2021年4月14日水曜日

病理の話(525) 病理医とは医療の編集者であるか

ふつうの医者(臨床医)を作家・文筆家にたとえると、病理医の仕事は編集者に似ているのではないか、と思うことがある。


医者は患者を「取材」して、よく吟味し、考え、自分の語彙力を用いてそれを記述し、患者とともにストーリーを編む。患者ごとに異なる、ひとつとして同じものなどない人生の物語に、診断名を決めることである種の「定型」を導入し、治療という介入によってこれを多くの人が納得できるような展開に持ち込んでいく。


物語の「主役」はあくまで患者である。しかしその患者の声を聞きながら、「あなたにはこういう展開がふさわしい」と誘導をしかけていく医者の臨床技術はあたかも作家のそれだなあ、と思うのである。


作家というと、物語を生み出す神であると思われてしまうかもしれない。しかしぼくの知る多くの作家達は、ときにこのようなことを言う。


「キャラを内面まできちんと描ききると、そのキャラが勝手に動き出すことがある。私はその姿をきちんと見て書き留めているだけだ」


すなわち物語というものは、丁寧な人物造形という裏打ちがあれば、たいていの場合、登場人物と作家との共同作業によって生み出されてくると思うのだ。




……ここまで書いて、かつてぼくが「作家」に例えていた臨床医は、今なら「ライター」に例えた方がしっかりくるのかもな、と思った。古賀さんの本が届いたらまたこの部分を考え直そうと思う。


古賀さんの本: 取材・執筆・推敲 書く人の教科書  https://www.amazon.co.jp/dp/4478112746/ref=cm_sw_r_tw_dp_KBMP5AAGV2MXHXCTV36Q




さて、作家・ライターであるところの臨床医と、登場人物・主役であるところの患者が共同作業で編んでいく物語、あるいは「コンテンツ」は、そのままではほころびが生じることがある。


丁寧な取材と掘り下げ(実際の医療では問診、診察などにあたる)によって、患者の体から、あるいは心から出てくる小さな声を、プロのもの書きであるところの臨床医はきちんと文章に仕立て上げていく。より多くの人が、よりわかりやすく、対処しやすい形の美文を書く。しかし、多くの取材を行い、その道のプロとなった作家……臨床医には、それ故の弱点がある。それは、「客観的な」、あるいは「俯瞰的な」物語への評価がだんだんできなくなるということだ。


作家の頭の中だけでは成り立っているストーリーも、それを実際に他人が読んでみると、ここはわかりにくい、ここは十分に書かれていない、ここは設定に無理がある、などの「ずれ」がある。作家、すなわち臨床医自身もそのことはよくわかっていて、「丁寧な取材」だけではまかないきれない、厳密で学術的な部分の調査や、全体の整合性をとること、物語自体の説得力を上げることが必要だと、きちんと認識している。


だから作家は編集者とも共同作業を行うのだ。編集者は作家が組み立てたプロットを聞いて、そのプロットが最も輝くような「舞台装置」を他者の目線から検討しなおす。「そのストーリーならばこの部分をしっかり目立たせた方が全体の流れがわかりやすくなるのではないか」「この物語にはこのようなタイトルを付けることではじめて見た人がぐっと引き込まれ、物語に入って行きやすいのではないか」といったことを提案する。また、同時に、第一の読者としてわかりにくいところを指摘したり、作家の得意な領域の確認を行ったり、ときには別の可能性を提示したりもする。


これらの例え話を医療現場での仕事に置き換えると……


病理医は臨床医の考えているプロット=臨床診断を共有して、それがきちんとハマるような病名を「病理組織診断」という別の目線から提案する。「この臨床診断に対してここで病理組織診断を確定しておくことで今後の診療の流れがスムースになる」「この臨床診断にこの病理診断がつくことで保険診療の流れに乗り、チーム医療が前に進む」。また、同時に、主治医の第一の聞き手として診療の仮説におかしいところがあったら指摘し、主治医の得意な領域に応じて今後の方針を確認し、ときに別の科の医者にも介入してもらう可能性を提示する。



うん、まだこの例え、行けるな……と思う。『いち病理医のリアル』のときは、まだ編集者という仕事のことをそこまでしっかりわかっていなかった(今もかもしれないが)。でも、ああやって書いてみたあと、作家と編集者の関係と、臨床医と病理医の関係を、それぞれ時間をかけて調べているけれど、今のところ、大外しはしていないんじゃないかなあという気がする。




かつてぼくは、編集者に出会うたびに「なぜ自分で書いて作家になろうと思わなかったのですか」と尋ねていた。でも、今はわかる。言語化はしないでおくが、なんというか、理解できるのである。