2017年12月13日水曜日

さぁつまらん話

難しいことを書くと頭がよくなった気がしてうれしい。

本当に頭のよい人は、難しいことを書く場所を選ぶ。難しいことを書くなら、難しいことを読みたい人が集まっている場所に書く。かんたんなことを読みたい人が集まる場には、かんたんなことを書く。

自分が時間をかけて作った文章を無駄にしない。それが本当に頭のよい人である。

というわけで、繰り返すけれども、

「難しいことを書くと頭がよくなった気がしてうれしい」。








温州みかんを英語でSATSUMA(薩摩)という、という話をタイムラインで見た。

そもそも、温州ってどこだろう。

中国の下の方にあった。薩摩とは関係なさそうだ。

温州みかんは温州ではとれないんだそうな。じゃあなんで温州みかんというのだ。

少し調べると、みかんは元々中国の温州から鹿児島に伝わったのだ、という話を見つけた。これがほんとなら、温州の名もSATSUMAの名もまあ納得できる。

しかしゲノムを調べると、鹿児島あたりで変異して生着したみかんは、そもそも中国にあった柑橘類とは違うらしい。

いろいろと雑な説なのである。



ずんずん調べていく。

「橘録」という12世紀の本に、橘(きつ)は温州、という言葉が書いてあるらしい。これが温州みかんという名称の由来という説がある。

ただし。

中国には柑橘類をあらわす漢字が多い。橘(きつ)、柚(ゆ)、柑(かん)、橙(とう)、いずれも柑橘類だ。温州にあったというのは橘(きつ)。でも、日本のみかんは「柑(かん)」のはずである。

何もかもずれている。




この雑さ、このずれを考えていると、おもしろい。




昔の人は、「橘録」みたいな文字をたよりに、そうかそうか、このすっぱい柑橘類はえーと、温州? 温州か、そうだな、あのへんから鹿児島に伝わったんだろう、地理的にも合うし。みたいなことを考えていたのであろう。

けど、ま、文字というのは、ほんとうにだいじなことは伝わらないと相場が決まっている。中国でかつて橘(きつ、たちばな)と呼ばれていたものの一部は、実は「バナナ」かもしれないという説だってあるそうだ。




横山光輝の三國志を読んでいると、左慈(さじ)というあやしいまじない師みたいなやつが、時の権力者を手玉にとるシーンがあるのだが、こいつが「温州みかんを取り寄せて食べる」というシーンが出てくる。

温州みかん!

三国時代なんてのは、橘録よりだいぶ昔の話だぞ。

横山光輝はこの温州みかんを、まるで日本のみかんと同じように描いていた。気持ちはわかる。

けれど、本当に左慈が取り寄せた柑(かん)とは、なんだったんだろうな。

ああ、気になってしょうがない。





「どうでもいいことを難しく書くこと」って、一般には無能の象徴というか、害悪みたいに捉えられている。

けどやってしまう。なぜだと思う?

もしかすると、「どうでもいいことをいつまでも小難しく考える」とき、何か脳内麻薬のような報酬系が活性化されるのではないかな。

脳内麻薬によって報酬系が活性化されるのはおそらく適者生存の過程で集団を形成する各人が常に画一的な思考に支配されないために思考の多様性を産むトリガーとして脳に残存した、複雑系である社会を複雑なまま保つことで無数の外的刺激から人類というガイア的存在を総体で保守するための生存本能と考えることはできまいか、と沈思黙考し自問自答して自縄自縛の末に無念自爆したのである。



今週はめんどくさい話ばかりを書きます。