2019年9月2日月曜日

病理の話(360) 2秒早いという口癖

大学院時代にとても世話になった人(現・某教授)の口癖が、

「こうすると、2秒早い」

だった。

たとえば実験の手技、たとえば病理報告書の作成、たとえば解剖、たとえば事務的な手続き……。

さまざまな場面で一工夫をしてみせて、ぼくがそれをみて「なるほど」というと、すかさず冒頭のセリフを言った。

「こうすると、2秒早い」

ぼくはこれを覚えておこうと思った。




病理診断医として働き始めて12年ちょっとが経過した。

この仕事はプレパラートとか死体とかパソコンばかり見ているから、人とコミュニケーションしなくて済むからいいよな、みたいな口さがないことを言う人もだいぶ減った。

実際、働いていると、さまざまな人と会話しないと仕事がうまく進まない。




先日、ある特殊な検査を必要とする場面で、ほかの病院の病理医とやりとりをした。その際、向こうの病理医が、

「では標本をそちらに送りますね。そちらでご確認のうえで、こちらでできることがあったら指示をください。」

と、極めて適切な連絡をくれた。

でもそのときぼくはとっさに、

(ぼくが先方の立場なら、標本を相手に送り付けて確認してもらう前に自分で見て、自分でできる処置を先に進めてしまうのに。

そうしたら、患者のもとに検査結果が出る時間が、2日早くなるのに。)

そう思った。



もっとも、患者のもとに検査結果が1日、2日早く届くことにあまり意味がないケースであったことは確かだ。

一刻一秒を争う検査というのはある。けれども、すでになんらかの治療を始めていて、検査結果がどうあれここ2,3週間のうちにやることは変わらないタイプの検査、というのも、けっこうある。

今回もそうだった。

ぼくが、この局面で、「2日早く検査を出す」ことに、大きな意味はなかった。それはよくわかっていた。




けれども、ぼくは、

「ありとあらゆる検査を2秒ずつ早く終わらせれば、いつかその2秒が積み重なって、だれか一人の患者の決定的な診断の遅れを回避できるかもしれないという幻想」

に、取り付かれている。

だから、先方の病理医には大変もうしわけない話なのだが、心の中でそっと、

(こいつは、2秒遅い病理医だ)

と、レッテルを貼った。ぼくにはそういう汚らしいところがある。