Bluetoothのキーボード、少し安いやつにして使い始めてしばらく立つが、着々と手指が疲れてきているのがわかる。
なんにでもいえることだが、毎日必ず接するものはある程度しっかりお金をかけないとつらい年齢になってきたなあと思う。
枕とか。
椅子とか。
靴もそうかなあ。
このあたりは、つくりがしょぼいのを使うと、あちこち体に痛みが出るようになってしまった。
肌着の類いはまだそれほど重要性を感じていないけれど、きっと中には、熱い寒い汗をかくかかないなどで、細かく肌に触れるものに気を遣っている人もいるだろうと思う。
そして、なんとなく、「ことば」についても同じ事が言えるのではないか、と感じた。
日頃から自分が頻繁に使うことば、というものがある。なかなか自分では気づかないことも多いが、口癖というか、ことばぐせみたいなものが人間にはある。
ぼくの場合、たとえば、今の「人間」という単語をよく使う。これは人に言われて気づいたことだ。「ひとが、って言うタイミングでときどき人間って言うね」。なるほどな、と思った。ぼくに染みついたある種のクセだろう。
そして、日常的に便利で使いこなしていることばの種類によって、おそらくだが、疲労の蓄積度合いが変わってくるように思う。枕や椅子と同じように。
「ムカつく」ということばを頻用していると、自分の中にある背筋的なものが少しずつゆがんで、節々が痛くなるように思う。
「しょうがない」ということばにもそういうところがある。
このあたり、世の中に「ネガティブなことば」として認識されているので、わかりやすいだろう。でももう少しわかりにくいものもある。
たとえば「傾向」。
あるいは「流れ」。
ときには「クリエイティブ」。
そして「幸せ」。
このあたりのことばも、使いまくっていると、なぜかはわからないのだが、靴擦れのような摩耗を引き起こしたりすることがあるのではないか、と思う。
靴とかキーボードとちがって、値段をかければいいものを揃えられるわけではない。
ことばを選んで使うには、ある種の訓練とか気配りが必要だ。
そして服装や日用品と同様に、自分の選んでいる日用ことばのセンスがいいか悪いかは、得てして自分だけではなかなか気づけない。
そしてようやく気づいたこととして、ぼくはどうも、この「自分」ということばにだいぶ姿勢を崩されているふしがある。