「とにかく大きい声を出そう。はっきりとしゃべろう」
だけであった。
当院での迅速組織診は、複数のベテラン病理医が、診断に携わる。だったら、やってきたばかりの、若輩者であるぼくができることと言ったら、インターフェースとしてきちんと情報を伝えることくらいしか、なかった。
***
迅速組織診とはどういう仕事か。手術の最中、患者さんのおなかがまだパッカリ開いているままの状態で、採れたての臓器に対してある程度の病理診断を下す、という業である。
・胃を切除した直後に、胃の切れ端の部分に「がんが及んでいないか」を確認
・手術の前に「がんか、がんじゃないか」決められなかった肺のカタマリを、直接胸を開けてほじくりかえし、その場で病理診断をキメて、がんだとわかったら即座に周りの肺をきちんと切除する、がんではないとわかったらそれで胸を締めて手術終了(余計な手術を回避できる)
などといった使われ方をする。
医者が採ってきた臓器の一部が、手術室から直接病理に持ってこられる。
まだ温かい。
これをすかさず写真撮影し、一部を切り取り、「コンパウンド」などと呼ばれる特殊な……寒天……にぶちこみ、直ちに有機溶媒などを使って強力に冷却する。カチカチになった検体を、その場で技師さんが薄く切り、すぐに染色して、プレパラートを作る。
普通、プレパラート1枚を作るのには、なんだかんだで半日くらいかけるのだが、迅速組織診においては「患者さんがおなかを開けて待っている」のであり、一刻の猶予もない。特殊な手法を用いて、10分ちょっとでプレパラートを作ってしまう。急いで作る分、クオリティは少しだけ低いのだが、そんなことは言っていられない。
即座に診断をする。急いで診断をする。だから、「迅速組織診」という。
よく、「病理医が病院に必要な理由」の筆頭として挙げられる。
ただ、ま、ごく限定的な場面でしか用いられない技術だ、これは。
うちは年間1000件くらいの外科手術+それよりちょっと少ないくらいの婦人科・泌尿器科・耳鼻科ほかの手術があるが、迅速組織診が行われるのは年間で150~200回くらいである。手術の真っ最中に、どうしても病理で決めなきゃいけないことなんて、そう多くはない。
多くないけど、そのかわり、「まだ患者さんがおなかをパッカリ開けている最中、まだ胸をガバッと開いてる最中に、ある程度の時間をロスして、病理診断をしなければいけないケース」というのは、つまり、相当に重要だと言い換えることもできる。
病理医の一言が直接、医者の次の一手、そして患者の生き死にを左右することになる。
だから、実は、「迅速組織診」という名前はついているけれど、プレパラートを作るのが早いだけであって、病理医が診断する速度はむしろ、「普通の組織診より、遅い」。
おなじプレパラートを何度も見る。何人もが同時に見る。手厚く、慎重に見る。
ひとこと、医者に、「断端陰性です!」とか、「腺癌です!」と伝えたら、もう後戻りはできない。10分後に、「あっ……あそこ……まずいんじゃないか……?」と気づいても、もう遅い。じっくり、ゆっくり、しかし急いで見るのだ。
「迅速組織診」は、「病理医が病院に常駐していないとだめだ!」とする理論の根幹をなしている。病理が外注だと、迅速組織診はかなり難しい。
逆に言うと、これだけ限定的でマニアックな仕事状況をクローズアップしないと、「病理医は病院に必要だ論」を保てない、ということでもある。
迅速組織診は、普通の病理診断と比べて「ポジか、ネガか」の二択で答えることが多いので、AI(人工知能)診断向きであり、遺伝子診断向きでもある。将来的にはなくなるかもしれない。
ただ、今のところは、迅速組織診は、外科医から見ても、看護師とかほかの医療者から見ても、「病理医が役に立ってるなあ……」とわかりやすい診断である。病理医が直接感謝される仕事でも、ある。
***
今の病院にはじめてやってきた、10年ほど前。「迅速組織診」という仕事を担当するにあたり、ぼくが心に決めていたのはひとつ。
「とにかく大きい声を出そう。はっきりとしゃべろう」
だけであった。
迅速組織診では、病理の部屋から直接、手術室に電話を掛ける。インターフォンのおばけみたいな機械の受話器をとり、術場(じゅつば)を呼び出す。
ピンポーン。ピンポーン。
「病理です!」
\はーい!(外科医たちの声)/
「○○さんのお部屋でよろしいですか!」
\はーい!(外科医たちの声)/
「胃切除・口側断端です!腫瘍の進展を認めません!ネガティブです!」
\ありがとうございましたー(外科医たちの声)/
「よろしくおねがいしまぁーす!!!」
\!?/
あっ、と思った。最後の「よろしくおねがいします」はちょっと意味がわからないぞ、というか、うん、まあ、悪くはないけど、必要はなかったぞ……。
病理医が外科医や麻酔科医、術場看護師、あるいは患者に「何をお願いするのか」はわからないし、上から目線で患者を頼むと言いたいわけでもないし、なんか、勢いである。
案の定というか、年末の忘年会で、ぼくは初めて会う術場の看護師さんや麻酔科医たちに囲まれ、
「あのwwww迅速のwwwwww報告wwwwwwwwwwwwせんせいでしょwwwwww元気よくてwwwwwwwwwwwいいねwwwwwwwwwwwww」
と、さんざんにいじられ倒すことになる。