夏休みが終わった日にこれを書いているので、アップロードされるのはもうとっくに休みムードが通り過ぎた普通の朝だ。まあそうだろうと思う。そうなんじゃないかな。まちょっとも覚悟はしていない。
休み明け、たまっていたメールの返事をするのに時間がかかった。朝から100通以上のメールを書いて疲れ果てた。ぼくあてのメールだけは、休みだからといってほかのスタッフに振り分けるわけにはいかない。これはもうしょうがない。休みの間にメールチェックをまったくしないぼくが悪い。でも休みなんだから、メールなんか見ないぼくは正しい。
これでようやく日常業務に戻れるなあとひとごこちついたところだ。脳のスイッチを完全に業務モードに切り替える前に、「総合医局」の中にある自分のデスクに向かう。1日に1度、届いている郵便をチェックするためだけに、ぼくは医局のデスクを目指すのだ。
総合医局というのは医者以外の人間にはなんのこっちゃよくわからない単語だろう。だから説明をしよう。
医局とは複数の意味を含んだことばで、一般的には「医者が所属しているマフィア組織の名前」みたいなニュアンスで使われる。一例をあげると、「医局人事」といえば「組の差し金」とほとんど同じニュアンスだ。
でも、医局にはそういう重すぎる意味だけではなくてもっとライトな意味もある。
たとえばうちの病院で「医局」というと、これははっきりいって単なる「医師の休憩スペース」くらいの意味しかもたない。
都内に古くからある大学や病院などでは、診療科ごとに「医局」と呼ばれる休憩所・兼・パーソナルスペースが用意されている。消化器内科の医局は4階の奥、外科の医局は6階の隅、といった感じだそうだ。医師たちは病棟での診療業務が終わると、医局のデスクでカップラーメンをすすったり、パソコンを開いて論文を検索したり教科書を読んだりジャンプを読んだりしている。
ぼくの働く病院では、120名の勤務医すべてのデスクが1つの大部屋に集まっている。これを「総合医局」と呼ぶ。最近の病院ではこの総合医局制度が増えてきたように思う。簡単なパーテーションで区切られたデスクスペースのほかに、テレビが置かれたソファスペースもあるから、臨床医どうしが休憩時間に顔をあわせて診療の相談をすることも容易だ。ぼくは医局が科ごとに分けられているタテワリ的やり方よりも、総合医局制度のほうがどちらかというと好きである。
なお研修医だけは総合医局とは別の部屋にデスクがある。その方が彼らも休憩できるし、勉強も捗る。なにより上司の目から離れられるのが好評なのだろう。
ということで医局というのは憩いのスペースでもあり、かつ、勤勉な医師にとっては論文を書いたり読んだりする大事なワークスペースでもあるのだが、ぼくのような病理診断医は元から顕微鏡のある病理検査室内に自分専用のデスクを1個もっているので、総合医局にわざわざ移動してPC作業をする必要がない。ということで、総合医局はもっぱら「郵便物が届く先」ということになっているのである。
デスクにはこんもりと郵便が届いていた。校正刷りの入った封筒を空けてその場でボールペンを入れてすぐに送り返す。注文していた教科書や私物の本が3冊届いている。それとは別に、定期購読している雑誌、学会機関誌のたぐい。タバコを吸わないぼくの元に、名前も知らないフォロワー(らしき人)から「禁煙することをおすすめします」と大量の資料が届けられていた。2秒で捨てる。縦に裂いてやろうかと思ったが総合医局では大きな音は周囲の迷惑となる。そっと古紙回収ボックスに投げ入れた。マンションを買わないかという勧誘が2通。すぐに縦に裂いて捨てた。たいして大きな音もしなかった。
これで全部かと思ったのは厚みのせいだ。最後に1枚、薄い絵はがきが残っていた。
フェルメールの見慣れた絵だ。
裏には達者な筆致で簡単に感謝のことばが綴られていた。
先日、札幌で開催した講演会にお呼びした、千葉の先生からの絵はがきだった。
……メールでもお返事をくださったのに。わざわざ、絵はがきまでくださったのかあ。
たまっていたメールがすべて紙の手紙だったらぼくはたぶん今の仕事量を保てない。
けれども、この時間にくさびのように打ち込まれた絵はがき1枚が、手首の痛みをだいぶやわらげてくれたようにも思えた。
微粒子にまで割きたいような邪魔な紙の中にラピスラズリが映える。
そういえばかつて一緒に仕事をした編集者は、ときおり、送ってくる掲載誌の入った封筒内に、必ず小さな手紙を1通しのばせていて、ぼくはその一手間を毎回尊敬していたなあと思い出したりした。
手紙の何がすごいかあなたはご存じか。
いろいろな答えがあるだろうがぼくもひとつ答えをもっている。
手紙というのは、送信メールと違って、送った自分はあとから見直すことができない。
ぼくはこの乱暴な通信システムはほんとうにいろいろな齟齬とかギクリとかあれやこれやとかよしなしごとを生んできたよなあと思っている。