2021年4月26日月曜日

病理の話(529) 統合の役割を担うタモリ

病理医は多くの臨床医たちとコミュニケーションをする仕事なので、ときに、「複数の専門家たちの意見をたばねる」ことを求められる。

この話はなぜか病理医によって語られる機会が少ない。「確定診断」とか「がんの進行度を判定する」とか「基礎医学と臨床医学の橋渡しをする」というのは病理医の仕事としてよく話題にのぼるのだけれど、「コミュニケーションの中心にいる」という話はあまり取り上げられない気がする。めちゃくちゃ大事な仕事なんだけれどな。


今日はその一例として、「病理解剖」のことを書く。


患者が病死したあと、病理解剖が行われることがある。解剖を執刀するのは病理医。依頼するのは主治医だ。主治医は、自分の患者の「病気のふるまい方」になんらかの疑問を感じたとき、病理医に解剖を頼む(もちろん遺族にも許可をとる)。

患者がめずらしい病気だった、とか。

期待していた治療がぜんぜん効かなかった、とか。

いつもよりも圧倒的に速いペースで悪くなってしまった、とか。

そもそも生前に診断までたどり着けなかった、なんてケースもある。こういうとき、病理解剖は、亡くなった患者に何が起こっていたかを解き明かす手伝いになる。



ここで、患者の体に起こったことを疑問に感じる主治医は、「ひとりではない」ということを強調しておく。

高齢化社会が加速すると、患者の中には複数の疾患があることが当たり前になる。腰痛と膝の痛みで整形外科に通い、高血圧とコレステロールの薬をもらうために循環器内科へ通い、アレルギーのために耳鼻科へもかかり、脂肪肝もあるような患者が大腸がんにかかったとしたら、主治医はこれだけで4,5人は必要である。

大腸がんの診療を担当する医師が、これまでの患者のトラブルをすべて引き受けることができれば話は楽だ。しかし、なかなかそうはいかない。現在の医療は高度に専門化されている。「餅は餅屋」、すなわち、「整形外科関連のトラブルは整形外科にまかせたほうがよい」。他科の医者と連携しながらみんなで患者を診ていくのがあたりまえだ。

かりに、「かかりつけ医」がいたとしても、話は同じ事である。患者にとってはかかりつけ医が共通の門戸となり、さまざまな科を受診する手間を減らせるから、かかりつけ医の存在はとてもいいことだが、実際にその医者が自分だけで複数の専門的な診療を完全に背負えるかというと、そういうわけではない。ここぞというときに、適切なタイミングで、4,5人の「遠くにいる専門医」たちにその都度相談をする。関わる医者の数が減ったわけではない(患者の目からすると減るのだけれど)。


となれば、「患者の腰について疑問があった整形外科医」と、「患者の血圧について疑問があった循環器内科医」と、「患者の大腸がんについて疑問があった外科医」のように、複数の主治医が、それぞれ異なる疑問を持つことがこれまたあたりまえとなる。


複数の医者から寄せられた疑問を、病理解剖はすべて解決しにかかる。解剖というのは全身の臓器を相手にする仕事であり、病理医というコンサルタントのもとにはすべての臨床科の医者がクライアントとして訪れる。


ここで、「病理医がコミュニケーションの中心地にいる」という状態が完成する。


病理解剖で患者の体の中を細やかに探っていくとき、複数の主治医たちがこちらを向いてさまざまな質問をぶつける。そのすべてに病理医がたった一人で答えられるとは限らない。解剖がなんでもかんでも答えを与えるわけではないからだ。でも、病理医のもとに主治医が一同に介するようなシーンを作り上げられれば、その会議室では、主治医同士が共通の患者の話題で交流をすることができる。「病理医がカンファレンスを開催しますよ」というタテマエで、たくさんの科の医者が集まって来て、そこで心置きなくコミュニケーションを取れること自体に強い意義がある。


CPC(クリニコ・パソロジカル・カンファレンス)と呼ばれる、病理医主導の会議。


じつを言うとぼくは、病理解剖という若干古びつつある手技が万能だとは思っていない。解剖をすることがそのまま直接患者に良いことを及ぼすわけではない、ということを普段から力説している。しかし、CPCの開催に関してはかなり前向きにとらえている。病理解剖なんてきっかけにすぎない、とすら思えるケースもある。


ぼくが解剖をし、その手元に複数の専門家たちの目が集まることで、議論が沸騰して疑問が次々と解消されていく


このとき、解剖はそれ自身で役に立ったと言えるだろうか? 言える……かもしれない。でもより正確に言うならば、「病理解剖+その後のCPC(カンファレンス)」こそが、疑問を解決するためのカギになっているのだと思う。



「複数の主治医と話をしなければいけない病理医」こそがたどり着ける場所がある。なんとなく、ミュージックステーションでずっと司会をやっているタモリのまわりで歌手同士が会話をするイメージに近いなと思う。病理医こそは交流の中心にいる、ただし、タモリの司会のように、けっこういろいろ工夫しなければ成り立たない、名人芸に近いことをやらなければならない気はする。