こないだ歯医者に行ったら怒られた。
虫歯はないけど歯茎がだいぶやられてる、このままだと歯周病から歯槽膿漏になって歯が抜けるよ。
そりゃ脅しじゃないか。
同じ医療者として言わせてもらうけれど、患者に対してその脅し方はないだろう!
とぼくは口の中で言った。けれども口の中では声はできない。声帯は完全に沈黙していた。ぱくぱくとあごだけが無音で鳴った。
ぼくはマスク越しの歯科衛生士さんにひたすらへりくだって、はい、すみません、ごめんなさい、歯磨きします、と低頭した。白状するがぼくは基本的に脅しがとてもよく効く。
お会計のときには歯間ブラシを買わされた。言われるがままに歯間ブラシを2本もって帰った。
こうして歯間ブラシを併用した念入りな歯磨きの日々がはじまった。とりあえず最初に買った太・細2本の歯間ブラシは3日でよれよれになって壊れてしまった。慣れていないのでうまく使えなかった。翌週、歯石のメンテナンスに行った際に新たに買い直した。
歯間ブラシにもだいぶ慣れてきたと思ったら、少しブラシの使い方が雑になったのだろうか。先日、奥歯と奥歯の隙間に入れた瞬間に、歯間ブラシの根元の金属部分がパキンと折れてしまった。
歯の隙間にブラシがそのままはさまっている。奥歯だからなかなかとれない。
しょうがないな、と思って、もう1本の太い方の歯間ブラシをその場に突っ込んで、はまったブラシを押し出して取ろうと画策した。そしたら2秒もしないうちに、もう1本の歯間ブラシも折れてしまった。
ぼくの歯には2本のブラシが突き刺さった状態になった。その後なんとか指でとりだした。
小さい頃から、虫歯予防のためだ、と言われて念入りに歯を磨いて過ごしてきた。けれども気づいたら歯茎が弱ってるという。歯はきれいでも歯茎がだめだという。歯間ブラシを使わないなんて成人として間違っているなどという。後付けでいろいろとダメ出しをされ、おまけに歯の隙間にブラシを置き去りにして、ぼくはなんだかがっくりしてしまった。
でも、こうして以前より意識して念入りに歯を磨くうち、少しずつ歯茎のコンディションはよくなっていった。やればできるもんだ。
医療者ってのは後付けでいろんなことを言うことに定評がある。
「昔はそこまで言わなかった」みたいな話があとから出てくるのは、もちろん、科学というのが常に昨日よりも今日、今日よりも明日のほうが進歩しているからだ。でもそれ以上に、科学コミュニケーションというか、医療者が患者に対して注意を込める内容自体もフクザツになっているんじゃないかなあ、と、ぼくは肌で(というか歯茎で)感じた。
先日、昼休みに職場で歯を磨いていたら、MRさんがぼくのところをたずねてきた。ぼくは一度お会いした人には、それ以降はアポなしでいつでもデスクに直接来てください、と伝えてしまうので、こうして昼休みに突撃してこられることはよくあるし、それで一向にかまわない。けれども、先方はだいぶ恐縮したようだった。「あっ!」とつぶやいて2歩ほど下がり、ぼくが歯を磨き終わるのを待っていた。
デスク横の洗面スペースで口をゆすいだあと、失礼しました、と伝えると、MRさんはぼくに、こうわびた。
「お歯磨き中のところ申し訳ございません」
お歯磨き中?
おはみがきちゅう?
はじめて聞きましたその言葉、と言ったら、MRさんは汗をかきながら、「私もはじめて言いました」と言って笑った。なにわろてんねん、と思った。