2016年11月7日月曜日

病理の話(15)

顕微鏡で細胞をみる仕事には、実は二種類ある。

「組織診」と、「細胞診」だ。

両者は細かく異なる。


組織診(そしきしん)は、
「検体をパラフィンの中に埋め込んで、薄く4マイクロメートルに切って、染めて、顕微鏡でみる」
ものだ。

以前にも書いたたとえ話だが、検体をブドウやサクランボなどのくだものに、パラフィンを寒天にたとえて、「涼やかな真夏の創作和菓子」のような、フルーツの寒天詰めを想像していただくとよい。組織診標本を見るというのは、寒天にナイフを入れて、フルーツの断面を見る作業である。

一方、細胞診(さいぼうしん)は、ガラスに直接細胞を乗せて、そのまま観察する手法である。検体にナイフを入れない。フルーツをそのまま外から見ることになる。なお、極小の細胞はほとんど半透明なので、外から見ても、内部まで見通すことができる。

「断面を見る」のと「外から見る」のでは、見え方が異なる。この違いは、病理に携わっていないと、まず学ぶことがない。ほとんどの医療者は知らない。

もう少し、詳しく説明しよう。

組織診では、寒天(パラフィン)の中に、生体内から採ってきた組織をそのままぶちこむ。手術で切ってきた大きな臓器であれば、「切り出し」という作業をして、病変部などから3×2cm大のカタマリを選別したあと、まるごと寒天の中に入れて、そのまま薄切(4マイクロメートルに切る)。

すると、細胞が、「生体内に存在していたときと同じ配置で」顕微鏡観察できる。これは、大きな強みだ。フルーツボックスの中にブドウ、リンゴ、みかん、ナシ、スイカがそれぞれ複数詰められているものを、まるごと「斬鉄剣」でバッサリ。断面に出てくるのは、ブドウやリンゴの断面であり、これらの配列まで観察することができる。すなわち、細胞そのものだけではなく、細胞たちが作る「高次構造」をも観察することができる。

ブドウがリンゴたちの間にどれくらい分け入っているかを見る。これが、「浸潤をみる」ということだ。

これに対し、細胞診は……。

フルーツボックスに並んでいるフルーツの、表面をなでて、そこにある細胞をピックアップする。採れてくるフルーツもあれば、落ちてしまうフルーツもある。採れてくるのはリンゴ1個、ナシ1個、あるいは、ブドウ「一房」である。フルーツの種類によって、1個ずつしか採れてこないものもあれば、ブドウのように小さなカタマリで採れてくるものもある。

これをそのまま見るのが細胞診だ。必然的に、元々ブドウがリンゴの横にあったのか、ナシの横にあったのかは、見ることができない。

「組織診よりも情報が少ない」と思われる、ゆえんである。

しかし。テクニカルだが、細胞診は、「ブドウ一房」をそのまま観察することができる。ブドウもリンゴも斬鉄剣で切ってしまった組織診と異なり、細胞診だと、ブドウ一房に連綿とぶらさがったブドウのカタマリを、そのまま観察することができる。

細胞が、小さい範囲で、どのように積み上がっているのかを見るには、細胞診の方が見やすいこともある、ということだ。

「腺癌」と呼ばれる病気は、ブドウの房のように、もりもりと積み重なるという特徴があるが、組織診ではこの「もりもり感」があまり見えてこない。細胞診だとよく見える。

組織診のほうが細胞診よりも優れているとは、必ずしも言い切れない。

細胞診にも弱点はある。基本的に、特殊染色・免疫染色と呼ばれる作業は不向きである(できなくはない)。

これらはあくまで、使い分けなのだ。


ぼくらは「細胞をみる仕事」と自称する。臨床医が患者さんをみる際に、血液検査、画像検査、問診、診察などを駆使するのと同じように、病理医が細胞をみる際にも、様々なツールを用いて総合的な診断を下す。

ここに飛び込んでくるのが、「フルーツを食っちまって、味で判断しようぜ。」という、遺伝子検査、染色体検査などの手法なのだが……これはまた、別の記事に譲る。