ここだけの話だが教科書を書いている。
するとどうなるかというと、「病理の話」を更新するネタが尽きるのだ。
だって病理の教科書だから。
それこそ、「病理の話」を総括するような本になるわけだから。
ブログのネタは尽きる。
……と思っていたのだがそうでもなかった。
実は本を書き始めたのはかなり前のことである。
ふつうにブログのネタが毎回出てくる。
病理の話というのは多角的すぎて、1,2冊本を書いたくらいではとうてい書き尽くすことはできないのだった。
それはそうか……。
60兆とか100兆とかあるといわれている細胞、それぞれが勝手に働いて、ひとつの「人体」という都市を形成しているとすると、人体という都市は私たちが今暮らしている地球そのものよりもはるかに大きなメガロポリスということになる。
街をモチーフにした創作物が書き尽くされることはない。
アド街ック天国がすべての都市を紹介し追えて最終回を迎えるなんて考えられない。
ブラタモリ的なアプローチもあれば、もやさま的なアプローチもある。
都市という巨大な複雑系を語ることは永遠に終わらない。
人体もいっしょだ。
人体に発生した犯罪を記した事件簿は永遠に完結しない。
コナン君がちっとも最終巻を迎えないのにも似ている。
ここだけの話、ぼくの書いている教科書には、今までブログで書いた内容も何度か出てくる。
ただ、ぼくは自分の記事をほとんど読み直さないので、「引用」しているわけではなくて、「そういえば昔こんなことも考えたなあ」という感じで同じ事をくり返し語っているにすぎない。
それも悪くはないかなあと思っている。NHK大河ドラマだって、関ヶ原の戦いを何度も何度も描いているけれど、毎回新たな感動があるだろう。
そうか病理の話というのは確かに大河ドラマ的だなあ。
みんなが知らないことも、多少は知っているけれど詳しくは知らないことも盛り込んで、いつまでもいつまでも続いていくのだ。
となると病理の話を書き続けるうえでは、都市もののバラエティ番組とか、歴史物とか、あのへんの演出方法が参考になるのではないか……。
というあたりを今考えている。