顕微鏡が壊れたので、修理をお願いしている間、代替機を使っている。
今までフルオートの電動レボルバーでラクをしていた。ボタン一つで自動的に倍率が切り替わり、しかも拡大倍率に応じて瞬時に光量や絞りの調節をしてくれるのだ。上位機種なのでピントもある程度合う。
しかし、代替機は手動だ。接眼レンズも、コンデンサーも、指で動かさないといけない。
苦痛である。
医学生とか病理医以外の医療者たちは日頃から手動の顕微鏡を使っているだろうから、電動顕微鏡の便利さにあぐらをかいているぼくが今こうして面倒くさがっているのをみると、贅沢だと思うだろう。
でもまあこれはしょうがない。
電動効果は大きいのだ。プレパラート1枚につき、だいたい1秒くらいは時短できる。
1秒かよ、とあなどってはいけない。年間5000例をみるぼくはプレパラートでいうとだいたい20万枚をみている。まあ、いかにもそれっぽく計算したように読める文章を書いたが、実際には何の根拠もなく適当に書いているんだけれど、でもたぶん、20万枚くらいだろう。そういうことにしておく。
プレパラート20万枚に対して1枚1秒ずつ得をしたと考えれば、年間20万秒だ。すなわち3333.3333...分。これはつまり55.5555時間。従って2.3148148148...日。
ほら、プレパラート1枚ごとに1秒というのはつまり、年間2日ちょっともうけていることになるんだ。うるう年より効果が高い。大晦日と正月しか休めなかったときに1月2日と3日にまだ休めると言われたら幸せな気持ちになるだろう。
電動顕微鏡はこうして、ぼくに毎年2日ずつの余暇をくれているのである。
それが今回壊れた。
正月休みを半分に減らされたような、地獄の感傷がぼくを襲う。
手動でレボルバーを回していると、これまで出張で訪れたさまざまな病院でのことを思い出す。
ぼくは病理診断をするためにあちこちの病院で単発的に働いたことがあり、当然、その病院ごとに顕微鏡の種類が微妙に違った。
ハンドルの動きがにぶく、アブラが切れていてプレパラートの操作がしづらい顕微鏡もあったし、Nフィルターの一部が汚れていていまいち光量が定まらない顕微鏡もあった。マイクロメーターを紛失しており細胞間の距離を測れない顕微鏡もあったし、光軸がずれていて視野を動かすたびに寄ってしまう学生実習レベルの残念顕微鏡もあった。
物言わぬ相棒たちをずいぶん手荒にふりまわしてきた。かれこれ数百万枚のプレパラートをカシャカシャズルズルとみて、プラマンで点をうち、デジカメで写真を撮ったりしてきた。いざ言葉にしてみるとなんだか不思議な人生だなあと思う。
ぼくが喫茶店のカウンターでひとりコーヒーを飲んでいたとしよう。二つ隣くらいに思い悩む大学生が腰をおろし、うかない表情でマンデリンなど飲みながらマスターとふたこと、みことしゃべっている。漏れ聞こえてくる内容からすると、どうも彼は就職先に悩んでいる。どういう職業を選んで良いか決めかねているようだ。マスターがしっかり見ていなければ見落とすレベルの目配せをこちらにツッとよこす。めざとい大学生はこちらを向いて、マスターの意図にのっかる形で勇気をだしてこうたずねてくる。
「大変失礼ですがどのようなご職業におつきですか?」
するとぼくはすこし考えてからこう答える。
「顕微鏡……をみてます」
へんなの! 小説家だったらシチュエーションが特殊すぎてこんなシーン書かないよ。たまたま喫茶店で横に座ってる中年男性が病理医で、顕微鏡に詳しくて解剖もできるとか、どう考えてもそのあとミステリーに連結されるじゃん。
でもぼくは実際そういう偏屈な職業について、今こうして電動顕微鏡が手動になったといって愚痴を書いているわけで、どうも、ふしぎな歩みの途上にいるのだなあ、という気持ちがじわじわむくむくとわいてくる。顕微鏡が直るまでには1週間くらいかかるという。たぶんこの日記が公開されるころ、まだぼくの顕微鏡は古びた先代機のままである。