「この患者にはいったい何が起こっているんだろう?」と疑問を掘り進んでいく医者がいる。
熱が出ている、痛い、しびれている、ふらつく、下痢がある、だるい、体重が減った……。
患者が訴えるさまざまな症状から、原因を探り、対処法を考える。
患者自身が特に症状を感じていなくても、医者が見ることで些細な徴候に気づく、なんてこともある。血液検査に潜んだわずかな違和感や、CTに偶然うつりこんだ影などから、まだ何の症状も来していない隠れた病気の存在が浮かび上がってくることも。
ひとたび患者の「内部」に疑問を持ったら、何が潜んでいるのかを考えよう。このとき、医者がたまに用いるのが、病理診断というワザである。
病理診断は、患者の体の中にある「カタマリ」を採ってきて顕微鏡で診ることで、病気の正体を(主治医とは違う角度から)明らかにする。
主治医はふだん、病気の正体を探るにあたって、いちいち患者を解剖することはしない(したら死んじゃう)。できればなるべく傷を付けずに、外から病気を推測していくことが求められる。それに比べると、病理診断というのはちょっと、「ずるい」。実際にモノを採ってきて直接見ちゃうんだもの……。ずるいし、強力である。これに勝てる診断方法というのはあまりない(引き分けならいっぱいあるが)。
さて、このとき、病理医が付けた「病名」を、主治医がいつもよくわかっているとは限らない。すごいマニアックなポイントなんだけど、現場ではわりとよくある話だ。
これ少しわかりにくいから、例え話にしよう。
これよりあなたは、パソコン修理センターの店員さんだと思って下さい。3,2,1,ジャンゴ。今、強力な催眠術がかかりました。「私はパソコン修理センターの店員……」。はいOK。
買ったばかりのパソコンがあります。おしゃれなやつ。マックの新作とか。薄くてカッコイイやつ。これがある日、とつぜんブーンって言って火を噴いたらしく、あなたの元に持ち込まれました。お客さんはびっくりしています。なんてこった。何が起こったんだ。早くなんとかしてくれ。
あなたは優秀なので原因がすぐわかりました。パソコンの中に虫が入り込んでいます! 虫は取り除いたからもう大丈夫ですよ~。
わかって安心。でも、気持ち悪いなあとも感じます。お客もぎょっとしています。えっ、ゴキブリか何かが入っていたんですか? いやだなあ、おうちにもゴキブリホイホイとか置かなきゃいけないかなあ……。
ここに、「虫を調べる人」が登場します。「「なんでやねん」」。あなたとお客は思わずハモりました。別にそこ調べなくてもええやろ。もうパソコンは治ったんやからあんまり気持ち悪いことせんといて。あかんて。
でも、調べる人はまじめです。「なぜパソコンが壊れたのか、その原因になった虫をちゃんと調査しますよ」と言って聞きません。まあいいや、あんまりお金とらないでね。
そして調査報告書が返ってきました。そこにはこう書かれていました。
「これはリュウジンオオムカデですね。」
参考:
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210420/k10012984551000.html
ええー!? なんで!! ゴキブリとかじゃないのかよ!! あなたはびっくりします。いやリュウジンオオムカデってなんだよ。どんな虫だよ。まあムシには違いないんだろうな、それが入ったらパソコンが壊れそうだなってことはわかるし、取り除けばトラブルは回避できるというのもわかるけど、そのムカデがどこから来たのか、ほかにも客の家にまだ住んでいそうなのか、予防策はあるのか、パソコンの中で子ども産んでたりしないか、みたいなことが一切わからない。珍しすぎるからだ。普通知らないよね……。
今の例で、「パソコンに入っていたのはリュウジンオオムカデです」って書くのが一番かんたんな病理診断だ。
この報告書をみて、あなたはお客に説明することになる。
「あ、調査の結果が来てましたよ。リュウジンオオムカデでしたね。えーとこれはよくいるムカデですね」とはならない。ムカデマニアじゃないからだ。
修理センターの人はパソコン修理の専門であって、ムカデの専門家ではない。
でも、修理センターの店員とはお客さんを相手にするフロントマンである。説明するのは大事な仕事だ。知らないまま説明することはできない。
調査報告書に「リュウジンオオムカデ」と書かれているのを見たら、修理センター職員はそれを調べて、勉強して、説明できるようになってから客に電話をしないといけない。
これ、けっこう手間だよね。どうすればいいと思う?
原因が判明してから、そのことを調査するための時間を別に設けなければいけないだろう。1日か、2日か。十分に説明できるだけの資料、根拠、そういったものを集め終わってから、客に連絡をとり、「お店に来てくださいね~」と伝えることができる。
病理診断でもこういうケースがたまに起こる。ぼくの場合は年に2回とか3回とか……。病理診断は決まったが、そのまま報告書に書いても、患者はおろか主治医も「なんだそりゃ」ってなりそうなケースだ。
ここで想像力をふくらませるべきだと考えている。
「どうせ主治医(≒修理センター職員)がこれから調べ物をしなきゃいけなくなるんだから、これに詳しいぼくが先に調べて書いておこう。」
「あなたのパソコンに入っていたのはリュウジンオオムカデです」なんて、言ってみれば、AIのサポートを受けた医学生でも書けるしょっぼい病理診断だ。これでは現場の役に立たない。
「あなたのパソコンに入っていたのはリュウジンオオムカデです。最近沖縄で見つかった新種で、水中で10センチほどあるテナガエビの仲間を食べているのが確認されています。陸上の天敵を避け、生息域を広げるために、水中でも暮らせるように適応した可能性があるということです。(前述のリンクから引用しました)」
ここまで書いてようやく「現場の役に立つ病理診断」になる。調査員がこれを書くことで、修理センター店員が「調べる手間」を簡略化することができ(まあできれば自分でも確認してもらいたいのだが)、説明の手際のよさはそのまま客の利益に繋がる。具体的には「診療が10%ほど早くなる(体感)」。診療が早くなれば、客にとっては「治りが早くなる」かもしれないし、「早く安心できる」かもしれないし、「次にまたムカデに入り込まれないように生活環境を見直す」ことにもつながってくる。沖縄の海の中でパソコンをやらないでください。
以上のことをぼくは最近「病理診断を処方する」という言い方で若い病理医に説明している。ぼくら病理診断科は、診断しかしない部門なのだが、その行動を少し細やかにすることで、主治医や患者の意思決定や行動にうまく作用することが可能だ。これはある種の「処方」だと思う。