この話はよくポジティブなニュアンスで語る。臨床情報、主治医の考えていること、患者の訴えなどを総合的に判断したうえで、細胞をみて何かに気づくというのが病理医だ、とか。細胞だけみていては病理診断の真髄には触れられないぞ、とか。
でも語り口を変えることができる。「細胞以外のものにひっぱられる人間のサガ」に気づかずに、病理診断をやるのはちょっと危険だ、ということ。
今日の話は相当マニアックなので、病理医以外にはわからないかもしれないが、各自、「あーそういうこともアルヨネー」と、鷹揚にごらんいただきたい。
たとえば内視鏡医Aが依頼してきた検査だと、それだけで、頭の中には胃や大腸の病気が思い浮かぶ。
だって内視鏡医は胃や腸をみて診断する人たちだからだ。
細胞をみる前に、すでに、胃や腸の病気の名前がしまいこまれている「脳の引き出し」のロックがパチンパチンと解除される。
細胞をみはじめた瞬間からそれらの引き出しがいっせいに開いて、中から、「この病気かな?」「それともこの病気かな?」というように、名前が次々に飛び出してくる。
それをぼくらは選び取るのだ。
そして、そこそこまれに、「内視鏡医の依頼なのだが、胃や腸の病気じゃないケース」というのがある。そのとき、細胞を丁寧に丁寧にみていれば「ああ、これは胃腸の病気じゃないよ。」と気づけるのだが、これがまた、ほんとうに難しいのである。
たとえば婦人科の病気。子宮とか膣は直腸のすぐ前方にあるので、大腸の検査で子宮あたりの病気がみつかることがマレにある。
たとえば代謝の病気。全身になんらかの物質が沈着しているような病気で、たまたま胃や大腸に同じ沈着物がたまっていることがある。
たとえば血管の病気。全身の血管に異常がでる場合、ある確率で胃腸の血管にも異常がでることがある。
たとえば膵臓の病気。膵臓は胃の後ろ側にあるので、膵臓に何かがあるときに胃に変化が出ることがある。
「そりゃそうだよなあ、マンションの部屋がずぶぬれなとき、原因がその部屋の水道管にあるとは限らないよなあ、上の部屋の水道管が破裂して下の部屋が水浸しになっていることもあるよなあ。」
ちょっと考えればわかることなのだ。でも……。
おもしろいくらいに、病理医は、先入観に引っ張られてしまう。
毎日暗唱している。「内視鏡医が依頼してきたからといって胃腸の病気だと決めつけるな!」重要すぎるライフハックだ。それだけわかっていても! なお! うっかり見逃しそうになることがある。
臨床の診断学において、「検査前確率」ということばがある。医師たちは、意識してか、あるいは無意識にか、患者がやってきたときに患者の年齢や性別、見た目、しゃべり方、さらに最初に患者が言った話の内容などから、「この人はおそらくこういう病気ではないか」という、
「まだ検査する前にみつもっておく、ある病気の確率」
というのを脳内で算出する。
病名A: 50%
病名B: 20%
病名C: 10%
病名D: 10%
病名E: 2%
といった具合に、だ。
そして、ここに診察や検査を加えていくことで、それぞれの病気の可能性を「あげたりさげたり」する。この検査が(+)だったら病名Bである確率は半分くらいになるなあ、みたいな感じだ。
病理医も実は同じことをしている。ただし、病理医がはじめて患者に出会うときには、すでに臨床医が多くの検査をおえた後であることが多い。まだなにも検査をしていないよ、とはいっても、「何科の医者がみることにしたのか」だけで十分な情報なのだ。胃腸の病気がうたがわしいから胃腸内科の先生がみているんだろう? 腎臓の病気が疑わしいから腎臓内科の先生が担当しているんだよな? というかんじで。
すると、病理医が頭の中でみつもる、病気の確率は、ときにこんな感じになる。
病名A: 98%
病名B: 2%
病名C: 0.1%
病名D: 0.1%
病名E: 0.1%
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ほとんど病名Aで決まりだったりする。ガッチガチだ。
そのうえで、病理医は、「万が一病名Eだったら、俺がそれを見つけないと、ほかの医者はたぶん気づかないぞ」という役割を与えられている。これは、「ほぼ間違いなく病名Aだと思うけど、確定してくれよ」という依頼と、表裏一体だ。
これだけガッチガチの状況下で、なお、「細胞だけをみて、検査前確率をひっくり返す」というのは、思った以上に難しい。
だからこそ、「細胞をみるだけのことで」わざわざ単独の専門性を与えられ、飯が食えている、ということになるのだ。道険し。