2019年3月20日水曜日

デンタリスト醍醐味

バラエティ番組の司会をしている人たちに共通する特徴というのがあって、まあもちろんこれはぼくが勝手にそう思っているだけなのだけれども、

「はじけるように、楽しそうに、笑う」

というものである。

有吉、松本、明石家、上田、などなど諸氏。

みな、アップで笑っているところを映されやすい。



さらに持論を続ける。

バラエティのゲストというのは、「笑い顔やリアクションをワイプで抜いてもらう仕事」ではないかと思っている。

これに対して司会者は、「笑い顔やリアクションを全画面で映してもらう仕事」。

ぼくは両者の違いをこのように考えている。



司会者として名をなす人々に共通するのは「毒舌の回数以上に笑っている回数の方が多い」ということ。

毒舌が多いか少ないかはともかく、笑顔>毒舌であることは確実だと思う。



「良く笑う人ばかりが司会者」であることはおそらく、適者生存の論理というか、ある種の「選択圧」がかかった結果ではないか。

視聴率が瞬間的に上がったシーン、下がったシーンみたいなものをじっくり秒単位で検討したところ、これらの司会者が画面に登場して笑ったシーンで軒並み視聴率がよかったのではないかと予想している。

逆に、笑いが少ない、笑い顔があまり映らない司会者のときは、視聴率が秒単位でちょっとだけ悪くなったのではないか。

以上は勝手な予想だ。でも当たってる気がする。根拠はないけど。確信に近い。理由は「勘」。

いろいろなやり方をしている人たちが、さまざまにテレビに映って、結果的に数字が良かった人たちが残るというのを繰り返していたら、よく笑う人が今こうして残っているんだろうな、という想像である。

専門家の人からするとつっこみどころはあるかもしれない。

けれどもぼくはこの件に関しては、別に「真実」に興味があるわけではないのだ。

そう信じたい、ということである。




笑顔というのは一番「作れない」表情だ。

作り笑いという言葉があるだろう。つまりは、「作るとバレてしまう」からこそ、こういう言葉が市民権を得るのだ。

では、どういうときに笑顔が「出る」か。

自分が機嫌良いから、あるいは機嫌良いよと周りに伝えたいから、笑顔。

自分が好きなことばかり目に入ってくるから笑顔。

これらは微妙に違う。

人を笑わせるための笑顔というのもある。

人の笑いに引っ張られる笑顔というのもある。

自分から自然に出てくる笑顔がどの類いのものなのかを知っておくことは、「司会者」という強力なメソッドにチャレンジする上で有効なのではないかと思う。




テレビに出たい人がいるとして。

ゲストを目指すのはいいが、誤解を恐れずいうならば、夢が小さいと思う。

世に何かを届けたいと思うなら、司会者を目指した方がいい。

オリンピックもワールドカップも目指さないサッカー少年というのがいてもいいけれども、そういった場所にたどり着くのは、「目指した少年」だけだ。

同様に、伝えるために必ず司会者になる必要は全くないのだけれども、あの場所にたどり着かないと、おそらく、いつまで経っても「届かない」ことを嘆き続けるしかないのではないか、と思う。