ちょっとぶっそうな話で申し訳ないんだけれど、わかりやすいので例え話からはじめます。
大きな交通事故とか、傷害事件とかがあったときに、テレビでよくある「再現CG」ってあるじゃない。
コナン君に出てくる黒ずくめのファンキー色違いみたいなキャラクタが、いかにもCGっていう遠近感抜群の格子の中で、ぎこちなく動いたりするでしょう。
で、どういう事故・事件だったかをこちらは瞬時に理解するわけだよ。
別に、人間はね、仮に文章だけであっても、事故や事件の内容を想像して理解することはできるんです。ほんとはね。
でも再現CGって必ずといっていいほど、やるでしょ。もう当たり前になっちゃったよね。
もちろんテレビ局はそのほうが視聴率がとれるからやってるのかなーって邪推するけれども、視聴率うんぬんじゃなくてもさ、再現モデルがあったほうがわかりやすいってのはもう間違いないと思うんですよ。
でね、科学者もね、けっこうそうだと思うわけ。
アインシュタインは脳内だけで相対性理論をつくりあげた、みたいな逸話があるけれどね、ぼくらはアインシュタインの言ってることを理解しようと思ったら、必ず「モデル」を考えるんだよね。アインシュタインの脳には勝てないので。
たとえば特殊相対性理論の説明では高速ですれちがう電車みたいなのを想定させられるし、一般相対性理論の説明では落下するエレベーターの話が必ず出てくるんだよ。あとは鉄の玉でへこんだクッションみたいな絵も必ず出てくるね。
これはつまり、高度な理論物理の世界であっても、人とイメージを共有しようと思ったらモデルを使うことが便利だってことが、みんな、なんとなくわかってるからだと思うんだ。
何を当たり前のことを……。
例え話したらわかりやすいのあたりまえだべや……。
再現VTRがあればそりゃわかりやすいべや……。
CGで説明してくれたほうが早いに決まってるべさ……。
って思った北海道人はこの中にいるかな。
でも、これ、いうほど当たり前じゃないと思うんだよ。ぼくらが当たり前だと思ってしまうくらいに、なじんでしまっているだけでね。
脳は、正確性よりも、「たとえ」とか「わかりやすさ」とか「モデル」を介したほうが結果的に全体像を理解するのが早くなっている。そういうふうにできている。
よーく考えるととっても不思議な話だ。
だって外界から余計なエピソードが入力されればされるほど、脳に関係ない情報が蓄積するんだよ。例え話ってのはそのものずばりじゃないわけで。情報処理の効率だけを考えるならば、本当にあったこととは微妙に細部が異なっているはずの「モデル」を介して情報を理解しようとするなんてのは、遠回りなはずなんだから。
でも実際には、脳はかたっぱしからいらない情報を捨てていくシステムを有している。だから、ある程度の回り道や、余計な修飾があっても、結果的には不要な部分を容赦なく捨てていくので、脳の限りあるストレージを無駄遣いしなくてすむようになっている。
捨てていくシステムって何かって? それは「忘れる」ということだ。
うーん、ここつなげちゃうと乱暴って言われるだろうな。
でも言っちゃおう。
脳ってのはね、忘れるシステムを内蔵しているから、乱流のように流れこむ情報の中で、文字通り取捨選択を行って、適切な情報だけを解析し続けることができる。
おかげで、本質をいったん例え話、すなわち「モデル」に落とし込むことで、全体像をぼうっと理解してから、次第に本質に近づいていくような解析も可能になるんだ。
ぼくらは忘れん坊なおかげで、わかりやすい例え話を介したフワフワした会話ができて、人生の幅が広がっているってことだよ。
まあ今ぼくが言ったこともすっごい雑な話で、ある意味、脳という複雑な機械を解釈するための、ひとつのモデルにすぎないんだけれどね……。
だって今回の記事自体、さいしょっから、「例え話でごめんね」っつってスタートしてるべさ?