がPhilips社であるというのもちょっとした運命を感じる。

病理画像も早くDICOM……じゃなくてもいいけど、とにかく統一規格でデータ化してほしい。







臓器の切り出しが必要で、プレパラートの染色も必要である病理診断においては、遠隔診断システムの普及は難しいのではないか、と考えられてきたふしもある。

しかし、薬事承認されたシステムがあれば、話は別だと思っている。

病理医がどう難色を示そうとも。

経営側が主導することで、全国の病院に「とりあえず、プレパラートスキャナくらいは入れておこうか」という感じで、インフラ整備のハードルが下がる。

ベテラン病理医たちが、いくら「顕微鏡のほうがいい」と言ったところで、それは昔の放射線科医たちが「フィルムのほうが芸術的に線が読める」と言っていたのとあまりかわらないではないか。

少なくとも、経営側はそう考える。

インフラが普及し、若い人が新システムに慣れたころ、革新が進むだろう。

実際、ベテランであっても、使い始めると、驚いてしまうのだ。「意外な快適さ」に。

難しい病理診断をコンサルトするのがとても簡単になる。プレパラートを郵送しなくてよい。学会等のために写真撮影を求められてもとてもラクだ。だってすでに写真なんだから。過去のプレパラートを倉庫まで取りに行く必要がない。だってデータなんだもの。プレパラートの保存が必要なくなる。だってデータなんだぜ。

病院に置くべき常勤病理医の人数も再考されるだろう。今、各病院に必要とされている人員数は、「仕事を分担して、それぞれが脳をきちんと働かせるのに必要な人数」である。病理医がラクになるということはすなわち、「人員数の削減」につながるかもしれない。しかし、一部の病院では元々病理医が足りないのだ。足りなかったのが、「足りなくない」に変わるかも……と、少なくとも経営側は感じるだろう。

遠隔診断によって自由なコンサルテーションが可能になれば。

病理医が忙しいときも、一部のデータを外部に委託することもできるし。

委託先……すなわち病理診断センターの仕事はさぞかし快適になるだろう。プレパラート郵送という手間がなくなるからだ。センターでバイトする病理医は、自宅にいながらにして、モニタを眺めながら数百キロ離れた施設で作成されたプレパラートの診断を行う。







この流れはもう止められない。

放射線科医が遠隔診断を始めたときに世界中にもたらされた福音が、病理の世界にもやってくる。

福音と同じくらい、問題ももたらされることになるが、それでも、放射線画像はDICOM化した。




臨床医と会話できない常勤病理医の存在価値は今以上になくなる。

会話しないならデータを外部の優秀な病理医に飛ばせば十分だ。




無数の病院がWSIを導入することでやってくるのは、「プレパラートの病理画像がビッグデータ化する未来」である。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。2,3年後にものすごく大きな医事改訂があります。それが終わりの合図です。程なく大きめの規格統一が来るので気を付けて。それがやんだら、少しだけ間をおいてAIが来ます。





【おまけ】

別に上記はぼくの持論ではなくて多くの病理医が知っていることだ。デジタルパソロジー研究会のお歴々などは先刻承知だろう。

おっさん方が想像するのは病理医にとっての地獄の未来である。

ところが……。

今いちばんデジタルパソロジーに詳しい長崎大学(世界中とWSIでミーティングしてる)には、病理医を目指す若手が毎年何人も集まって来ているのだという。

若く優秀なデジタルネイティブたちは、「今こそ、本当に脳が踊る科ができあがる」と期待して、病理の世界を訪れ始めている。

希望というのは絶望が耕した畑に実るのだなあと思う。マジで。