2018年11月6日火曜日

病理の話(260) 情報をサーフィンする話

Spotifyべんりだなあ。

今まで集めた音源は、自分の聴きたい曲を聴きたい順番に聴くために今も重宝している。PC iTunes×Bluetoothイヤホンで仕事中ずっと流れている。

Spotifyには課金してないので、てきとうな楽曲リストを選ぶと、(自分で思った通りの順番にはならないが、)まあだいたい自分の好みにあった曲が、ほどよくランダムに流れてくる。

「ああ、そんなアーティストもいたな! そうだそうだ! いい機会だから全部聞き直してみようかな」

なんつって、Spotifyをきっかけに、新たな音源を買いそろえたりもする(けっこう買う)。





趣味に対するこのやり方を、そのまま、病理学に対する勉強においてもやっている気がする。

日ごろ買い集めた教科書、検索してストックした論文などは、毎日重宝している。公用PCとは別に私用PCをネット接続しているのはまさに文献を用いるためだ。

それとは別に、いくつかの雑誌を購読している。「病理と臨床」とか「胃と腸」はその代表だ。自分が連載をもっている縁で「Cancer board square」や「薬局」「治療」「Medical Technology」なども読む。「プチナース」「エキスパートナース」。ジャンルはさまざまだ。

これらの最新記事がいつもいつも、ぼくがそのとき必要とするど真ん中の情報を提供するとは限らない。

たとえば当院では脳外科の手術は行わないのだが、脳腫瘍の特集号が組まれていたりする。即効性がある情報にはならない。

けれどもこれがいいのだ。

そもそも病理というジャンルにぼくは元々興味がある……というか病理で暮らしている。ほどよくランダムに流れてくる勉強のタネを眺めていると、

「ああ、昔そういえば脳科学専攻の大学院にいたっけな! そうだそうだ! いい機会だからWHO分類でも読み直してみようかな」

なんつって、雑誌連載をきっかけに、新たな教科書を買いそろえたりもする(けっこう買う。




情報をインプットするルートは複数あるといい。自分が能動的に集める手段とはべつに、「ほどよく受動的に」あるいは「中動態的に」情報が入ってくる手段をもっておくと、ぼくは、なんだかいろいろと豊かになる気がするのである。

毎日、病院の食堂で、決まってBセットばかり頼んでいるが、ときおりびっくりするような新メニューが出てきて笑ってしまうというのもこれと似ている。完全に能動的にコンビニやレストランで昼食を済ませていたら、まず目につかないだろうメニューが出てきて、おいしくいただくことも、ままある。楽しい。しかし酢鶏ってなんだよ。豚にしてくれよ。