さまざまなことが浮かんでは消え、文字にしてはみるものの、数行進んだあたりで全部消してしまう。
今日はそんな日だ。
こういうとき、思い出すのは、マンガ「それでも町は廻っている」のあるシーン。
主人公の歩鳥が、ある夜、眠れずに過ごす。
頭の上のあたりに、もやもやと、昔の友だち、今の友だち、亡くなった祖父の顔などが次々と浮かんでいる。
目がパチリと空き、
「だめだ」
「これは眠れないときのかんじだ」
と言う。
起きて、自分の部屋を出て、階段を降りる。
冷蔵庫をのぞき、めぼしいものがないので、夜の町に出て、コンビニに向かう。
ぼくはこの一連のシーンを、一度読んですぐに記憶した。
細かいセリフまですべて覚えているわけではないのだが、ぼくが考える「夜の雰囲気」というのとまさにぴったり一致していたから、なんだか心にしっかりと張り付いてしまった。
まれにそういう作品に出会うと、もじもじとする。
誰にも話したことがない自分だけの記憶が、まったく関わりのない人の頭の中に存在していて、創作物の中に組み上げられて、ある偶然によって自分の目の前に展開される。
よくあることかもしれない。それでも、もじもじとする。
「誰にでもありうること」をうまく描いた物語はバカ売れする。
共感の嵐!
はじめて読むのに懐かしい!
心の底にあるスイッチがおされまくる!
このような惹句をときどき目にする。
が、「それ町」は別格だ。なぜかというと、エピソードひとつひとつが、本当に「なんでもない」からだ。
誰もがもっている初恋の記憶、とか、一度は経験したあのさみしさ、とかが描かれているわけではない。
もっと、些末な……というか、ありふれすぎていて普通の創作物では省略してしまうようなポイントに限って、やたらと綿密に描いている。
ぼくが「さまざまなことを思い浮かべるのだけれど、なんとなくしっくりこなくて、作った文章も全部消してしまう日」に、あれこれと書き記していることは、たいてい、
「中途半端に共感を呼びそうな文章」
である。
「わかってくれ」と「わかるだろ」と「わからないだろうな」のバランスみたいなものが、圧力とともに崩れているような日があって、そういうときは、何を書いてもうまくいかず、結局ディスプレイの前でだまりこんでしまう。
「だめだ」
「これは書けないときのかんじだ」
というアレになるのだ。