まあ何度か書いてきたことなのだがはっきりさせておきたいので念を押しておく。
ぼくは時事問題にからめて病理の話をするつもりはない。
病理すなわち病の理だ。
つまり、誰かが病に倒れれば、そこにはなにかしらの理がある。
語ろうと思えば語れる。
けれどぼくはその誰かをダシにして病理を語ろうとする姿勢に抵抗がある。
著名な人が病に倒れると、その病に対する国民の関心は上がる。
病名が気になるし、予防法などについても話題になる。
そのこと自体は悪いことではないと思う。けれどぼくにはできないのだ。
なんというか、「今まさに苦しんでいる人がいる横で、自分は助かろう、みたいな会話をするデリカシーのなさ」が耐えられない。
いいかっこしいだな、とか言われるかもしれないが……。
このブログでも、そのとき旬な病気の話題、みたいなのをとりあげたことはないはずだ。たぶん。
今のぼくは、病を語る上でのルールみたいなものはあっていいと思っている。
人に強制するものではないが……。
病をネタにしない。
(学生が暗記のために用いる語呂合わせくらいは許容したいけれど。)
有名な人の病気をダシに語らない。
科学を逸脱しない。
このあたりは守っていきたい。
あと、もうひとつ……。
医療者をめざす若者の前で、「先達の顔」をして広報活動をするのは極めてカッコ悪い、という感覚もある。
けど、これについては、うーん。
あんまりみんなに共感してもらえない。
子供の夢を聞いた大人は黙ってにこにこして、余計なことをいわず、ひそかに環境をサポートすればいいと思うんだけど。
人の夢を語るのはいいけど、
人の夢で語るのはやめようよ、ということ。
少し潔癖すぎるかなあ。