「病理の話(521)昔の標本を取り寄せる」を公開した後に、ツイッターで何気なく寄せられた質問がある。
「がんを顕微鏡でみるとき、元あったがんと、転移した先のがんって、同じように見えるんですか?」
これ、なかなか実践的な質問で、臨床医や病理医のタマゴにもたまに聞かれる。
結論: 「そこそこ同じように見える」。
言うほど簡単ではない。けっこう難しい。
まず、がん細胞というのは、すべて見た目が違う。そこからはじめよう。
「大腸がん」と「乳がん」では細胞の雰囲気がまるで異なるし、おなじ「乳がん」であっても、人それぞれ、少しずつタイプが異なる。
例として。
「がん細胞が互いに手をつないで、輪を描くかのような構造をつくる」
こともあれば、
「がん細胞がおしくらまんじゅう状態で、ぎっちり詰まっている」
こともあり、
「がん細胞がみっちり詰まっている中にぽつりぽつりと空間が空いていて、中にがん細胞が死んだあとの痕跡がのこっている」
こともある。
このような「がんの作る構造」は、転移した先でも保たれていることが多い。保たれていれば、顕微鏡をみて、「あっ転移だ!」とわかる。しかし、ぜったい保たれているわけではない。
直感的な表現で書いてしまうけれども、がんが最初に我々の前にすがたを表したとき(原発巣:げんぱつそう、という。原子力発電とは関係がない。もともと発生した場所、くらいの意味)、その細胞は、言ってみれば「初犯時の犯人の姿」である。その後、数年経って再犯(再発)したときには、がんも「歳を取っている」し、「治療を生き延びたことでスレている」。指名手配の写真のままで暮らす犯人はいない。服装は替わるし、化粧の仕方もかわるし、ヒゲを伸ばしたり、カラコンを入れたりもする。
がんもこれといっしょだ。
昔、原発巣で観察したがん細胞は、手をつないで輪をつくるような(正確には試験管構造なのだが、断面でみると輪になっている)構造を作るタイプだったけれど、再発巣に出てきたがんは、ぜんぶがぜんぶ試験管ではなくて、どこか、おしくらまんじゅう型に変わっている……なんてことがザラにある。
病理医は、がん細胞が作る「構造」だけではなく、別の性質をさぐりにいく。がん細胞の「細胞そのものの顔つき」を見る。時の選択を経て、さらに変装した犯人を暴き出すように顕微鏡を見る、ということだ。
核のサイズは? 核小体の見え方は? 細胞質の色は? いくら髪型を変えて服装を着替えたところで、骨格はなかなか変えられない。どこかに「昔のおもかげ」が残っているものである。
免疫組織化学という手法を用いて、がん細胞の中にどんな物質が含まれているかを確かめるというやり方もある。サイトケラチン7番とサイトケラチン20番という物質のどちらをどれくらい持っているかと確かめるのは、言ってみればその人が持ち歩いている麻薬や拳銃を調べるようなものだ。犯罪者はけっきょく手放せない凶器をどこかに隠し持っている。
こうして、昔と今を見比べながら、「どうせ再発しても昔のように弱点はこれなんだろ?」と、過去の犯罪捜査をもとに復活した犯人を追い詰める。そのための病理診断、そのための病理医である。