実家に帰って昔自分が暮らしていた部屋でごろごろしていたら、本棚に「通販生活」の雑誌が何冊か突き刺さっていた。ぺらぺらとめくる。そうかー通販生活かー。
通販生活を送るためには、「通販で好きなものをそこそこの量そこそこのタイミングで買えるだけの財力確保生活」を送らなければいけないんだけれども、「通販で好きなものをそこそこの量そこそこのタイミングで買えるだけの財力確保生活」の中をごっそり省略すればそれはもちろん「通販生活」なのであり、ああ何も間違ってはいないなあ、と納得をした。
いいかもなあ通販生活。
けれどなかなか、通販で好きなものを好きなように買えるほどの暮らしというのは、難しいからなあ。
欧風の家具とか、季節の寝巻とか、そういうのはちょっとなあ。
金の使い方については、偉い人がいろいろ言っている。そういう人に言わせると、ぼくの金の使い方はなっていないんだそうだ。
ま、ぼくは、金の使い方に一家言ある人というのがどうもあまり得意ではなくて、聞き流してしまうし、なんならその場ですみませんと謝り倒して話題を変えてしまう。
結局、金の正しい使い方なんて、そんなの日による((c)燃え殻さん)としか言えないよなあと、少しうんざりしている。
こういうことを書くと必ずどこかの誰かが「そりゃ自分で好きなように金をどうこうできる医者だからそういう余裕をぶちかませるんだよ」みたいなことを言ってくる。
けれどそういう人は結局一般化した議論を平均化した情報をもとに均霑化した視点で総論化して語ることしかできない。
なにを小難しいことを言っているのか、とお叱りをうけたなら言い換えよう、「そんなの人による」ってことだ。
そう。
ぼくらはみんな 人による。
人によるから 歌うんだ。
手のひらを 太陽に すかすかどうか
それもやっぱり 人による
みみずだって おけらだって あめんぼだって
みんなみんな 人じゃないけど 人によるんだ。
通販生活は性に合っていない。
ぼくは雑誌を閉じる。
そしてふと思う。
ツイッターで気になった本をホイホイAmazonで買ってしまうのは、通販生活と、どう違うのだろうか?