「ある細菌が感染したからだ」
「〇〇という遺伝子が変異したからだ」
しばしばこのような回答が用意される。
しかし、世の中にあるほとんどすべての病気は、単一の仕組みでは説明できない。
ある細菌に感染して病気になるとする。この場合、原因として考えられるものは
・細菌
だけではないのだ。
・その細菌を退けられなかった人体の防御機構
もまた原因のひとつとなる。
これが実に難しい。
人体の防御機構が細菌を退けられないとはどういうことだろうか?
・ある細菌に対する防御力が、生まれつきよわっちい。
これはわかりやすい。でもほかにもある。
・ある細菌に対する防御システムを、ほかの敵に対する防御に割いてしまっているため、人員不足に陥ってしまっていて、うまく防御できない。
なんてパターンがありうる。
・たまたまそのとき全身の栄養状態が弱い。すべてのシステムが省エネモードであった。だから防御力が弱かった。
これもひとつの原因となるだろう。
まあちょっと考えるとそういうこともあるだろうなとわかるのだが、人間というのはとにかく、原因から結果を一本の線でつなぎたい生き物なのである。
自分の親類ががんになって、自分もがんになれば、これはもう絶対に遺伝だ! と思いたくなってしまうだろう。
そんなに単純ではない。原因は常に複合的だからだ。
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現代に残る「ヘモクロマトーシス」という病気がある。これは遺伝の影響をそこそこ受ける病気で、適切な治療がなされないとたいていは中年以降に命の危険がある。
こんな物騒な病気が脈々と遺伝してきたのはなぜなのか、と疑問に思った学者がいたらしい。そしてずいぶんといろいろなことを調べた。
すると、ある奇妙なことがわかった。
ヘモクロマトーシスの患者はたしかに中年以降になると命の危険があるのだが、実は、ペストという恐ろしい感染症に対して、ほかの人より抵抗力があるということがわかったのだ。
人生の中盤から後半にかけて命を縮めてしまう病気にかかることで、人生のいつでも死に至る危険性があるペストから生き延びることができる。
そんな思いもよらないメカニズムがあったからこそ、ヘモクロマトーシスという病気は現代にまで脈々と受け継がれてきたのではないか、というのである。
あまり普段考えることがないのだが、病気というものは、時代、文化、医療の成熟度、平均寿命などによって定義が変わってしまう。
そもそも感染症が主たる死因であった100年くらい前までは、乳幼児期や若年、壮年期においていかに感染症を切り抜けるかが、生命にとって重要な問題だった。
ところが、衛生環境がよくなり、抗生物質が次々と見出され、寿命がのびることで、それまで遺伝子が必死に次世代につないできた「いずれ体を悪くするかもしれないけれど当座の危機を乗り越えるのに役に立つ病気」みたいなものが、今度は人に害をなす存在として立ちはだかる。
病気の原因は複合的だし、病気というもの自体が実は流動的な概念でもある。
「すべての人々が健康になるような医療」を目指した先にはきっと新たなヤマイが待っている。けれどもぼくらはそこに、向かわないわけにはいかない。
風雲たけし城といっしょだ。ひどい目にあうとはわかっているけれど、先に進まなければそれはそれでひどい目にあう。そういうものなのだ。