2016年11月21日月曜日

病理の話(20)

病理医が、医療者に、「病理診断の根拠」を述べる場合、文章だけでは難解で伝わりにくい。

だから、適切な写真を撮る。マクロ、ミクロと、撮る。この話、病理の話(19)の続きである。



さて、病理の写真は構図が命……というか、「何を主人公にするのか」「何を脇役として写し込むか」がとても大切だ、という話をしてきた。きっちりと構図を考えて撮られた写真には、文章で何行書いても伝わらないほどの意味が内包される。

ただし。

実際に写した写真を、無言で医療者にわたして、
「さあ、いい構図で撮っておきましたから! じっくりと味わって、ぼくが言いたいことを感じ取ってください!」
と、芸術さながらに丸投げすることには、何の意味もない。

ここはアートの出番じゃないのだ。受け手の感性によって、受け手の得られる情報やリアクションが、変わってしまっては困るのだ。

だから、我々は、写真にキャプションをつける。

ここは病変の境界部ですよ、と、写真の上に、色を変えたペンで線を引く。

「ここには、壊死があります」「こちらは炎症が強いです」「ここからは少し、癌の雰囲気が変わっており、より悪いヤツに変貌しています」「周りには、こんな別病変があります」などと、写真に直接、書き込んでやる。

「マッピング」と呼ばれたりする作業である。

マッピングという言葉は、正確には、マクロ写真(臓器を直接写真に撮ったもの)に対して使われる病理用語だ。ミクロ写真(顕微鏡写真)に注釈を書き込む作業もあるのだが、こちらには名前が付いていない。ま、どちらも、「写真にキャプション(注釈・解説)を入れる作業」である。言葉はどうだっていい。

たとえば、医者が患者さんに説明するとき、丁寧に絵や図を書きながら話す場合がある。これと同じように、病理医も、医療者に説明するときには、マッピングなどの細かい手間をかけたほうが、よりわかりやすいし、医療者も納得してくれやすい。

「医療者に対するインフォームド・コンセント(説明して納得してもらうこと)」を行うのが病理医だ。説明は、必要十分な内容を、わかりやすく迅速に、論理立てて行う必要がある。写真をただ見せて、あとは読んで考えなさい、では、だめだ。医療者は納得してくれない。

写真に説明書きを付け加えることを想定して、写真の構図を決める、ということもやる。

多少、ターゲットが小さめに写っていても、解像度がしっかり担保されていればOK。周りに空いた隙間に、説明を書くと、まるで教科書のような(マッピング付き)写真ができあがる。

解説をつけることまで含めての、「病理写真」なのだ。


さて、ほんとうに難解な症例になると、ぼくは、写真のほかに、「シェーマ」と呼ばれる模式図を書く。

シェーマは、スケッチに似て非なるものだ。模式的に書くものであるから、必ずしも正確である必要はないのだが、強調すべきところを強調し、省略するところがあってもいい。大切なのは、受け手が欲しがるであろう情報、受け手に与えたい情報をきちんと盛り込むということだ。意味のある取捨選択をした絵でなければいけない。

決して、「精密模写」ではない。

シェーマを書くには、病理に対する知識が必要となる。知識がなく、精巧な静物写生をすることには、意味がない。


***


昔から、医学部の病理学や組織学の講義では、「顕微鏡のスケッチ」という課題が与えられることがある。今でも多くの大学で導入されたままであると聞く。

ぼくは、あれが、あまりよくないやり方だなあ、と思っている。

病理学の知識もなしに、スケッチをさせるから、医学生の約1/3は、色鉛筆を駆使して見えたものをただきれいに書こうとするし、1/3は顕微鏡を見ながら絵を描く慣れない作業に飽きて、ひたすら病理が嫌いになる。残りの1/3くらいは、最初から「シェーマとして描く」ことをなんとなく理解しているので、大事なところはどこだろうと教科書を見ながら考えたりもする。

1/3にきちんと勉強をさせるために、1/3には勘違いをさせ、1/3は脱落させてしまう、というのは、効率としてあまりよろしくない。

だったら、組織スケッチの時間は、「講師がスケッチをし、それを鑑賞してもらう」時間としたほうがよいのではないか。

プロジェクタで、学生に知っておいてもらいたい腎臓糸球体だとか、サイトメガロウイルスに感染した血管内皮とかの写真を映し出す。肝細胞癌の断面図や、非浸潤性乳管癌のマッピング図でもいいだろう。

これらを、リアルタイムで、教員がスケッチすればいいのだ。それを、学生は「鑑賞する」。

自分が見ている写真を、ただ写実的にうつしとるのではなく、意味を与え、知恵を付与して、「臨床医でもわかるようなシェーマ」にする過程を見れば、医学生も何かを感じる頻度が多くなるのではないか、と思う。

なんでもかんでも自分で手を動かせ、体を動かせという、体育会系の理屈から、一番遠いところにいるはずの医学部教育で、いまだに「知識が不十分なままにシェーマを書かせる」などという非効率的な学習方法を選んでいるのは、ぼくは、無駄が多いように思う。

周りにいる医者はほぼ間違いなく、
「学部時代のスケッチ、何の役に立ったんだろうなあ」
と言う。病理医の人気を下げ、知名度を低くし続けてきた歴史の一端は、「組織スケッチ」によって形成されたのではないかと、ぼくは割と真剣に勘ぐっている。