人と病院との付き合いなんて、なければないほうがいいと思うこともあるし、せめて1度で終わればいいなと思うのだけれど、なかなかそうもいかない。
継続的に病院にかかる、というケースはままある。診察券をずっと財布に入れておくイメージ、とでもいうか。
「良くなったり悪くなったりしているので、定期的にチェックしてもらう」とか、「完全に病気が消えることはないし、治療を続けていれば悪くもならないので、川中島の戦いのように引き分けを続けていく」とか。
あるいは、「ひとつの病気はよくなったが、別の病気が出てきたので、せっかくだから同じ病院でそのまま診てもらう」ということもある。
患者と病院との付き合いが長くなるとき、病理医にはある特殊な仕事が舞い込むことがある。それは、患者の最新情報と、「昔やった病理診断」とを見比べるということだ。
ひとつの例をあげる。ありそうな話を適当に頭の中で組み換えたできごとであり、そのものズバリのエピソードがあるわけではないが、なかなか衝撃的だとは思うので、心して読んで欲しい。
10年前に乳がんにかかった患者がいる。手術で病変はすべて採り切れており、リンパ節にも転移はなかった。そのまま毎年病院でチェックしていたが、再発はなかった。
ところが今回、乳がんでかかっていた病院とは違うクリニックで、胃カメラによる健康診断を受けたところ、胃に小さな病気が見つかってしまった。
内視鏡医(胃カメラを担当した医者)は、「おそらくこれは胃がんだろう」と思った。病気のカタチや色調、周囲の状況などからそう判断した。
ところが、患者の既往歴(きおうれき。過去にどんな病気をしているか、ということ)を確認すると、そこに「10年前に乳がん」と書かれている。
胃がんと乳がんは、同じ「がん」と名前がついているけれど、まるで別の病気だ。構成している細胞だって違う。だから、この患者が過去に乳がんになっているということと、今回あらたに胃がんが出てきたということは、基本的には別々に考えていい話だ。
しかし、内視鏡医は気になった。
一度も再発していなかった乳がんが、10年経って胃に転移するなんてことも、じつを言うと全くないとは言えない。たとえば、中~大規模の病院で10年とか20年という長い間はたらいていると、1人、2人はそういう患者と出会うこともある。確率は低いが、ないわけではない。
内視鏡医は少し考える。「胃の病気が、もし乳がんの再発だったら……。」
胃がんと乳がん(の再発)では、治療法がまるで違う。
そして、これ以上は、いくら考えてもわからない。
だから内視鏡医は、まず、胃カメラで、胃の病気の一部をつまみ採ってくる。
爪の切りカスよりさらに小さいくらいの断片でいい。これを病理に出す。
病理医に向けて書いた依頼書。「胃がん疑いです。なお10年前に乳がんの既往あり。」
それを見た病理医はすかさず……。
前に乳がんを診療した病院に連絡を取って、乳がんの病理診断をしたときのプレパラートを取り寄せるのである。
胃がんと乳がんは、見ればすぐに区別がつく……とは言い切れない。細かいことを言えば細胞は別モノなのだけれど、所詮は胃カメラで断片的に採ってきただけの細かいカケラ。断言するには心細い量だ。
だから、「以前の病気の姿を、実際に顕微鏡で見て比べる」というのが極めて大事なのである。
今回のように、「病気が再発なのか、それとも新たに出てきた別の病気なのか」を確認するためには、昔のプレパラートを取り寄せる。
ほかにも、たとえば、「○年前にA病と診断がついていたが、その後の経過を見ていると、どうもA病としては珍しいふるまいをする病気だということが後からわかってきた」というときも、昔のプレパラートをもう一度見る。
「○年前にBという病気を診断されているが、じつはCという病気も隠れていた可能性はないか?」などと問い合わせを受けて、昔のプレパラートをあらためて見直すということもやる。
病理診断は細胞を見て考える仕事なのだけれど、一度考えた内容をあとから振り返ったり、昔書いたものを参照して今に加味するといった、「時間軸を加えたロングスパンの思考」もやることがある。このあたりは、臨床医も、若い病理医も、わりとおろそかにしがちな部分であり、中年以降の病理医は「自分がしっかり過去を取り寄せて見比べないとな」と気持ちを引き締めるようにしている。じっさい、そういう知り合いが多い。