「ぼくになにかできることはないかと思って、」と言いながらなされた行動は、他人から見るとたいていピントがずれているものだ。
この両者のニュアンスが微妙に違うということに自覚的でありたいと思う。
「自分にできることをする」と心がけることはいいことだ。
「自分にできることをしただけです」と言いながらなされた行動は、他人から見るとけっこう過剰だったり不足だったりするものだ。
この両者のニュアンスもまた異なる。しょっちゅう自戒している。
心がけと行動との間にある、細かな調整作業みたいなものを、無視してしまうと雑になる。自分のやることが雑にならないように、なるべく目配りをしたい。途中をすっ飛ばしていきなり行動してしまう人たちが10000人くらいいると、だいたい世の中にとっては迷惑なことになる。
ただし、その10000人の中に2,3人くらい、「思い切って行動したおかげで非常にいい結果を出す人間」というのが、宝くじの当たりみたいな感じでうずもれている。その2,3人はあとから自分の行動を振り返って、
「雑念をふりはらって一直線に動いたらうまくいった!」
と考える。
途中のもろもろを無視してしまうと雑になるのだが、途中のもろもろを考えること自体を「雑」念と考える人もいる。日本語というのはおもしろいなーと思う。
そういえば今のぼくは雑念ばかりの人間だ。雑用が苦ではない。雑多な目配りを欠かさない。雑にならないために、雑にならないために、と雑念を抱え込んでいる。