2022年5月18日水曜日

この世で一番くだらないお金の話

新しい名刺を受け取った。他人のではない、自分のである。日本医学会総会の展示委員会WG(ワーキンググループ)という肩書きがついている。


この名刺を、学会などの際に、企業ブースに持っていって渡して学会協賛のお手伝いをしてほしい、ということである。


学会には金がかかる。その金は税金から出るわけではないし、学会員たちから徴収する1万数千円クラスの会費だけでもペイしない。要は、製薬企業、機器メーカー、医療系ベンチャー企業などが、学会に宣伝用のブースを出すかわりに多額のお金をくれるので、それを用いて医学の祭典を運営していくのである。そうやってできている。そうやって、長年やってきた。


でもその原則も、近年崩れ去ろうとしている。


感染症禍によって、学会はオンラインが当たり前になった。オンラインが中心になれば「展示場の企業ブース」は閑古鳥だ。学会場に人がわんさかいたからこそ、学会場に企業は金を出したのだ。人が来ない学会場には金をかけられない。オンラインになればそこに人は集まるのではないかって? わざわざ企業のCMを見るためにURLをクリックするような暇人はいない。スマホでニュースを読むときに端っこにポップアップする広告をまじめに読んでいるやつがどれだけいるだろうか? 学会であんなオンライン広告、できるわけがない。


学会の会場をそぞろ歩いて、目に留まった最新の装置がすごそうだなと思ってふらっと立ち寄る、というのがいわゆる「宣伝効果」。そういった「ふらふら歩く感覚」がインターネット上の学会では経験できない。これ、みんな、盲点だったのである。みんな、自分の興味があるセッションを、歩かずにデスクから直で見に行って、セッションが終わればすぐにブラウザを閉じて仕事に戻れて、オンラインサイコー! メリットしかない! とか思っていたが、これまで広告を出して学会を裏から支えていた企業は一律に頭をかかえていたのだ。


いいじゃん、お金もらわなくて。学術活動なんだから、自前でやれば。わざわざ都心のでかいホテルを借りようとするからいかんのだろう。いっそ、ぜんぶ、オンラインにしてしまえば安く済むんじゃないの?


……いや、オンラインも金はかかるのであった。多くの学会員たちにライブやオンデマンドで動画を配信するシステムは、既存のYouTubeなどを借用するだけではうまく成り立たない。学術発表内容の中には患者の個人情報なども(いくら綿密にマスクしているとは言え)含まれていることがあるし、学会参加者以外も自在にアクセスできるような場所に動画を置いてしまうと学会参加費の意味がなくなるし、抄録をつくり、告知をうち、参加者をつのって、検索システムを充実させて、という作業はいずれも無償のボランティアではむりだ。


学術だって金がかかるのだ。だって、人が生きてやることなのだから。


むしろ学会はオンラインにすると「余計に金がかかる」。Zoomのエンタープライズプランくらいで学会がやれれば苦労はないのだが、同時にいくつもの会場でたくさんのセッションをやるのが学会のいいところなので、既存のウェブミーティングシステムの、1つのIDで1つの配信、しかもせいぜい500人の同時視聴では話にならない。Zoomをはじめとするオンラインミーティングアプリ側もそれをよくわかっている。けっこうな額をかけなければ、最新の双方向ウェブ会議(しかも同時に7,8個のセッションを進行する)は達成できない。



学会にどのように、商魂をからませていくのか。患者のために、医療のために、無償で奉仕していく学求の徒、それらのボランティア精神とあくなき向上心とで確かに医療は成り立っているが、じつは、それだけではなく、箱代とか紙代とかネット代とか、ほかの人たちがこっそり支えていたのだ、お金で。

それを忘れて、「俺は金をかけずに学問をやれる」なんて言っている人たちは、単純に視野が狭い。というか、わかりやすく言えば、


「金をかけずにやれる研究だけでは、研究の多様性は担保できない」


のである。



というわけで今は過渡期だ。学術とお金の間をどう考えて行くのか、ウェブ会議システムがもたらした急速な波にどう対処していくかの答えはまだない。とりあえずぼくは、アナログな、じつにアナログな、「学会の名刺をもらって企業の人たちと仲良くする」という仕事を割り振られた。できることはがんばりたい。問題は、この先まだ当分、ぼくはどんな企業の人とも会う予定がないということだけだ。オンラインでぜんぶ済んじゃうからなあ。クラファン? やめろよ、そんな、いつまで続くかも予想できない寄付集めを毎年くり返して若い研究者たちの集まる場を作ろうなんて……考えるだけでも鳥肌が立つ。