2018年9月26日水曜日

病理の話(246) 石田三成ツイッターアカウントも嘆いている

たとえば、胃カメラをして、胃の中に何かちょっと色の変わったふしぎなシミみたいな場所があったとする。

それはただの胃炎かもしれない。けれども、がんかもしれない。

胃カメラを行った内視鏡医は、さまざまな方法で、その病気がいったいなんなのかを予想する。

胃炎なら胃炎の治療を。がんならがんの治療を。

診断をきちんと決めないとその先に進めない。

そして、胃カメラの先から小さなマジックハンドを出して、色のかわったところを「小指の爪の切りカスくらい」、ちょっとだけつまんでとってくる。



これが病理検査室に運ばれる。

小さな検体を、ロウのようなものでかためてブロック上にし、プロフェッショナル仕様のスーパーかんなでペラッペラに薄く切り、向こうがすけてみえるくらいの断面を得て、それに色をつけて顕微鏡でみる。

すると細胞がみえる。

病理医はこの細胞をみて、胃カメラを行った内視鏡医の話を聞き、なんなら胃カメラを一緒にみて、「すべての情報をもとに」診断をくだす。

胃炎であると。あるいは、がんである、と。




さて病理診断というのはだいたいこのような流れで行われるわけだが、人体からとってくるモノは何も毎回小指の爪の切りカスみたいなサイズでとどまるわけではない。

たとえば胃をまるごととってくることがある。

もうすでに、胃がんと診断されている人の胃を、治療目的にとってくる。

この胃もまた、病理医によって顕微鏡診断されるわけだが……。

胃はどうやってプレパラートにするのか?

石川五ェ門の斬鉄剣みたいなやつで何千枚もの細切れにするか?

そんなにいっぱいプレパラートを作っていたら、病理医がいまの10倍いても足りないだろう。




大きな検体をとってきたときには、その「どこをプレパラートにしたら一番情報が増えるか」というのを計算した上で、一部分だけをプレパラートにする。

胃がんの治療のためにとってきた胃であれば、どこかに「カタマリ」とか「へんなかたちの色変わり」とか「でこぼこ」があるはずだ。

そこにはがんがいて、胃壁の中にしみ込んでいたり、周りに広く拡散していたりする。

すべてをプレパラートにするのではなく……。

まず、「目で見る」。マクロ情報で診断をはじめる。

十分にみる。大きさ、高低差、表面の模様がでこぼこなのかつるつるなのか、ぷちぷちした顆粒がみえるか、光があたったときの反射はどうなっているか、色調はどうか、持って曲げてみたときに固いか、押したらへこむか、周囲の正常の胃とくらべてどう違うか……。

「顕微鏡をみる前」の、このマクロ診断の段階で、実に病理診断の90%は終わっている。

それくらい、目で見る診断には力がある。

その上で、「ここだけはどうしても顕微鏡でみるべきだ。がんが一番力をもって、周りに今まさに攻め込んでいこうとする、勘所がここにあるはずだ!」と判断をして、その部分だけを切って取り出す。



これを切り出しという。




ちかごろ、ぼくはこの切り出しを、「戦場カメラマン」に例えている。

現代の戦場でなくてもいい、たとえば関ヶ原の戦いの時代にカメラマンがいたとする。戦場報道に命をかけるプロフェッショナルだ。

彼は広い広い関ヶ原で、東西にわかれた大軍が、どこでどう激戦を繰り広げているかを、まず俯瞰して調べる。

ドローンを飛ばしてもいい。

そして、この戦いをあとで記載する上で、どこにフォーカスをあてて写真をとったら、見る人が一番納得するかを考えて、そこに走っていって写真をとるのだ。

戦争の間、すべての戦場を写真にとることはとてもできない。戦況だって刻一刻と変わる。

常識的なカメラマンであれば、徳川家康と石田三成の本陣をまずはおさえようとするであろう。両者の顔色を写真にとっておくだろう。

さらに、東西の主力同士が激突している主戦場については、必ず写真を撮るだろう。これぞ戦争だからだ。

そして、勘所がよく、ピューリッツァー賞をとるような奇跡のカメラマンは、小早川秀秋に接触してその動きを写真に撮るに違いない。



「……関ヶ原が始まった時点で小早川秀秋に目を向けることができるわけないじゃん。それは後世の人がわかって見るから言えることだよ。」




がんを診断するというのも結局そういうことなのだ。

振り返ってみれば、「あの部分を観察していればその後の転移が予測できたかもしれない」なんてこともある。





切り出しというのはカメラマンがどこを写真に撮り、視聴者に何を伝えるかを決める、もっとも大事な作業である。

病理診断医の給料の半分はこの「切り出し」に払われているといっても過言ではない。