2019年3月8日金曜日

衝動でshow

ドラマとか映画の宣伝を行うツイッターアカウントは、ドラマの放送が終わり、ブルーレイの販促も終わると、そのままアカウント休止してしまうことがある。

というか、そういうケースはすごく多い。

無理もないとは思う。スタッフは次の創作に向かって走り出さないといけないからね。

いつまでも過去の作品に対してあーだこーだと盛り上がれるわけではない。

視聴者側はいつその作品を見てもいい。けれども制作という活動は、物語が公開されてある程度世に広まったら、もうほとんど付け加えることができない。

だからアカウントも眠りにつく。これはもうしょうがないことだ。



公式アカウントは沈黙するけれど、代わりにファンたちが、いつまでも作品を語り続ける。数年前の大河ドラマ。20年以上前の月9。子どもの頃のアニメ。いつだって、語り続けるのは制作者じゃなくて、視聴者のほうだ。



ぼくは好きな作品の公式アカウントをあまりフォローしない。

そのアカウントが発信をやめ、沈黙する姿に、廃墟のようなさみしさを感じてしまうからだ。

作品についての情報を得たいなら、むしろ、練度の高いファンを幾人かフォローしておいたほうが、情報の量も質も高かったりする。必ずしも公式が一番発信がうまいわけではない。なにより、「公式アカウントの死」を見なくてすむではないか。




……。




と、こういうことを考えているときに、たまに思うのだが、水曜どうでしょうは今でも公式がずっと活動を続けていて、だからファンはうれしいのだな。

「一生どうでしょうします」というのは、そういう意味だったんだ。