2018年11月14日水曜日

病理の話(263) ボディにコンシャスな話

机の上においてあるスマホやマグカップを眺めると「奥行き」がある。

ちょっと顔をずらすと、マグカップの取っ手が見えてきたり、中にコーヒーが入っていることが見えたりする。

ぼくらは首を動かしながら、ものを立体的に把握する。目が二つあるのも立体視のためだと言われている。敵や獲物が「近づいてくる」「遠ざかる」を瞬時に把握しなければ、自然の中で生き残れなかったのだろうな。

おかげでぼくらは、今こうして、立体を感じる事ができる。

さらに考えると、ぼくらは立体認知のおまけとして「陰影」も認識できていることがわかる。自然界に存在する陰影のほとんどは、脳の中で奥行き情報と紐付けされている。

たまにブンガクとかマンガで

「光あるところかならず影あり!」

などというが、ぶっちゃけ光だけでは影はできない。立体構造物があり、ものに当たる光の量が角度によって異なるからこそはじめて影ができるのだ。つまり魔王の類いはこう言わなければいけない。

「光あるところに立体があればかならず影あり!」

だっせえ。



で、何の話をしたいのかというと、実は人間の視覚というものはぼくらが思っている以上に立体から情報を引き出すことに長けている。

ところが、病理で用いる顕微鏡診断では、その立体情報が大きく失われてしまうのだ。

病理組織診断では、細胞を細かくみるために、組織を4 μmというペラッペラなシートに薄く切る。向こうが透けて見えるくらいの薄さにする。

こうなると見えてくるのは細胞の断面ばかりだ。おかげで「核」という、もっとも重要な構造物をつぶさに観察することができるのだが、断面をみることによる弊害もある。

お気づきだろうが細胞の立体情報がかなり失われてしまうのである。




たとえばここに姫路城の模型があったとして、ルパン三世の相棒である五ェ門に斬鉄剣で斬ってもらう。ぼくはこのブログで何度か五ェ門を召喚しているが、主につまらないものを斬って欲しいときに呼び出すことにしている。

無事まっぷたつに斬った姫路城の断面をみて、断面だけを見て、姫路城の全貌を想像することができるだろうか?

……これはまず無理である。当たり前だが二次元情報から三次元情報をすべて類推することはできない(次元が足りない……ルパンだけに)(←今のこの一文、偶然だったので思わずアッと声が出た)。

ただ、断面から姫路城を完全に思い描くことは無理でも、実は、ある程度までなら想像できる。

たとえば断面に、姫路城の1階部分、2階部分という階層構造が見えていれば、建物は自然と「その階層を維持するだけの強度」をもっているはずだから、なんとなく敷地はこれくらい広いだろうなという想像がつく。

屋根瓦の部分はまあまず間違いなく屋根を同じように覆っているだろう、ということも類推できる。まあ、シャチホコの種類まではうまく断面が出ていないと想像はつかないが。



細胞をみるのもこれと同じだ。姫路城×五ェ門よりもさらに細かいプロセスがいくつかあり、ぼくらは、断面図だけから、細胞が作り上げる高次構造をなんとなく予測している。そして、診断の役に立てようと努力する。




さて、細胞の立体構造は顕微鏡では絶対に見られないのかというと、そんなことはない。

たとえば組織診ではなく「細胞診」という別の技術を使う。この手法では、五ェ門を呼んで断面を作ってもらうのではなく、細胞を外からそのままの状態で観察する。そのため、断面情報はやや弱くなるが、細胞の厚みとか、ちょっとした奥行きまで顕微鏡で確認することができる。

細胞診は病理医よりも病理検査技師のほうが得意な技術だ。それだけに、病理医の中には、細胞診はまあ勉強しなくていいかなと距離をとろうとする人間がいるが、ぼくから言わせると実にもったいない。偏屈だなあと思う。病理医に偏屈だって言われたら終わりだぜ。


そしてもうひとつ。

「連続切片」という手法もある。これは、五ェ門に断面を1枚だけ作ってもらうのではなく、何枚も何枚も連続して作ってもらうのだ。

ダダダダダダッ! みたいなかんじで姫路城を次々に断面化していくと、まるでアニメーションのように、擬似的に奥行きをみることができるだろう。

病理組織診断でもこの手法を使うことがある。ぼくはわりとこのやり方が好きで、いわゆるdeeper serial sectionの作成を技師さんによくお願いする。

弱点としては五ェ門が疲れるということと、断面をいっぱいみなければいけないぼくらが疲れるということ。

疲労と手間を度外視すれば、組織の奥行き情報が得られる「連続切片」はとても重宝する。




……五ェ門だけじゃなくて次元が出てきた時点で病理の解説はルパン向きだということがわかった。つぎはふじこちゃんだ。さあどうやって出すか……。