ドラマとか映画の宣伝を行うツイッターアカウントは、ドラマの放送が終わり、ブルーレイの販促も終わると、そのままアカウント休止してしまうことがある。
というか、そういうケースはすごく多い。
無理もないとは思う。スタッフは次の創作に向かって走り出さないといけないからね。
いつまでも過去の作品に対してあーだこーだと盛り上がれるわけではない。
視聴者側はいつその作品を見てもいい。けれども制作という活動は、物語が公開されてある程度世に広まったら、もうほとんど付け加えることができない。
だからアカウントも眠りにつく。これはもうしょうがないことだ。
公式アカウントは沈黙するけれど、代わりにファンたちが、いつまでも作品を語り続ける。数年前の大河ドラマ。20年以上前の月9。子どもの頃のアニメ。いつだって、語り続けるのは制作者じゃなくて、視聴者のほうだ。
ぼくは好きな作品の公式アカウントをあまりフォローしない。
そのアカウントが発信をやめ、沈黙する姿に、廃墟のようなさみしさを感じてしまうからだ。
作品についての情報を得たいなら、むしろ、練度の高いファンを幾人かフォローしておいたほうが、情報の量も質も高かったりする。必ずしも公式が一番発信がうまいわけではない。なにより、「公式アカウントの死」を見なくてすむではないか。
……。
と、こういうことを考えているときに、たまに思うのだが、水曜どうでしょうは今でも公式がずっと活動を続けていて、だからファンはうれしいのだな。
「一生どうでしょうします」というのは、そういう意味だったんだ。