とにかくエッセンスを教えてくれ、と思っていた。
ぼくが20代のころの話。
病理学を学び始めたころのことだ。
大腸ポリープ。胃生検。
基本中の基本だよ、といわれた、これらの病理組織像が全くわからない。
大学の講座においてある教科書は何十冊もある。
でも、どれも非常に骨太で、本格的で、なにやら難しいことばかりが書いてある。
ぼくが今知りたいのは小さなポリープについてなのだが……。
どれを調べればよいのかわからない。
また、鬼門もあった。英語である。
英語がとにかくよくわからなかった。まず単語がわからない。
Rhabdoidとはなんだ?
辞書を引く。
「横紋筋様」。
漢字がならんでいるだけにしか見えない。意味がとれない。
横紋筋のような、というのがイメージとして頭にスッと入ってこない。
だって今勉強しているのは骨格筋じゃないんだ。悪性腫瘍の話なんだぞ?
横紋筋が、何に関係しているんだろう。
必死で1時間ほど格闘して、rhabdoidという単語は、少なくとも今調べているポリープとはなんの関係もないということだけがかろうじてわかる。
一時が万事この調子であった。わからない単語が出てきて一時停止、単語の意味を調べても結局それ以上みえてこなくて一時停止。信号の繋がりがきわめて悪い国道沿いのバイパスみたいなかんじだ。
Chromatinがvesicularとはなんだ?
Chromatinというのはクロマチン、すなわち細胞核の中にある物質だ。ここまでは習った。しかし習っただけだ、意味はわからない。
おまけにvesicularという単語がわからない。
しらべてみて笑ってしまう。
「Vesicularとはporousもしくはbubblyなことです」。
わははは。なんじゃそりゃ。わからない単語を調べたらわからない単語が2倍になった。
ポケットの中には英単語がひとつ。
叩いてみるたび英単語が増える。
なんの解決にもならないし、ポケットの中は粉まみれである。
昔ガンダムで「ポケットの中の戦争」ってのがあったが、あれはつまりビスケットが砕けたという意味だったのだろうか。
がんばってすべて日本語訳にする。
Vesicularとはコロコロとまるいものが寄せ集まっているイメージです。
なんとかかんとか意味はとれた。
ではクロマチンがコロコロまるくて寄せ集まってるというのはどういうことなのか?
結局日本語がわかってもその先がわからない。
Golgi? ああ、ゴルジ体か……。
Pale は 淡い……これはわかる……。
ゴルジが淡いってのはなんだ。直訳しても意味が意図とならない。
結局ぼくは人から伝え聞くかたちで病理を勉強するしかなかった。
ほんとうはちょっといやだったのだ。
本腰を入れて勉強するなら、個人の偏った経験を輸入するのではなく、きちんと「いちから」勉強したかった。
座学できちんと細部を詰めながら、論理的に学びたかった。
けれどそんなことはぼくには不可能だった。
病理学は、「いちから」の「いち」が「5億」くらいあるように感じられた。
実際には「50万」くらいだったのだが……。
まあそんなわけで病理学をいちから始めたい人むけの教科書をどう勧めるかについてはいつも頭を悩ませている。
病理を学びたい人が、将来、どんな仕事をしたいのかにもよる。
消化器内視鏡医になりたいならば、やはり胃腸の病気に関係のある病理学を勉強すべきだとは思う。
けれども、「胃腸に関係のある病理を学ぶ以前に仕入れておかなければいけない知識」はどうすればいいのか……。
結局、「最初はいっしょに顕微鏡をみましょう」と言って、ぼくの経験をもとに、あまり体系として整っていない話からはじめることになる。
若い医学生や研修医はどこか不満そうだな、と感じることがある。
その気持ちは、とても、よくわかる。
読むならこのへんがいいかな、という本を、ようやくいくつか紹介できるようになった。
Quick Reference Handbook for Surgical Pathologists Natasha Rekhtman
臨床に役立つ! 病理診断のキホン教えます 伊藤智雄
皮膚病理イラストレイテッド〈1〉炎症性疾患 今山 修平
最後のやつは最近のお気に入り。
皮膚? といわずに立ち読みしてみたらいい。
きっとほしくなるから。……ぼくと同じタイプの人間ならば。