Seed and soil theory(タネと土壌の理論)というのがある。
がんの転移に関する有名な理論だ。
今日はこの、タネと土についての話をする。
がん細胞は、体のどこかで発生したあと、本来の細胞であれば寿命を迎えて死ぬタイミングでも死なず(不死化)、本来の細胞であればそろそろ増えるのをやめてほしいのに増え続け(異常増殖)、本来の細胞と同じような役割を果たそうとしない(分化異常)、など複数のやばめな特徴をもってどんどん増える。
そして、増えただけでは終わらず、周りの正常ソシキを破壊し、さらには全身いたるところへ
「転移」
する。この転移が大変やっかいなので、一般にも有名である。
がんが、生まれついた臓器をはなれて体のほかの場所に飛び去って、新天地であらたに勢力を拡大するためになにが必要か。
古い医学者たちは「きっとがん細胞が通る道があるのだろう」と考えた。
たとえば、小腸や大腸で吸収された栄養は、門脈という特殊な血管をとおって肝臓にはこばれる。これはつまり、小腸や大腸から肝臓へのルートがあるということだ。
大腸に発生したがんも、しばしば、肝臓に転移する。これはもうぜったいに、「栄養をはこぶためのルート」をがん細胞が悪用して、そこを通って肝臓に達しているのだろう、とみんなが考えた。
この考え方、間違ってはいないのだけれど、100%正しいスーパー理論ではない、ということが、この20年くらいの医学研究により明らかになりつつある。
たとえば肺がんはしばしば副腎に転移する。あるいは、脳にも転移する。
肺から副腎に直接向かうルートというのは見いだされていない。あるかもしれないけれど、そんなところにルートつないでどうするのか、という気もする。
肺から脳に向かうためにも、一度心臓を経由しなければたどりつけない。
大腸がんが肝臓に転移するときに「ルートがあるから」と説明している以上、肺がんがほかの臓器に転移するときにも「ルート説」を採用したくなる。
でもどうやら、ルートがあるからそこに転移する、ということでもないようなのだ。
そもそも肺がんが血流にのって全身にちらばるとき、転移する先は、どんな臓器であってもいいはずなのだ。だって血管はあらゆる臓器に張り巡らされているのだから。
でも実際には、肺がんが転移する先にはある程度の法則性がある。
このことを説明するためにあみだされた理論が、冒頭で少しふれた、「タネと土壌の理論」である。Seed and soil theory.
がん細胞をタネに例える。このタネは血流にのって、全身のいたるところへたどり着く。
しかし、たどり着いた先の「土」がタネにとって「合わない」と判断した場合、タネはその場所で増えようとしない。
タネが落ちればどこででも発芽するというものではないようなのだ。
がん細胞というタネはそれぞれ個性があり、この臓器だったら育ちたい、この臓器ではうまく育てない、という好みがあるらしい。
そこで研究者たちは考えた。
がんはどんどん増えて、全身をめぐる。このとき、全身の土に改良をくわえて、がん細胞というタネが全身あらゆる臓器に「見向きもしないような土壌の性質」に変えてしまえば、がんの転移を防げるのではないか?
この考え方を元に、一部の抗がん剤の開発が続けられている。ただ、どうも、なかなかうまくいかないようではある。
雑草を思い浮かべて見て欲しい。雑草というのは、石垣のすきま、除草シートの脇、どれほど環境が悪くても、しぶとく生えて育つだろう?
どうもがんも、雑草に似たところがある……ようなのだ。だからといって研究の手を止めよう、あきらめようとは思わない。医学者たちはあきらめが悪いので。