2019年7月29日月曜日

病理の話(348) AIの役に立とう

守秘義務があるので詳しい話はしないけど、どうせいつも詳しい話なんてしてないから、いつもどおりに書けば大丈夫だろう。

ぼくは今AI開発のおてつだいをしている。

「病理AI」だ。

人間のかわりに、コンピュータがプレパラートをみて、診断をするシステム。

この開発に病理医が参入する必要なんてあんのかなーと、最初はけっこう懐疑的だった。

でも、手伝い始めてみると、意外と人間ワザが役に立つんだなってこともわかった。




病理医が開発に参加することで、AIに何をさせたいのかが明確になる。

とりあえず、患者や主治医が望んでいない検査にならないようにすべきだ。病理医が介入しない状態で病理AIを作ると、この、「誰も望んでいない形式で、圧倒的に正しいデータだけをはじきだすAI」というのが完成する。

たとえばある病理AIに、細胞を読ませると、こういう答えが返ってくる。


「このプレパラートのなかの15%くらいの面積に、80%の確率でがん、20%の確率でがんではない細胞があり、そのすぐ周りに、面積としては55%くらいの領域に、40%の確率でがん、60%の確率でがんではない細胞があります。ピコピコ。」

最後はAIっぽいかなと思って付けた。



ぶっちゃけこれだと、主治医や患者は困惑してしまう。

えっなにこれ、どういうこと、何いってるかわからないよ。

結局何パーセントの確率でがんなの。

どこががんを疑う部分で、どこが大丈夫な部分なの?





細かいことはいちいち書かないけれど、人の役に立つAIというのは一にも二にもインターフェース。ユーザーインターフェース。ぱっと使いやすい見た目、出てきた結果が応用しやすい様式になっていること。誤解をおそれずに言い切ってしまうと、「結果がどれだけ正しいかよりも、結果がどれだけ使いやすいかのほうをきっちり詰めないと、使い物にならない」。

今すでにあるAIシステムの大半はユーザーフレンドリーさが足りない。

これについては、病理医の目が役に立つかもなーということをよく考える。

ぼくらが臨床医に対して何かを説明したときに、「わからんわからん。」という目をされたときのことを詳細に思い出すのだ。

ぼくの役目は、「しくじり先生」なのである。

AIがテレビの前にすわって、ぼくの悲しい失敗談の数々を、目を輝かせてみているのだ。少しでも人の役にたつAIになろうと、大きな夢を抱きながら……。