ぼくらが生きて暮らしていくために、人体は何をしているのか。
これをものすごく雑に説明すると、
「栄養や酸素を取り入れて、それをエネルギーにかえて、細胞を生かし続けたり、あるいは古くなった細胞を入れ替えたりする」
となる。
これをさらにざっくりと説明すると、
「細胞がメシを食い、出すものを出して、やりくりしていく」
となるのだ。えっ、ざっくりしすぎではないか?
しすぎではない。結局そういうことなのだから。
けれど教科書でそういうことを書くとなんだかみんなホンワカしてしまって勉強にならない。
だから代謝というむずかしめの言葉で置き換えている。ただそれだけ。
代謝(メシを食いエネルギーを作り、いらんものを出すこと)のために必要なのは……。
・細胞それぞれに栄養を運ぶこと
・細胞それぞれからゴミを回収すること
の2つだ。
だから全身各所にくまなく栄養を運ぶために「血管」が必要となる。
そして血液の流れを産み出すためにはポンプが必要で、それが心臓。
血管の中に流して運ぶべき栄養はどこから来るか?
もちろん食べ物からやってくる。
ただ、食べ物に含まれている栄養をそのまま全身に流すというのは効率が悪い。
たとえばあなたが100円ショップにハンガーをひとつ買いに行ったとする。
そこに「はい、材料の木です」と100円分の木材が置かれていたらムカッとするだろう。
原材料は加工しなければいけない。
生の食材だけ食って生きていくのは効率が悪い。
だから、「加工工場」がある。それが肝臓だ。
「肝心」という熟語はよくできているなあと思う。
たしかに、「肝臓」と「心臓」は、生命を支える要そのものだ。
肝臓と心臓は生命にとって肝心なのである。
さて、細胞は食ったら出すものを出す。
出てきたゴミを回収する作業も必要だ。ゴミ回収も、基本的には血管をもちいる。
上水道と下水道は同じ水道局で管理した方がわかりやすい。
ただ、中に流れている血液は共通だ。いつまでも血管の中にゴミを入れたままだと街がよごれる。
だから下水は処理施設できれいに浄化する。この処理施設というのが腎臓だ。
おお、ちょっと狙いすぎだったかもしれないが……
「肝腎」という言葉もあるではないか。
生命にとっては肝臓と腎臓が肝腎なのである(ギャグではなく)。
肝心と肝腎、どちらもふつうに変換ソフトで出てくる。これらの言葉をなぜきちんと統一しなかったのかは日本語にひそんだナゾの一つだ。けれど、わからないでもない。甲乙つけがたかったのだろうな。